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【野毛まゆりの働き方】美容部員時代から50代の結婚まで。あのデパコスブランドの誕生秘話も!

いつの時代も「働き方」に悩むのは30〜40代。本企画では、憧れの先輩たちがどのような働き方をしてきたかを取材。今回は、美容愛好家の野毛まゆりさんが登場。美容をこよなく愛するようになったきっかけなど彼女の過去・現在・未来を探る。

野毛まゆり

美容愛好家、毛髪診断士認定講師

野毛まゆり


1961年静岡県生まれ。生家は西伊豆の温泉旅館で、祖母・母から美容の楽しさと真のホスピタリティを仕込まれて育つ。大学卒業後、外資系化粧品会社に入社。販売、教育トレーナー、広報PRを経て独立。現在は愛にあふれるコメントと豊富な美容知識で『美容愛好家』として数々の女性誌、TV・ラジオで活躍。また、企業の研修会や講演会などで、美容・接客・販売の指導を行う。著書に『美しいものを売るために大切なこと 自分のファンを増やす接客術』(WAVE出版)。

美容好きとなる礎(いしずえ)は、母の存在が大

静岡・土肥の温泉旅館の長女として生まれた野毛さん。父は4代目社長として経営に携わり、母が女将として切り盛りしていた。
お母さまは、85歳となった現在も大女将として現役。そして、マスカラもペディキュアも欠かさない、とても美しい方だそうだ。
 
「娘の私が言うのもなんですが、母と妹はとても美人なんです。2人と一緒に歩いているとよく比較されて子供心に傷ついていましたね。
でも、母や祖母が美容に気をつかってキレイにしているのはとても嬉しかったです。家の中にたくさんのコスメがある環境が影響してか、私も美容好きになり、将来は絶対に美容部員さんになる!と心に誓っていました」

10歳の野毛まゆりさん。母と妹と

お母さまと3歳下の妹さんと一緒に写る10歳の野毛さん(いちばん右)
旅館が忙しくめったに行くことがなかった家族旅行の貴重な1枚。

東京の大学に進学した野毛さんが初めてのアルバイト先に選んだのは、下北沢駅前にあった大きな化粧品専門店。
国内外の化粧品がずらりと並ぶ店で、夢中になってあらゆるコスメを覚えたそうだ。

22歳で念願の美容部員になる

家庭環境やアルバイト経験から、野毛さんの美容部員願望は高まるばかり。就職活動を経て、晴れて「クリニーク」に入社した。
 
「とにかくクリニークの勢いがすごかったんです。全国の百貨店のコスメフロアには必ずと言っていいほど店舗がありました。

まず配属されたのが『新宿京王百貨店』。スタッフ人数も多く、活気のある店舗でしたが、そのぶん1日中忙しく、ヒールで立ちっぱなしの疲れる毎日。しかも、360°人から見られていることもあって、緊張の連続でした。

自慢に聞こえるかもしれませんが、22人の美容部員のうち売り上げは“中の下”ながら、“リピート率はナンバーワン”だったのですよ! その頃に仲よくなったお客さまとは今でも年賀状のやりとりをしています。思い返してみても貴重な体験をさせていただきました」

クリニークの美容部員時代の野毛まゆりさん

26歳の頃の野毛さん。隣は大好きだった店長。
接客における基本を学んだ時代。

26歳でフィールドトレーナーとなる

やりがいを感じながら美容部員を続けること4年。26歳のときに、会社から「教育部所属のフィールドトレーナーにならないか?」と言われ、とても嬉かったと話す野毛さん。

「新入社員やメンズ製品の研修、さらには先輩の美容部員に向けて接客などのトレーニングをする仕事。この頃は全国の百貨店を巡って出張ばかりでした。

青山のオフィスには月1回程度しか出社できない生活でしたが、出会いの多い仕事が楽しくて、張り切っていました。今振り返ってみても、一生懸命やっていた美容部員の仕事が認められ、最もやりがいを感じていた時代です」
 
持ち前の明るさと情熱で、20歳以上年上の店長やチーフとも仲よくなり、中には今でも親交を続けている人もいるとか。そして、みるみる頭角を現した野毛さんは、2年後の28歳で、教育部の課長に異例の出世!
  
「地域によってお客さまも美容部員も特徴が異なるので、その対応や戦略を立てるなどしているとつい深夜帰宅に。この頃は22時より前に帰宅したことがなかったです」

野毛まゆりさん32歳の頃。

トレーナー時代の野毛さん32歳。10歳以上年上の美容部員さんたちとホテルで行われた決起集会。学びが多い時代だったと話す。

33歳、クリニークのPRに就任

さらに野毛さんの快進撃は続く。33歳のときに社長の命によりPRとなった野毛さん。先輩とともに出版社を回り、人気雑誌の編集長や編集者にキャラバンをするなど新しい経験が始まる。
 
「高学歴な編集者さんたちの前でプレゼンするなど緊張の連続。でも、美容部員時代に得た知識を話したら一目置かれるようになって。それで自信もつき、楽しくなりました」
 
実は、20代に野毛さんは15人とお見合いをした。ご両親や親戚が心配し、地元の旅館の息子さんなどとの縁談が次々にやってきたそうだ。
 
「当時、好きな人もいたので本当にイヤでしたね。面白いもので、30歳になったらピタッと見合い話が来なくなりました(笑)。なので、30代は仕事に没頭していました。この頃マンションを買ったこともあり、このまま定年まで頑張らなくちゃ、と思っていました」

