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体操元日本代表 田中理恵さん、暗黒時代から抜け出した弟からの衝撃なひと言とは?【仕事の景色が変わった日】

体操選手としてロンドンオリンピックに出場するなど世界を舞台に活躍した後、現在は大好きな体操を広めるべく、様々なジャンルで活動している田中理恵さん。そんな彼女に、人生のターニングポイントを聞いてみました。

葛藤の3年間を終わらせた弟からの衝撃のひと言

毎日悪夢を見ているような苦しかった時期がある

体操選手としてロンドンオリンピックに出場するなど、世界を舞台に活躍し、2013年に現役を引退。現在は大好きな体操を広めるべく、様々なジャンルで活動している田中理恵さん。彼女のYouTubeチャンネルをのぞくと、ストレッチ動画やアスリートとの対決動画、4歳の娘の母としての飾らない日常を綴った動画などがずらり。そのどれもがはつらつとしたエネルギーに満ちていて、見ているだけでパワーがみなぎってくるよう。撮影日はあいにくの雨。しかも「朝は娘が幼稚園に行かないとぐずって大変だったんです」と、母ならではの苦労を打ち明けてくれたけれど、その表情は満面の笑み。ちっとも大変そうじゃない。

「仕事で緊張する場面でも、日常の中で苦手なことをしなきゃいけないときでも、常に楽しさに変えようと意識しているかもしれません。自分が機嫌よく笑っていれば周りも笑顔になってくれるじゃないですか。『自分が現場の空気をつくっていくぞ!』って気持ちで、毎日仕事に向かうようにしています」

ただし、過去にはトレードマークの笑顔が消えた3年間が。彼女が「暗黒時代」と語る、高校時代の話だ。

「中学3年生のときに足首のケガをしたのですが、ちょうどその頃に月経が始まり、身長は18㎝、体重も10㎏以上増えてしまいました。それまで“ザ・体操選手”って感じの細くて小柄な体型だったので、胸が出てきたりお尻が大きくなったりする体型の変化を受け入れることができなくて……。レオタードを着ることすら恥ずかしいと思うようになっていったんです」

心の中の混乱と葛藤は、監督やコーチへの反抗というかたちで現れた。

「返事をしないとか、今思うと小さい反抗だったんですけどね。平均台で落下すると器具のせいにしちゃったり、体が動かないことを雨のせいにしたり。常に何かのせいにしていました。努力することがカッコ悪いとさえ思うようになり、反抗期のままダラダラと3年間を過ごしてしまったんです」

転機となったのは高校3年生の冬。体操をやめて地元の和歌山で就職をするか、大学に進学して体操を続けるかの選択で悩んでいたときだった。

「その日も『練習ダラダラやっちゃったなあ』と思いながらストレッチをしていたんです。すると、一度もケンカしたことがない仲のいい弟に突然、『そろそろ本気でやりなよ』と言われました。頭を殴られたような衝撃を受けましたね。2歳下の弟は日の丸を背負ってすでに世界で戦っていたので、いちばん頑張っている人に言われたことが恥ずかしかったし悲しかった。たくさん反省をしたし、なんとかして変わらなきゃだめだと思った瞬間でした」

それほど苦悩しながらも、3年間練習を続けていたこと自体が不思議。

「それはもう、田中家に生まれた宿命ですね(笑)。両親とも体操選手でしたし、兄も弟も体操をしていましたから。常に家族一緒に行動していたので、体操をやめたら私独りぼっちになっちゃうじゃないですか。家族のことは大好きだったので、体操をやめるとは簡単に言えなかったですね」

小学校1年生から毎日、夜10時過ぎまで練習する日々。それでも、ケガをするまでは練習が大好きだった。

「回ることも跳んだりすることも楽しかったし、3兄弟で体育館に通うことも、まるでお友達と遊びに行く感覚でした。『家で体操の話はしない』という田中家のルールがあったので、暗黒時代にコーチに反抗していても両親は一切怒らず、『楽しい体操人生を自分でつくっていきなさい』『笑顔でいなさい』としか言いませんでした。なんで怒ってくれないんだろうと思うこともあったけれど、何も言われなかったからこそ、自分の頭で考えて行動できる人間になれたのかもしれません」

死ぬ気で頑張った4年間は人生の財産

死ぬ気で頑張った 4 年間はの人生の財産

日本体育大学に進学し、競技を続けることを選んだ彼女は、体操人生を変えるまったく新しい考えと出会う。

「身長が大きい私は、細くて小柄な選手のようにたくさん回ったり、たくさんひねったりする高難度の技ができませんでした。ところが大学で新たに出会った監督とコーチは、『その体型を生かした田中理恵の体操を作ればいいんだよ』と言ってくださったんです。たとえば3回ひねりで着地に失敗するよりも、減点されない完璧な2回ひねりを目指そうと。技の質を上げ、さらに女性らしい体型を生かして表現力を磨いていくという考えは新鮮でしたし、第2の体操人生が始まった気がしました」

大学3年のときには北京オリンピック予選で8位に入賞。「あと3人抜けば出場できたんだ」と知ったことで、オリンピックは“夢”から“目標”に変化。徹底的に練習と体調を管理するストイックな生活を送り、4年後、見事ロンドンオリンピック出場を果たした。

「明日があると思って生きていちゃだめだなって、その頃に思ったんです。死ぬ気で頑張った4年間があるので、引退後はどんな場面に直面しても『あの頃に比べたら全然余裕じゃん』と思えるようになりました。苦手なことがあっても『24時間のうち1時間だけ頑張ればいいんだ』と考えて一つひとつクリアしていくマインドは、体操人生で培ったものかもしれません」

もうひとつ、田中さんのポジティブさは、採点競技の世界に身を置いていたから培われたものでもある。

「完璧な演技ができたと思っても、審判に減点されることはあります。そんなときは『どこを減点しましたか?』と聞いて次に生かすようにしていました。物事に対する反応は人それぞれ。結果を思い悩むよりもまず、改善点を見極めて目標を立てる現役時代のクセは、今も生かされています。たとえばYouTubeで再生回数が伸びなくても『OK! じゃあ次はテンション上げたバージョンで試してみよう』と思える。常に自分が思うベストを全力で表現しているからこそ、前向きに気持ちを切り替えられるのかもしれません」

現在の目標は「おばあちゃんになっても体操の楽しさを伝え続けること」。きっと田中さんは、その目標を確実に実現させるに違いない。

田中理恵さん

体操元日本代表

田中理恵さん


たなか りえ●1987年6月11日生まれ、和歌山県出身。兄・和仁さん設立の「田中体操クラブ」ゲストコーチ。公式YouTubeチャンネル「田中理恵RIE TANAKA」でも体操の魅力を発信している。今後は直接会えるイベントなどを開催し、「『これがオリンピック選手か!』とモチベーションを上げられる存在になりたい」と語る。

撮影/YUJI TAKEUCHI〈BALLPARK〉 ヘア&メイク/TOMIE 取材・原文/松山 梢 ※BAILA2022年8月号掲載

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