作家・三浦しをんさんの新刊『しんがりで寝ています』は、バイラで連載中の人気エッセイをまとめた単行本の第二弾。おかしみと偏愛に満ちた世界に浸れば、凝り固まった魂ももみほぐされていく。著者にそんな日常のリアルを聞いた。
日記みたいな感覚で心のおもむくままに自由に書いています。
バイラの巻頭で10年にわたり、連載されている三浦しをんさんの人気エッセイ『のっけから失礼します』。人気作家の視点を通して語られる日常は、にぎやかで、楽しくて、パワフルで。お疲れモードの人も読めば、たちまちエネルギーチャージ!「バイラを読むときは、まずはここから目を通す」という読者もいるほどファンは多い。
そんな連載をまとめた単行本の第二弾が3月5日に発売される。タイトルは『しんがりで寝ています』
字面からして何とも愛らしく、脱力してしまうが、まずはその由来を伺った。
「1冊目のあとがきに、タイトルを『しんがりで寝ています』にすればよかったみたいなことを書いたんです。で、2冊目のタイトルを考えていたときに、ふとそれを思い出して、無駄にしないように再利用しました。地球に優しい姿勢を見せたわけです(笑)。」
「“しんがり”というのは、“最後尾”のことで、『しんがりを務める』といえば、戦で部隊が撤退するとき、追ってくる敵軍を食い止める重要な役割。当然、力が入るけれど、そんなときでも寝てしまうというのがこのタイトル(笑)。皆さんも日々大変なことがあるかもしれないけれど、あまり気を張らずに、この本を読んで、少しでも楽しい気持ちになっていただければ――という思いを込めました」
エッセイには、ユニークな人たちが次々に登場する。新しい元号について持論を展開するタクシーの運転手さん、三浦さんをマッサージしながら肉質を褒める武術の達人。たじろがず、その話を広げる三浦さんの度量も大きい。
「いや、私、気の弱いところがあって、運転手さんとか店員さんとかに話をふられると、つい愛想よくしてしまうんです。それで話が広がるのかもしれないですね。それにバイラの連載は、テーマのしばりがないので、自由に書けるのがとても楽しくて。面白いことがあったときも気分が落ち込んでいるときも、そのままの自分で書くことができるので月に一回の日記みたいな感覚で心のおもむくままに書いています。」
「だから本当にアホみたいな内容なんですけれど(笑)、今回まとめて読んだら、この数年間の世の中のムードも意外とわかって面白かったですね」
両親のダメなところが似ている私。気づいて、ぞっとしました(笑)。
とくに本書では、その大半がコロナ禍での出来事。マスクをしての美容室通いや、GoToトラベルの話など、すでに忘れかけている暗黒の数年がエッセイとともによみがえってくる。
「コロナ禍の3年間は、人と話すことでエピソードが記憶に定着するという機会が少なかったせいか、時系列の記憶が曖昧なんですよね。それとイベントに行ったりすることも極端に少なかったから、時の流れがすごく早く感じられて。今となっては1年間くらいのことのようです。普段から引きこもりのような生活をしている私でさえ違和感を覚えたわけですから、毎日、通勤していた方々は、生活の変化に対応するのが大変だったでしょうね」
しかしそんな中でも、日々の小さな喜びをみつける天才が三浦さん。最推しだったEXILEファミリーやKinKiKidsに加え、現在、絶賛溺愛中なのがあのピカチュウ! 「私にとって推しは新しい世界へと開かれた窓」と言うように、本書では“ピカぬい”(ピカチュウのぬいぐるみ)との愛の日々(!)が綴られている。
「今も毎晩ピカちゃんと“同きん”(男女が一緒に寝ること)しています(笑)。ピカチュウにハマッたのは、映画『名探偵ピカチュウ』を見たのがきっかけで、その後、等身大のぬいぐるみを買ったら、これが本当に可愛くて。もともとぬいぐるみ好きなんですが、ピカチュウのあの愛くるしさはもう反則ですね。」
「ちょうどコロナ禍に入るタイミングでうちに来てくれたので、いい話し相手になってくれて。今日もピカちゃんに『寒いね』『行ってくるね』って話しかけてきました。向こうは完全無視でしたけどね(笑)」
ぬいぐるみの可愛さの前に、「現実と妄想の境界線がわからなくなって、つい喋りかけてしまうんです。人には絶対見せられないですけど」と笑う三浦さんはとても楽しそうだ。
また、近所で暮らす両親もたびたび登場。欲望百貨店(伊勢丹新宿店)で買い物中に、ぶつけた足の指が痛みだすお母さんや、ピカチュウトートを玄関マットと間違えるお父さんは、楽しいネタを提供してくれる貴重な存在だ。
