1. BAILA TOP
  2. LIFESTYLE
  3. エンタメ・インタビュー

綿矢りささん書き下ろしエッセイ「他人禁制の夢」――コロナ渦の日常に、働くBAILA世代から共感の嵐!

2021年にデビュー20周年を迎えた小説家・綿矢りささん。働くBAILA世代にエッセイを届けてくれました。コロナ渦によって「海外旅行」「ネイル」に対する考え方が変わったようで、きっと共感する人も多いはず。

他人禁制の夢 ――綿矢りさ

飛行機に乗るのが恐いと言うと、「もしかして落ちると思ってるの?あり得ないよ!ぷぷっ」という反応が返ってくることがときたまあるんだけど、私も落ちるとは思ってない、飛行機の性能は信頼しています。でも落ちなくても揺れるでしょ? ガタンッと気圧の関係で飛行機が貧血起こして気絶したみたいに一段階急激に下がったりして、それでもまるで地上にいるときみたいに平静を装って機内食を優雅に食べたりしなきゃいけないじゃないですか、あれが恐ろしいんですね。とペラペラしゃべっていた身だったが、コロナで海外旅行に行けなくなると飛行機のガタンとかどうでもよくなるほど渇望感がよぎった。

パスポートさえあればどこにでも行ける、ただ現地の治安が悪いとか距離が遠すぎるとか費用の問題でどうしても実際に行ける国は限られてくるけどね、という認識だったのが、渡航禁止を堂々と政府から言い渡されたときに「これからもし日本から一歩も出られない状況、もしくは出るためには特別な審査や資格が必要な状況がずっと続いたらどうしよう」と急に焦り始めた。身体が元気なうちに海外旅行は行っておけと人生の先輩方から言われることも多かったけど、そのチャンスを逃したかも。過去に行った国を一つ一つ思い出し、自問する。私は世界を知っている方か?

あの国でこんな遊びをしたかった、あの景色を見たかった、あれを食べたかったという後悔ではなく、不思議と自分の経験値ばかりが気になった。もしこれから海外旅行が永久に取り上げられた場合、人生の豊かさや経験を反映して物事を決めたいときの判断材料が少なすぎる気がした。

現在ではそこまで悲観的にならなくても海外に行けるチャンスは再び増えつつある。周りでもまだレジャーで行ったって人はいないけど、仕事で行く人は出てきた。いままで海外旅行に行くのがなんとなくおっくうだった主な理由は“無理して遠出して遊んだり観光したくはない”だった。あと飛行機が恐い。でもコロナ禍を経て、経験のために行く必要がある、と知った。単に現地で楽しい思いをするためではなく、旅先で知見を積む重要さ、そしてそれを自分が欲してる、刺激を受けて自分の新たな可能性を咲かせたいと気づいた。

他人禁制の夢ーー綿矢りさ

ちょっとマジメすぎる動機かもしれないけど、仕事で行くときだけじゃなくレジャー目的のときでも、限りある人生のなかで科学の発達により異国へ上陸できる恩恵に感謝しながら、知見を深めるって大事かもしれない。

かなり長引いた緊急事態宣言のなか、強制おうち時間を過ごすうち、いっときネイルを塗る意味が分からなくなった。指は自分で見えるところのオシャレだから、特に小説を書いててパソコンのキーボードを叩くときに手元がよく見えるから、自分のためにネイルに凝っていると思ってた。でも実際はそうじゃなくて、家にいる時間が長ければ長いほど、素爪でいる方が楽だし、塗って乾かす過程がわずらわしくなった。悲しいかな、自分のためのオシャレなんて項目は私の中に一つも無くて、外出するために気合を入れる儀式的な要素の方が多かった。

最近はようやく街を歩いたり、仕事などで人と会う機会も増えてきて、そうするとまたネイル欲も回復してきた。ネイルサロンにも行き、セルフでも塗る。ただコロナ前とちょっと違うのが、“いつ何が起こっても、すぐオフできる状態でいたい”という意識が芽生えてること。

爪の色というのは案外重要らしく、お産のときには爪の状態で身体の急変などが分かったりするから、陣痛で来院する際はネイルは塗らずに来てくださいと言われた。最近は普段通りに日常を過ごすなかでも何が起こるか分からないし、ネイルサロンがまた急に閉まる可能性もある。爪一つ取ってもどこか刹那的な感覚が染みついてるというか、心の奥底に残っている。

だからリムーバーで簡単に取れるマニキュアをたくさん買った。いまはジェルネイルや貼るネイルなどたくさんのバリエーションがあるけど、おうち時間が長引くにつれ、従来のマニキュアの、塗って乾かして、落とすときは除光液を含んだコットンでごしごしこする儀式が、心を落ち着かせた。従来といっても商品はどんどん改良されてて、以前はどうしても乾くまでじっとしていられず、表面がキズついたりヨレたりで、上手く仕上げられなかったけど、超速乾のトップコートを買って最後に塗ると、驚くほど早く乾くようになった。

おかげで夜寝る前にマニキュアを塗ったり落としたりをルーティンにできてうれしい。以前はもう乾いただろうと思って寝ると、翌朝爪に布団の跡がついてたりとヒサンな状況になっていたが。瓶を揺らすとシャリンシャリンと波打つ除光液を眺めたり、寒い部屋の空気に裸でさらしているせいで、風呂上がりなのに早くも冷たくなり始めてる足の爪に、暗めのレッドを塗っていくとそこだけ夜遊びの雰囲気になって気分が上がる。実際は寝るだけだけど。もしかしたらハンドネイルではなくペディキュアこそが、私にとって自分のためのオシャレなのかな。これからの季節、靴下やブーツに隠れてほとんど自分しか見ない部分だからこそ、思いっきり他人禁制の夢を見たい。

Risa Wataya


1984年、京都府生まれ。2001年『インストール』で第38回文藝賞を受賞し、デビュー。2004年『蹴りたい背中』で第130回芥川賞を最年少で受賞。デビュー20周年を迎えた2021年、小説『オーラの発表会』(集英社)、日記エッセイ『あのころなにしてた?』(新潮社)を刊行。

撮影/金谷章平 ※BAILA2022年1月号掲載

Feature特集

Feature特集

Rankingランキング

  • ALL
  • FASHION
  • BEAUTY
  • LIFESTYLE
  • EDITOR'S PICK

当サイトでは当社の提携先等がお客様のニーズ等について調査・分析したり、お客様にお勧めの広告を表示する目的で Cookieを利用する場合があります。詳しくはこちら