「ミラ オーウェン」でも活躍したデザイナー・坂上典子さんが新ブランド「ミースロエ」を立ち上げたのは、30代になってからの心や生活スタイルの変化がきっかけ。「洋服で人を幸せにしたい」というピュアな想いを貫き通した坂上さんの、意外にも不器用でまっすぐな奮闘ドラマをお届け。
30代、コロナ禍。確かで、大きな変化がきっかけだった。「ミースロエ」デザイナー 坂上典子さんが“込めた想い”
仕事も遊びもとにかく全力。20代はがむしゃらだった
3月3日にローンチするブランド「ミースロエ」の名は、ユニバーサル・スペースを提唱したドイツの建築家、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが着想源だという。彼の有名な二つの思想、「レス・イズ・モア(より少ないことは豊かなことである)」「ゴッド・イン・ザ・ディテール(神は細部に宿る)」に共鳴し、掲げたコンセプトは5つ。誰にでも着やすいこと、使う上での柔軟性があること、シンプルであること、軽やかでゆとりがあること、製品の環境貢献情報がすぐにわかること。ミニマルなデザインでありながら機能的に考えられていて、サステナブルであることを意識している。必要以上に着飾ることをしない、自立した女性に向けたブランドだ。
そして「ミースロエ」は、34歳のファッションデザイナー、坂上典子さんの熱意から生まれたブランドでもある。「一つひとつに想いを込めた、生み出す価値のある服作りをしていきたい」。そんなふうに自身の想いを投影したブランドを立ち上げることがすべてのデザイナーの夢かと思いきや、もともと坂上さんにその欲望はゼロ。「自分はずっと企業の中にある既存のブランドのデザイナーでいいし、それしかできない」と思っていたそう。
「26歳のときにマッシュスタイルラボに転職したのは『ミラ オーウェン』の立ち上げのタイミングでした。すでにコンセプトがあるブランドの中でデザインを考えるのが得意で、なんとなく平均点を取れてしまうタイプ。その代わり100点も0点も取れない。個性がないことがコンプレックスだったんです」
とはいえ、そのバランス感覚のよさは大きな武器に。昨年まで7年間在籍した「ミラ オーウェン」では、サブチーフデザイナーを任されるなど順調にキャリアを築いていった。
「毎月ある程度の型数のお洋服をバランスよく作ってお店に展開するために、仕事のサイクルはすごく早かったです。メンバーが少ない頃は、2カ月ほどで一人マックス80型。それを年に4回作っていました」
想像を絶する忙しさに追われながらも、作れば作っただけ売れていく手ごたえは、デザイナーとして何よりのモチベーションだった。「私がデザイナーを目指したのは、ファッションで人を幸せにしたいという想いが原点でした。とにかくものすごいスピードで洋服作りをしていましたが、人を幸せにしているという実感が持てることにやりがいを感じていたし、だから20代は楽しかったです」
上昇気流に乗ってがむしゃらに走り続けていた坂上さんの心境に変化が訪れたのは、30代に差しかかった頃。ふと、洋服に対する自分の気持ちが変化していることに気づいた。
「洋服を買いに商業施設に足を運んだときに、たくさんの服を前にしても買う理由が見つからなかったんです。もちろん可愛いとは思うので、20代の私だったら気分で買っていたはず。でも『本当にそれが欲しいのか?』と考えると、トレンド感が強くてワンシーズンしか着られなそうだったり、自分に似合うかわからなかったりで、そうは思えなくて。一方でDCブランドを見てみると、デザイナーの強い想いは感じるもののエッジィすぎて着ている自分が想像できなかったり、シンプルで長く着たいと思う服は高すぎて手が出なかったり。『こんなにたくさん洋服のブランドがあるのに、自分が欲しいと思うものはひとつもない』とふと感じたことが、ブランドを作りたい と思った最初のきっかけでした」
そんなささいな変化は、次第に人間関係や仕事への向き合い方、ライフスタイルなど、自身を取り巻くすべてに波及していくことに。
「20代は異業種の人とたくさん会ったほうがいいと思って、飲み会の予定もパンパンに詰め込んでいました。とにかく遊びも全力。ちょっとパリピでしたね(笑)。忙しかったので食事も適当なものばかり。でも30代になった頃から徐々に、日常の中で必要だと思うものの選別が進んでいく感覚があって。大切な人だけ近くにいてくれればいいと思うようになったり、ちょっといい無農薬の野菜を使って自炊を始めてみたり、石けんはオーガニックがいいと思うようになったり。自分をよく見せたいという想いから、自分の心が満たされるものに囲まれて、より本質的に生きていきたいという想いに変化していきました」
2020年春。コロナ禍を機に仕事のペースがスローダウンしたことで、30代になってから抱いていた心境の変化にじっくり向き合う時間ができた。そのことが「一つひとつに想いを込めた、生み出す価値のある服作りをしていきたい」という、デザイナーとしての誠実な欲望を強固にする大きな転機に。
「少し時間ができたことで、『このままじゃダメかもしれない、私は何をしたいんだろう』という気持ちが芽生えて。でももともと自分の気持ちを言語化するのが苦手なので、悶々と考えているだけでは想いがまとまらず、まずは自分に向けたプレゼン資料を作ってみることにしました。“自分の納得する原料、デザイン、コンセプト、シルエット、気分。自分の生き方に寄り添えると想像ができる洋服をまといたい”。文字と写真で可視化し始めたら、『私のように、ワンシーズンで捨ててしまう服はもういらない、本当に必要で長く愛せる服と人生を歩んでいきたいと思っている人はきっとたくさんいるはず。そんな女性たちの心に寄り添って、幸せにできる服を作りたい』という想いがどんどん強くなっていきました」
