本誌の連載『こちらアート探偵社!』@BAILA編として、「こんな時だからこそ!旅行解禁になったら、ぜひ行きたい美術館――猪熊弦一郎現代美術館」をご紹介するこの企画。 PART.2は学芸員さんに猪熊作品の魅力を存分に語っていただきます。
猪熊弦一郎は「現代アートの作家」「抽象表現の画家」と認識されているけれど、実は本格的に抽象画を描き出したのは50代半ばでN.Y.に移住してから。ずいぶん思い切った転身だけど、N.Y.の何が猪熊さんを変えたのかな?
猪熊弦一郎《Greeting of Neighborhood》1962年 ©公益財団法人ミモカ美術振興財団
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館学芸員・吉澤博之さん「猪熊は当初、自分の画業を見直すためにパリに向かう気でいました。ところが友人の建築家・吉村順三に勧められて立ち寄ったN.Y.にすっかり魅了されたのですね。多くのアーティスト達との交流、垂直に伸びるビル群、壁の落書きや広告ポスターをはがした跡など、関わった人々や目にしたもの全てに大きな刺激を受けました。所属する画廊も決まり、猪熊はN.Y.に住むことを決意しました。それは人生を大きく変える一大決心というより、大きな喜びでした。N.Y.で絵を勉強し直すことができるということが、中学を出て上京して美術学校へ入った時のように心から嬉しかったのです」。
猪熊弦一郎《Landscape GT》1972年 ©公益財団法人ミモカ美術振興財団
後年、N.Y.時代を振り返った猪熊さんは「マンハッタンに入ったとたんに芸術家は、古い上着をあっさり脱ぎ捨ててしまう。それで平気に思う(中略)古い歴史がないために、作家を太い”歴史”というロープで後ろに引っ張るということがない」(猪熊弦一郎『私の履歴書』丸亀市猪熊弦一郎現代美術館/公益財団法人ミモカ美術振興財団、2017年 p.116)と綴っています。新しいものを生み出したい芸術家にとって、後押ししてくれる環境は大事。結局、N.Y.滞在は20年に及びました。
猪熊弦一郎《角と丸 BX》1977年 ©公益財団法人ミモカ美術振興財団
しかし、変容はまだまだ止まらない!体調を崩して日本に戻り、70代半ばから90歳で亡くなるまで、猪熊さんはハワイと東京を行ったり来たりしながら制作を続けました。そして、ハワイでも、また新たな猪熊スタイルを生み出したそうな。
前出・吉澤さん「N.Y.時代はモノトーンを基調とし、直線や幾何学的な形を用いた抽象画が多かったのですが、ハワイに移ってしばらくすると、上の絵のようにピンクや紫、褐色などカラフルで温かみのある色使いの作品が描かれるようになりました。褐色はハワイのサトウキビ畑の泥土から作られています。この作品では静かなもの(角)と動的なもの(丸)との調和を表現したかったそうです。色と形の配置のバランスも絶妙ですね。他にもハワイ時代は具象、抽象の域を超えた、多彩な作品が生まれました」。
巨匠と言われる段階になっても、好んで流行の音楽を聴き、映画の最新作を観に行っていたという猪熊さん。その好奇心が晩年まで衰えることのなかった制作意欲の源だったのかもね。
猪熊さんの新しい世界にニコニコ進んでいくパワー、ぜひ美術館で感じてみてくださいね!
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 香川県丸亀市浜町80-1 10時~18時 休/月曜(祝休日の場合はその直後の平日)、年末12月25日から31日、および臨時休館日 観覧料/企画展:展覧会ごとに定めます 常設展:一般 300円
取材・文/KAORU