「私、両親のダメなところが似てるんですよね。父はすごいズボラで、母はへんに細かいんですけれど、私もむっちゃズボラなのに、あるところは妙に細かくて。この前も仕事が忙しいのに、洗濯機の縁にたまったホコリが気になって、夜中に黙々と掃除している自分がいて。そういうところが母とそっくりでぞっとします(笑)」
ちなみに弟さんは三浦さんの著作をほとんど読まないそうだが、「友達に『おまえの話が出てたぞ』って言われることがあるらしくて、10年に1回くらい出演料を要求してくる」のだとか。なにげない家族とのやり取りは、ほほえましくて、ついクスッとしてしまう。
しかしそんな「なにげない日常」を送ることが、近年、難しくなっている。
地震をはじめ、自然災害が頻発しているし、インフレや終わらない戦争が、私たちの日常を脅かしている。この不安とどう向き合ったらいいのだろうか。
今日もピカちゃんに『行ってくるね』って話しかけてきました(笑)
信頼できる情報源を見極める目を養っていきたい。
「この先、どうなるんだろうと不安なときこそ、自分の幸せだけを考えるのはやめたほうがいいと思います。もちろん自分の幸せは大事ですが、自分さえよければいい、自分だけ潤えばいいと考えると、それが自分も他人も追い詰めて、社会全体をより不安定にしてしまう。だから今、まだ少し余裕のあるうちに、誰かのためにとか、社会のためになるような考え方や行いをしてみる。たとえばどこかにボランティアに行ったり、募金するのでもいいと思います。そうして困っている人を助けようとすることが、結局自分のためになるんじゃないかと思います」
本書もごく私的で個人的な日常を描いているようでいて、じつはそれだけではない。三代目J SOUL BROTHERSの話題から、戦時中の学徒出陣の話になったり。自分の半径1メートルの世界だけ楽しければいいというわけではなく、つねに視線は、その先の社会とつながっている。
じつはあとがきに政治家の「パー券」の話が出てくるが、あとがきを書いたのは、自民党の裏金問題が報道される以前のこと。偶然とはいえ、外に開かれたまなざしが時代を読む力になっているに違いない。そんな三浦さんに、この社会を生き抜くために必要なことを聞いた。
「私の場合、基本は流れに身を委ねるタイプなんです。仕事も依頼されたらお受けしますという受身の人間で、自分から攻めるタイプじゃないんですね。でも、最近、ダメなことはダメだと、抗議することが大事なんじゃないかと思うようになりました。」
「私はテレビとか見ながら、『それはおかしい!』って、一人でいつも超プンプンしてるんですけれど、そういう怒りをちゃんと意思表示しないとダメだなって。じゃないと政治家がまた裏金づくりに走りますから、私たちもちゃんと声をあげていかないと!」
「それと今は時代の変わり目だと思います。そういうときってフェイクニュースとか陰謀論がかならず出てくるんですけれど、そういうものに惑わされないでいたいと思いますね。ネットや動画サイトを見ていると、次々とおすすめ映像が出てきて、あたかもそれが真実のように感じられてしまうことがあります。そんなときのために、『この人の言うことは偏ってないから大丈夫』と思える人や本を日頃から探しておくことが大事。信頼できる情報源を見極める目を養っていきたいです」
もしや本書が時代のガイド役に!?
「いや、そういう意味では、この本は役に立たないと思いますが(笑)、皆さんの癒しになったら嬉しいです」
不安なときこそ、自分の幸せだけを考えるのはやめたほうがいいと思う
3月5日発売
『しんがりで寝ています』
三浦しをん著 集英社 1760円
バイラでの連載に、書き下ろしを加えた全55編の最新 エッセイ集。コロナ禍で加速した観葉植物との暮らし、玄関の柱に巣を作るハチとの終わりなき闘い、EXILE一族への深い愛など、三浦しをんワールドが全開!
三浦しをん
みうら しをん●1976年、東京都生まれ。2000年、『格闘する者に○』でデビュー。2006年、『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞受賞。他、小説に『舟を編む』『風が強く吹いている』『仏果を得ず』『光』『墨のゆらめき』など、エッセイに『あやつられ文楽鑑賞』『好きになってしまいました。』『のっけから失礼します』など。
撮影/花村克彦 取材・原文/佐藤裕美 ※BAILA2024年4月号掲載