いつの時代も「働き方」に悩むのは30〜40代。本企画では、憧れの先輩たちがどのような働き方をしてきたかを取材。今回は、美容家でありスキンケアブランド「FTC」クリエイティブディレクターの君島十和子さんが主役。彼女の過去・現在・未来を探る。
1966年生まれ。スキンケアブランド「FTC」クリエイティブディレクター。
高校卒業と同時に、航空会社のキャンペーンガールとしてデビュー。映画やTVなどで女優として活躍後、結婚を機に芸能界を引退。元皮膚科専門医の夫と共に2005年にスキンケアブランド「FELICE TOWAKO COSME[フェリーチェ トワコ コスメ](現FTC:エフ・ティー・シー)」を設立。20代前半に見舞われた肌トラブルを治した自らの経験をもとに、豊富な美容知識と持ち前の好奇心で多くのヒット製品を生み出す。自身の美容メソッドを多くの人に伝えるために、YouTubeなどにも精力的に挑戦している。23年4月下旬に著書『アラ還十和子』を上梓予定。
19〜21歳の3年間、焦げるほどの小麦肌だった
幼稚園から大学まで一貫教育の私立の女子校で育った君島十和子さん。
その美少女ぶりを世間は放っておかず、中学時代からファッション誌『mcSister』でモデル活動を開始。高校3年で「'85 JAL沖縄キャンペーンガール」に選ばれた。
「そのまま大学に進むつもりだったので、オーディションもふんわりとした気持ちで受けていました。沖縄に何度も行って、19〜21歳の3年間は焦げてしまっているかのような小麦肌。メイクをしなくてもキュッと小顔に見えていましたし、時代的にも日焼けが美徳だったので、何も考えずにガングロをキープしていました」
小麦色の肌が美しい、十和子さんのJAL沖縄キャンペーンガールのポスター。
22歳でさまざまな肌トラブルに見舞われる
仕事は順風満帆。『JJ』の専属モデルになり、連続ドラマで女優デビューも果たす。ところがキャンペーンガールが終わって、はたと気づくと自分だけが小麦肌で浮いていた。22歳にして、シミ・ソバカス、小ジワ、毛穴の開きなどのトラブルが続出!
「クチコミを頼りに、あれこれコスメを試してみては肌あれして、それをきちんと落とさないからまた肌あれして……雑誌の出番も激減し、途方に暮れました。日焼けを3年間し続けた結果、それをリカバーするのに3年かかりました。自分の肌とこんなに向き合った3年間は後にも先にもありません!」
『JJ』の表紙を飾る十和子さん。(『JJ 1986年 4月号』/光文社)
26歳で肌あれループから脱出。“美を語る女優”として活躍
肌悩みを抱え、「人前に出るのが本当に嫌だった」と語る十和子さん。美しい人だらけの芸能界でコンプレックスに押し潰されそうになりながら、ちょっとでもいいと聞いたコスメやサプリ、ダイエット法など懸命にストイックに試したという。
そして、26歳で、やっと人前に出られる(と本人が思う)までに美肌と自信を取り戻した十和子さん。「女性にとって、肌の善し悪しがこんなにも意味深いものと初めて知りました」としみじみ語る。
「先輩女優さんが、美の秘訣を聞かれて『特に何もしてないのよ』と話されるのを垣間見る機会がありました。でも、私は女性たちに私のようなコンプレックスをもって欲しくないことから、なるべくオープンに自分が試したおすすめの美容法をご紹介しました。そうしているうちに、“美を語る女優”なんて言われて、20代後半は、女優のお仕事と並行して、美の秘訣を語る仕事が多かったです」
29歳。結婚を機に芸能界を引退する
映画、TV、舞台と幅広く活躍する中、29歳で皮膚科専門医の君島誉幸(旧名・明)氏と結婚をし、芸能界を辞めた。義父は有名なファッションデザイナーの君島一郎氏。十和子さんも義父の会社に入り、日々勉強することに。
「結局、私はビューティのほうが興味があって。夫も皮膚科専門医でドクターとのおつき合いも多かったので、いろいろと美容の情報を聞ける機会がありました。
30歳の頃、たまたま『こんなUVクリームがあったらいいな』と夫に話していたら、OEM(他社ブランドの製品を製造する会社)の人を紹介してもらい、商品化することに。一主婦でしたけれど、20代前半の経験に基づいて紫外線の怖さをよく知っていたことから、信頼してもらえたようです」
十和子さんが最初に作ったUVクリーム
31歳で出産。子育てと仕事を両立
最初、UVクリームは義父のファッションブランドの店舗に置かせてもらった。すると、顧客の方々が「これ何?」と興味を示したという。「他にもスキンケア製品を作って」とリクエストをたくさんもらった十和子さんは、自分の経験とアイディアを生かして、洗顔料とミスト状ローションを開発して販売した。