クリニークPR時代の野毛まゆりさん

クリニークPR時代の野毛さん。自信に満ちあふれた様子。

40歳、会社を辞める

PRとしての1つの目標は、PRマネージャーとなること。仕事にやりがいを感じつつも、外資系企業で働く野毛さんは、常に“言葉の壁”を感じていた。
 
「バイリンガルやトリリンガルがたくさんいる会社の中で限界を感じていました。他ブランドのPRの話もありましたが、思い切って40歳で退職。上司が皆、惜しんでくださったので、『やるべきことはやったし、もう十分』と自分に納得できてスパッと辞められました。

次が決まっていなかったので、知人は皆、心配していましたが、『なんとかなるさ』と自分がいちばん冷静で。リセット(無になる)時間が欲しかったのだと思います」

41歳で新ブランドのPRとなる

悠々自適な生活を続けていたある日、日本を代表する美容ジャーナリストから電話があった。
 
「それは、RMKの会社が40代向けのお姉さんブランドを出すからPRを探しているという内容でした。名前は皆さんもよくご存じの『SUQQU』。当時、映画やドラマの女優や俳優さんたちのヘア&メイクを担当していた田中宥久子さんがクリエイターで、2003年9月に伊勢丹新宿店でオープンしました。
 
私は広告を考えたり、百貨店にプレゼンしたり、様々なことに携わりました。SUQQUのメイク製品の色番は漢字なのですが、“fromジャパン”感を出したいと、私が出したアイディアでした。製品もクリエイターも、絶対に有名にしなくては!という気合が入っていました。

発売の3カ月前に行ったメディア向け発表会で編集者さんや美容ジャーナリストさんたちから高評価をいただけて、手ごたえを感じられたときは、本当に嬉しかったです。今でもSUQQUへご縁をつないでくださったジャーナリストさんに、とても感謝しています」

SUQQUのPR時代の野毛さんとクリエイター田中宥久子さん

SUQQUのPR時代の野毛さん。クリエイター田中宥久子さんと。化粧品の新しい概念を学んだ恩師。

SUQQU発表会の野毛まゆりさん

41歳の野毛さん。百貨店のバイヤーさんに向けたSUQQUの紹介イベントで熱くプレゼンテーション。

45歳で独立。美容愛好家となる

SUQQUが軌道に乗り、周囲のススメもあって、野毛さんは45歳で退く。『オフィス野毛マーキュリー』という名で会社も立ち上げた。大好きなQUEENのフレディ・マーキュリーとともに頑張るという意味で♡

そして、“美容愛好家”という、野毛さんにピッタリな肩書きで各雑誌やTVなどで活躍し始める。『MAQUIA』など雑誌での連載も始まり、著書はなんと現在8刷。
 
「こうしてお話をいただけることが本当に幸せです。50歳のときに本のお話もいただきました。私がこうして美容の世界にいられるのも、学生時代のアルバイトや京王百貨店での接客経験があったおかげ。

お客さまに多くのことを教わり、磨かれました。なので、接客のお話を書いた本を出しました。これがきっかけで企業向けの講演会のお仕事も増え、今ではライフワークとなっています」

野毛まゆりさんの著書

野毛さん渾身の著書『美しいものを売るために大切なこと』(WAVE出版)

61歳の今、幸せを感じることとは

30代以降、縁談話がパタリと止まり、周囲からも独身生活を謳歌していると思われてきた野毛さん。実は50代で、長年お付き合いしていた男性と結婚していたことをこの取材でカミングアウト‼︎
 
「若い頃は白馬の王子様がきっと来るはず!って、本気で思っていました(笑)。でも、王子様はプリンセスしか迎えに行かない。大切なのは今ここにいるこの人だ、と思えて53歳で結婚しました。

人生100年時代といえども、折り返したので残された時間、夫と過ごす時間を大切にしようと思っています。
 
夫は家に居るのが好きなので、夕食を作り、そのあとはふたりで映画を観るのが習慣に。昨年は170本くらい観ました。ずっと前から、観た映画の感想をノートに綴っています。

こんなささやかなことですが、ずっとふたりで一緒に楽しむために健康でいたいな、としみじみ感じています」

野毛まゆりさんの映画鑑賞ノート

野毛さんの映画鑑賞ノート。大好きなQUEENフレディ・マーキュリーの伝記映画『ボヘミアン・ ラプソディー』は、なんと劇場で50回、ビデオで100回以上観たそう!

人生の先輩としてBAILA読者へのメッセージ

「必ず人とつながっていたほうがいいです。それが家族でも友人でも仕事仲間でも。誰かと仲よくしてコミュニケーションを取ったり、情報をシェアしたり。そういう人がいれば、人生なんとかなります!
 
大きな目標を掲げなくても、人づきあいを大切にしていれば、誰かが見てくれていて、引っ張ってくれて、道は開けるものです。

なかなか思うように人に会えない世の中ですが、周りの人を大切にしましょう。

“言霊(ことだま)”って本当に効きます。
日頃から、好きなこと、したいことなどを人に話したり、ノートに書き留めるのもおすすめです。
人は本当に財産です!」

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