忘れたいのに心に根を張っている怒り、悲しみ、悔しさ。できることなら忘れたい...「根に持つ」がつらいココロのほぐしかたを僧侶・掬池友絢さんにお伺いしました。
仏教的にいうと「根に持つ」には二つのキーワードがあります。まず、いつまでも恨みに思って忘れないということは、とらわれであり「執着」です。そしてもうひとつは「煩悩」。
「根に持つ」の根源は怒りや恨みで苦しみのもととなるので、煩悩のひとつになるんです。執着も煩悩も、持たないほうがいいものとされていますが、同時に「人間ならば必ず持ってしまうもの」でもある。普通に生きていたら誰だって怒ったり、恨んだりしてしまうもの。だから、その当たり前を手放すために僧侶は修行します。
物事はいろいろなつながりによって起こり、人間にはコントロールできません。根に持っている出来事は、自分ではどうしようもないことで、起きてしまったものはしょうがない。でも、執着や煩悩である「根に持つ」を持ち続けるのは苦しい。ならば、受け止め方を変えるしかないんです。「自分を見つめ直すきっかけ」としてとらえ直してみてはどうでしょうか。
「根に持つ」の陰には、羨望や嫉妬などが隠れていることも少なくありません。その複雑な感情をひもとくと、コンプレックス、なりたい自分像、何を大事にしているかなど、自分自身をより深く知れる可能性があります。「私、根に持っているな」と気づけたときはチャンスです。プラスの感情だけでなく、マイナスの感情の中にも新しい発見があります。そして、掘り下げた先で見つけた自分を否定せず抱きしめてあげてください。そうすれば、「根に持つ」を意味のあることに変えていけると思います。
僧侶
掬池友絢さん
きくち ゆうけん●1975年、静岡県生まれ。僧侶。浄土宗蓮馨寺副住職。ILAB(国際仏教文化を学ぶ会)役員。隔月で女性向けオンラインお話会を開催。著書に『泣きたいときには泣いていい走り続ける尼僧がすすめる「小さな実践」』(講談社)。
取材・原文/東 美希 ※BAILA2022年10月号掲載