アパレルで働く友人たちにその資料を見せると、共感してくれる人は多かったそう。「これは私たちみんなふわっと思っていることだよねって。でも『だからこそブランドを作るならもっと唯一無二の強みがないと勝てないと思うよ』とも言われて、私も本当にそうだと思ってずっと考えたんですが、結局わからないまま数カ月がたってしまいました」
自分の想いや考えを明確にするために、最初に自分向けに作ったイメージボードやデザイン画
30代になると、必要なものの選別が徐々に進んでいった
また、坂上さんはいち企業デザイナー。会社は好きだったものの、自分がやりたいことを実現できるブランドが社内にはなかったため、どうしたらいいか迷うことにもなった。
「せっかくプレゼン資料を作ったので社長に見せたいと思い、そのために作り直していたのですが、忙しい人なのでなかなかチャンスがなくて。でもあきらめきれず、このまま日々の忙しさに流されていたら30代が終わってしまうと感じて、そんな想いをぽろっと当時の上司に話しました。そうしたら『絶対社長に見せたほうがいいよ』と言ってくれて、そのことを社長に伝えてくれたんです。私が抜けたらチームに大きな負担をかけるのに、全力で応援してくれたことは本当にありがたかったです。それで奇跡的に、1時間だけプレゼンする時間をもらうことができました」
資料を作り始めて8カ月。念願だった社長プレゼンを前に、もちろん準備は万全。熱い想いだけでなく、販売戦略までしっかり考え、スピーチ原稿を頭にたたき込んで臨んだ。
「でもいざ社長室に入ったら、緊張で準備していたことが全部吹っ飛んで頭が真っ白になってしまいました。結局私はパソコンでプレゼン資料を見せてそれを読み上げただけ。『正月休み明けにもう少し具現化したイメージ写真を持ってきて。オレもちょっと考えるから。解散!』で終わってしまいました。でもすごく印象的だったのは、周りの友達からアドバイスされた“唯一無二の強み”について、考えても見つけられなかったと伝えたら、『強みはこの想いだけでよくない?』と言われたこと。戦略や手法ではなく、想いを素直に込めて、想いがトップにくるブランドがあってもいい。社長からの言葉が自信につながりました」
その後、2021年の年明けから社長と1対1でミーティングを重ねてブランディングを構成。夏には、2022年3月のデビューに向けてファーストサンプルを作り始めた。
「私がずっと憧れているのは2017年までセリーヌのデザイナーを務めていたフィービー・ファイロ。彼女が、他人目線ではなく女性が自ら着たいと思える新しいスタイルを示してくれたように、『ミースロエ』も今の時代の女性たちが『自分のために服を着る』ということを大切にしていきたいと思いながらデザインしています。だから本当に必要なものだけ、必要な型数を作ろうと思ったので、ほかのブランドではありえないくらい構成比率はめちゃくちゃ(笑)。コートは一着しかないですし、パンツがやたら多くてスカートが少ないんです。MDに合わせてバリエーションを増やすより、コートはお気に入りの一着を毎日着ればいいと思っているし、仕事でもプライベートでも着られるパンツが私は欲しい。等身大の私の生活実感から生まれるもの、周りの友達や私が着てほしいと願う自立している働く女性たちの生活に寄り添えるものを作ろうと決めていたので、できたのは52アイテムだけ。『これはどういう人がどういうときにどんな場所に着ていくかな』とストーリーをじっくり考えて一つひとつに想いを込めたら、それ以上は必要なかったです。でき上がった洋服はどれも“私らしい”と言われますが、そのらしさとはきっと、とんがりすぎず、ソリッドすぎず、人に寄り添っていること。ミニマルで機能性に優れていて、快適でストレスがない。ブランドのコンセプトに掲げている、ピュアでクリーンでモードな服ができたと思います」
社長プレゼン用に作った資料。「私の想いがいちばん濃密に込められています」(坂上さん)
サンプルの社内お披露目。帽子の方が社長
サステナブルな素材を使うことも、「ミースロエ」にとって必然なことだった。
「サステナブルという言葉だけが独り歩きしないように、責任を持って素材や工場を選定しているし、そもそも『不要なものは作らない、長く愛される服を作る』ということが『ミースロエ』にとってのサステナブル。リサイクルの素材はもちろんいいものだけど、それを女性の気分の上がるアイテムにちゃんと落とし込んで、長く着続けてもらうことが何よりも大事。そのことを意識しながら作りました。自己満足な服は一着も作っていません。まずは店舗を持たずにECサイトでの展開にしたのも私の希望でした。ECなら、どうしてこの服を作ったのかという『ミースロエ』の根本にある想いをそのままの熱量で、最短距離でお客さまに届けられる。本当の意味でのDtoCブランドにしたいと思ったんです」
一人の社員の発信で新たなブランドを立ち上げたことは、社内的に異例なことだという。それでも、彼女の勇気ある一歩はきっと同じデザイナーたちの未来につながっている。
「社内には優秀なデザイナーがたくさんいるので、『ミースロエ』が成功したら、その子たちの励みにもなるかなって。会社にいながら新しく生まれた夢を実現することはできる。そういう姿を後輩に見せていきたいです」
ブランドコンセプトと同じく、実際の坂上さんも、どこまでもピュアな人だ。
「売れるとわかっていてもむやみに型数を増やさず、目先の利益に飛びつかない本質的なブランドにしていきたいです。最初に社長に見せたプレゼン資料がブランドの軸。その想いが多くの人にじんわりと伝わっていけたら嬉しいですし、賛同してくれる人を幸せにしたい。30代は自分の想いにまっすぐに、ピュアに向き合って仕事をしていきたいです」
とんがりすぎず、ソリッドすぎない、私らしい服ができた
撮影/森脇裕介 取材・原文/松山 梢 ※BAILA2022年3月号掲載