十和子さんが開発し販売した洗顔料
「長女を31歳で産みましたが、まだこの頃は化粧品の開発・販売で食べていこうとは思っていませんでした。仕事はゆっくりと進めながら子育てができていたのですが、36歳で2人目を出産してからは、両立が本当に難しかったです」
39歳で、『フェリーチェ トワコ』を設立する
思い返してみて、「35〜40歳手前は本当に忙しかった」と話す十和子さん。
「夫が代表を務める会社に一緒に出勤し、日中仕事をして、帰宅すると食事や掃除などほぼ私の仕事。子供のお弁当作りもあり大変でしたね。1日1日があっというまでした。
さらに、“夫婦でやっていく”のはとっても難しかったです。夫は社長、妻は従業員。でも外に出れば私が前に出なくてはならずで…。揉めないように、“帰宅したら子供の前で仕事の話はしないようにしよう”、など夫婦間でいろいろルールを決めていました」
そして、39歳で自身の名前を冠したコスメブランド『フェリーチェ トワコ コスメ』を設立する。これは美容業界においても“あの、十和子さんのブランド”と、旋風が巻き起こった。雑誌にもTVにもたくさん登場して、まさに “元祖・インフルエンサー”。憧れの存在として多くのメディアで活躍した。
40代。最も忙しい10年を駆け抜ける
30代は子育てが忙しかった十和子さん。40代は仕事に邁進する日々。「40代が最も忙しかった10年でした」と振り返る。
「もっと多くの方に商品を知っていただくために、TVの通販番組に出演するようになりました。本当に大変なことが多かったですね。売れると思っていたのに全然売れなかったり、商品についてのクレームに傷ついたり。そのクレームに基づいて作った商品で失敗したり……。
番組の制作サイドの要求に応じつつ、“私流”を出すのも大変。原料は高いのに、定価をどんどん安くしなければならないことも辛かったです。そして何より、TVには本人が出るけれど、ブランドを本当に愛してくださっているファンの方の前には会報誌やイベントのみでしか登場しない、というジレンマにも相当悩みました。そこで、昨年4月に通販番組から卒業しました」
それでも通販番組には感謝しているという十和子さん。仕事において最もうれしかったのは、「マスカラを1日で約7万本売ったこと」と即答。
「1日に7回O.A.して、最後の回が終わったときに泣きました。それまでに、ネガティブな声を意識しすぎて作って失敗したマスカラを、試行錯誤して改善し、その結果完売したことは本当に忘れられない経験となりました」
50代、満を持してSNS発信をスタート!
自分がプレーヤーとして必死だった40代から50代へと歳を重ねることで、「もっと仕事を俯瞰で見られるようになった」と話す十和子さん。
「“想像力”が身についたというか、より筋道が見えるようになって面白くなってきました。私にとって美容の仕事は天職だと思っています。女性の感性を思う存分使って、共感や協力をし合って作るこの仕事が好きです。雑誌や通販番組の経験を経た今、SNSの発達で発信のしかたも変わってきましたね。今は、InstagramやYouTubeなどで発信するようになりました。まだまだ勉強中ですが、軽やかにやってみようと思います!」
今、ハマっていることは?
年齢不詳の美しさをキープしている十和子さん。透き通るような美肌の秘密は、“腸活”のようだ。
「腸は肌と直結。肌の調子がいいとマインドも影響してくることを実感しています。朝はゆで卵やバナナ、ヨーグルトにきな粉を入れるなどしています。時間があったらオートミールを豆乳に浸して食べたり。そして、空腹の時間をきちんと作ることも大事。この習慣で格段に肌の調子がよくなりました。皆さんにもおすすめです」
十和子さんの朝のお気に入り“腸活”レシピ
人生の先輩として@BAILA読者へメッセージ
「何か心に浮かんだら、今すぐやってみましょう。
悩んでいる時間は、事実上物事がストップしちゃいます。ストップすると答えから遠ざかってしまいます。正しいか否かはわからないけれど、失敗から学ぶことも多いので、まずは行動してみましょう!
『こう思っているのだけれどどう思う?』と、周りの人に聞いてみるのも大事。また、消去法で優先順位をなるべく客観的に選択していくことも必要です。
私も毎秒毎秒、優先順位を考えています。“コレがいちばん”と思ったものに全力投球すると、結果的に満足できるはず。いろいろなことを同時にやろうとすると中途半端に終わります。
まずはアクション!! 行動に移すことでチャンスを掴んでください。」