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#篠原ともえ さん、デザイナー・アーティストとしてものづくりに必要な“愛すること”【仕事の景色が変わった日】

仕事のカタチは変わっても熱い内面は変わらずそこに。走り続ける篠原ともえさんは情熱的であることの格好よさを体現するひとでした。デザイナー・アーティストとして活動する篠原さんの服づくり、ものづくりの極意とは?

“愛する仕事、夢中になれる仕事を育てるために学ぶ”

デザイナー/アーティスト 篠原ともえさん

「自分のため」のデザインが「誰かのため」に広がった

16歳で歌手デビューし、カラフルなファッションと明るい人柄で、’90年代にシノラーブームを巻き起こした篠原ともえさん。現在はデザイナー・アーティストとして活動している彼女にとって、仕事は“好き”をかなえるために飛び込んで見つけた居場所だという。

「中学3年生で受けた歌手のオーディションは、自分の意志で応募しました。幼少期にバレエを習っていたこともあり、スポットライトを浴びて表現する職業に憧れていたんです。と同時に、洋服の絵を描くことも好きだったので、ものをつくるデザインの仕事にも憧れがありました。だから、歌手デビューしてTVやステージに立ったときは、『つくったものをみんなに見てもらえる!』という感覚があって。すべて自分でスタイリングしたり、着たい衣装を自作したりしていました。表現する夢がかなったその場所は、大好きな装いを思い切りしていい居場所でもあったんです」

取材日の衣装は、きものから着想を得て自らデザインしたシルクのドレス。撮影の雰囲気とトーンに合うよう、ブルーをセレクトしたという。

「10代の頃のようにポップでカラフルなスタイリングは少なくなりましたが、今もビビッドな色のお洋服を着ることはあります。その場の状況に合わせて装いを選ぶことは、昔から変わっていません。ただ、変化した部分でいえば、シンプルを愛せるようになったこと。個人的には、好きなものが増えて、選択の幅が広がったと思っています」

自分のためのデザインだけでなく、誰かのためにデザインをする“今”につながるきっかけは、20代で多くの舞台に立つようになったことだった。

「台本を読んでいると『こんな服を着たら楽しいだろうな』とか、アイディアが次々浮かび上がってきちゃって。俳優としてお受けすると同時に、衣装のプレゼンテーションをしたんです。それを採用していただくことが少しずつ増えていき、誰かにデザインを提供する嬉しさを感じるようになりました」

篠原さんのデザイナーとしての手腕は評判を呼び、松任谷由実さんや嵐のステージ衣装なども手がけるように。規模が大きくなることは喜びである一方、プレッシャーにもなっていった。

「30代に入り、スキルを試される仕事が増えてきたんです。当時はリサーチからプレゼン資料、デザイン画や素材選びまで一貫して一人でやっていたので、スケジュール的にもタフな状況でしたし、乗り越えられるか不安を感じ始めるようになりました」

デザイナー/アーティスト 篠原ともえさん

見たことのない景色を自分に見せたくなった

悩みと葛藤の中にあった彼女の視界が開けたきっかけは、アートディレクターである夫・池澤樹さんとの出会い。チームでアイディアを出し合い、みんなで作品を力強くしていくプロセスを初めて知ったとき、「求めていたものはこれだ」と確信した。そして、所属していた芸能事務所を辞め、1年間、芸能活動を休止するという決断をした。

「思い返せば、これまで挑戦しなかったことってないんですよね。歌や舞台、ナレーションなど、出会ったことに常に好奇心を持って挑戦してきました。だから、芸能活動を一時やめることも、私にとっては新たな挑戦。やったことがないことに挑戦して、見たことのない景色を見たくなったんです」

徹底して時間を費やしたのは、デザインのスキルとクオリティを上げること。かつて通っていた文化女子短期大学(現・文化学園大学)に再び通い、パターンなど専門的な授業をあらためて受け、学びと創作に没頭した。

「10代の頃に短大に進学したことはもちろん、歌を歌うときにはボイストレーニングに通っていたし、舞台のお仕事をいただいたときはお芝居の先生についてもらってレッスンをしてきました。自分の表現を強くして目の前の課題をクリアしていくことは、プロの仕事のマナーだなと思っていて。デザインの世界に入ることを決断したからには、学ぶべき学校に通って、いろんな先生に意見をもらい、しかるべき時間をかける。極めるには時間がかかるけど、じっくり向き合うことで初めて結果につながると信じています」

現在はカリグラフィー、書道、版画、CGを習っている最中。さらに、面白そうなワークショップを見つけたら積極的に参加するようにしている。   

「夫と立ち上げたデザイン会社の名前『STUDEO』はラテン語で“study=学ぶ”の語源。知って、学んで、放つという工程は、私の基礎になっています。デザインに関することは時間を忘れるほど夢中になれるけど、今はスケジュール管理や経理、雇用まわりなど、不得手なこともちょっとずつ教えてもらいながら取り組んでいるところ。表現とはまた違った事務的な作業ですが、それもきっとデザインに役立つはずだと思うんです。すみからすみまで自分の職業を愛するため、そして、心地いい居場所をつくるために、逃げずに一生懸命向き合おうと思っています」

自分を愛して向き合えばおのずと道はひらける

ちなみに今回の撮影でトルソーに着せているのは、篠原さんがデザインを担当した「タカラスタンダード」の新しいショールーム制服。水回り商品を扱う会社のため、水の流れをイメージした切り替えラインを施したそう。クライアントワークで大切にしていることは、徹底的に相手をリサーチし、歴史や背景を知ること。その対象を掘り下げる矢印は、ときに自分にも向けられる。

「“知る”とか“リサーチする”というよりも、どちらかというと“愛する”という表現に近いかもしれません。どんなときに心が揺れるのか、自分自身に問いかけて、丁寧に向き合うようにしています。私の場合は、おばあちゃんがかつてきもののお針子さんをやっていましたし、お寿司屋さんだった両親は、ジャンルは違うけれどつくることを生業にしていた。迷ったり、めげてしまいそうなときにルーツを振り返ると、ものをつくる人生は正しいと思えるんです。自分を愛して、見つめる時間をつくることで、どういう人生を歩みたいのかが、おのずと見えてくる気がしています」

ワンピース・パンツ/本人制作 ネックレス・イヤリング/ROSE VIF リング/メレリオ

篠原ともえさん

デザイナー/アーティスト

篠原ともえさん


しのはら ともえ●1979年3月29日生まれ、東京都出身。ともに会社を立ち上げた夫の池澤樹さんとは、休日に美術館や映画館へ。「『これはグラフィックに生かせそう』とか、常にクリエイティブソースを見つけて盛り上がります。仕事と私生活の線引きはあまりないけれど、それが私たち夫婦の在り方なのかも」

撮影/目黒智子 ヘア&メイク/ナリタミサト 取材・原文/松山 梢 ※BAILA2022年12月号掲載

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