きっかけは住んでいた街が出てきたからだった

懐かしい街から始まった、少し怖い物語。吉田修一『パレード』を読んで
吉田修一さんの『パレード』を読んだきっかけは、ちょっと変わっています。
千歳烏山や芦花公園周辺が物語に出てくると知ったから。
以前、私は芦花公園の近くに住んでいたことがあって、千歳烏山もよく知っている場所でした。
昔の自分が実際に歩いたり走ったりしていたような場所が登場する。
それだけで、急に読んでみたくなりました。
本を開いて、自分が知っている地名が出てくると、それだけでちょっと嬉しい。
「ここ、分かる」
「この辺かな」
と、頭の中に昔住んでいた街の景色を思い浮かべながら読み始めました。
最初は、そんな懐かしさから入った作品でした。
ところが、読んでいくと、思っていたよりずっと不穏です。
物語は、都内のマンションで共同生活を送る男女5人を中心に進んでいきます。
それぞれ年齢も職業も性格も違う。
一緒に暮らしているからといって、特別に仲が良いわけでもない。
お互いに深入りしすぎず、適度な距離を保ちながら生活しています。
この距離感が、最初はとても現代的だと思いました。
他人のことに踏み込みすぎない。
自分のことも話しすぎない。
相手の生活を尊重する。
一見すると、とても平和な共同生活です。
でも、読んでいるうちに、その「ちょうどいい距離」が少しずつ怖くなってきます。
一緒に暮らしているのに、本当の意味では相手のことを何も知らない。
相手も、自分のことを何も知らない。
それでも日常生活は普通に成立してしまう。
これって、共同生活に限らず、今の人間関係そのものなのかもしれないと思いました。
職場でも、友達でも、SNSでも、私たちは相手の一部分しか知りません。
毎日会っている人でも、家に帰ってから何をしているのかまでは知らない。
逆に、自分も相手に見せている部分しか知られていない。
そう考えると、「仲が良いから相手のことを分かっている」というのは、案外あやふやなものなのかもしれません。
『パレード』を読んでいて怖かったのは、登場人物たちが特別に異常な人たちには見えないことでした。
どこにでもいそうな人たちが、普通の生活をしている。
それなのに、少しずつ違和感が積み重なっていく。
その「普通の中にある怖さ」が、この作品の魅力だと思います。
そして私にとっては、そこに懐かしい街の風景が重なっているのが不思議でした。
昔、自分が歩いた道。
走った道。
何気なく通り過ぎていた駅や街。
私にとっては完全に「日常の風景」だった場所が、小説の中では登場人物たちの生活の舞台になっている。
それだけで、物語が急に現実に近づいてくるような感覚がありました。
小説を読んでいて知っている場所が出てくると、私はかなり嬉しくなるタイプです。
観光地のような有名スポットではなく、普通の駅や通りの名前だったりすると、なおさら。
「ここを歩いていたんだな」と思うと、作品の中に自分の記憶まで少し入り込んでくるような気がします。
ただ、『パレード』の場合は、その懐かしさだけで読み終われない。
読み終わったあとには、「人と一緒にいること」と「その人を知っていること」は別なんだな、という感覚が残りました。
むしろ、近くにいるからこそ見えないものもある。
毎日顔を合わせているから、相手を分かったつもりになってしまうこともある。
それが、この作品の怖さなのだと思います。
昔住んでいた街を懐かしく思って読み始めたのに、最後には人間関係について考えさせられることになりました。
今度そのあたりを歩くことがあったら、以前とは少し違う景色に見えるかもしれません。
「あの道、確かに知ってる」
という懐かしさと、
「でも、そこにいる人が何を考えているかなんて、実際には分からないよな」
という少し嫌な感覚。
その両方が残る、不思議な読後感のある一冊でした。
昔住んでいた街が出てくる小説を探している方にも、純粋に人間関係の怖さを描いた作品を読みたい方にもおすすめしたい作品です。
私にとっては、懐かしい場所を入口にして、思いがけず人間の「分からなさ」を覗き見ることになった一冊でした。























































