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【齋藤薫の働き方】@BAILA独占! トップオブトップの美容ジャーナリストが初めて語る過去・現在・未来

いつの時代も「働き方」でいちばん悩むのは30~40代。今、憧れの人生を送っている先輩たちも、実は同様に悩んでいた時期が! 本企画では、女性の先輩たちの働き方や、壁にぶつかった際にどう解決してきたかなどを取材。

第2回は、美容ジャーナリストの齋藤薫さんが登場。これまでご自身のことを語ることがほとんどなかった齋藤さんが、@BAILAだけに自身の過去・現在・未来を語ってくださった。

齋藤薫さんのバストアップ写真

美容ジャーナリスト

齋藤薫


婦人画報社(現、ハースト婦人画報社)にて『25ans』編集部に所属し、30歳で独立。その後現在に至るまで、ありとあらゆる雑誌や化粧品広告などで執筆。独特の感性で世相を斬る“薫節”は、唯一無二。

大学時代は新聞社でアルバイト。新聞記者になるのが夢だった

女友達がファッション誌に夢中になるなか、齋藤さんは週刊文春や週刊新潮を愛読する学生だった。やがて新聞記者に憧れるようになり、大学時代は新聞社でアルバイトをするように。
 
「あわよくば記者になれるかなと。そんな気持ちで就職活動もせずに新聞社でお手伝いを続けていました。そんなある日、 “女性誌が創刊される”という小さなコラムを頼まれて、取材に出かけたんです。それが『25ans』でした」
 
そこで、「うちの試験を受けてみない?」と誘われ、思いがけなく女性誌編集者の道に。
「あのとき取材に行かなかったら、今の私はなかったかも」と笑う。

20代は深夜も土日も関係なく仕事漬け。ばく然と“30歳で辞めよう”と思っていた

30歳の齋藤薫さん。会社を辞めるときの送別会で。

出版社を退職する際の送別会で。

何もかも初めての雑誌の仕事。美容のみならず、ファッションやカルチャーページも担当し、企画をイチから考えて、スタイリングもライティングもひとりでこなすのが婦人画報社スタイル。

「深夜も土日も関係ない生活をしていたけど、すごく楽しかったです。刺激的な毎日でした」
 
そして30歳のとき、7年間在籍した会社を辞めた。

「燃え尽きたんだと思います。結婚もしたかったし。何より朝早く起きたくなかった(笑)。
今ではありえないけれど、職種的に“30歳定年説”があって、30歳までに結婚して辞めたかったんでしょうね。
けれども結局、独り身のまま、しかも次の就職先もないまま勢いだけで辞めました。
こんなに思い切ることができたのは、実は占いのおかげ。八王子の山奥の方にいらした著名な先生に観てもらい、“あなたは勘だけはいいから、自分が思ったままに進みなさい”と言われて決断できました。
そこでまずしたのが歯医者通いと自動車免許取得(笑)。20代、忙しすぎてどちらもできなかったので」

31歳で事務所を持ち、雑誌隆盛期で、仕事の依頼が急増

会社を辞めたものの、雑誌の編集、さらにはメーカーからも執筆依頼の声がかかり、「気づけば毎日仕事をしていた」と語る齋藤さん。
 
「だんだん一人では難しくなり、翌年には『斉藤オフィス』をつくりました。ただ、メンバーは多いときでも3〜4人。元婦人画報社の営業職や事務職だった人たちも集まってくれました。

その頃から『Make-up Magazine』(学研プラス)や『How to Make-up』というムック本(婦人画報社)など“美容専門誌”の編集やライティングをするようになり、美容の仕事が急増して。
本を作る現場が好きだから、結局、会社を辞めても同じような仕事をしていて、何なんだろうと思ったことも(笑)」

坪山新さんが描いた齋藤薫オフィスのメンバーのトートバッグ

齋藤薫さんのオフィスの創立記念で作ったトートバッグ。メンバーのひとり、イラストレーターとして活躍する坪山新さんが手がけた。

33歳頃、自身の名を冠した雑誌連載が始まり、連載本数も激増

“薫節”と言われる齋藤さんならではの文体(〜だ・〜である調)は、当時の女性誌では珍しかった。
 
「私は、もともと男性週刊誌が好きで時事ネタが好き。なので、私の書くビューティの原稿には、ファッションやカルチャー(時代背景など)を絡めた硬派なものを書きたかったんです。それが珍しかったのかな。
30代後半頃、雑誌がどんどん創刊されたこともあって、新連載や化粧品会社のリーフレットなどのお仕事が増えて、いつしか月に20連載くらいしていました。単発もろもろ含め、毎日3、4本は締め切り原稿を抱えていたと思います」

同時期に海の見える別荘を購入。オン・オフのスイッチをしっかり入れるように

仕事に追われる日々のなか、
「仕事一辺倒はイヤだ、土日は仕事を一切しないでちゃんと遊ぶこと」をモットーとしていたこともあり、齋藤さんは自分で葉山に別荘(マンション)を買った。33歳のときだ。
 
「“移動”って重要なんです。ものすごく気分転換(ストレス発散)になる。週末になると別荘に“移動”して、朝から海。友達もしょっちゅう遊びに来てくれて、一緒に真っ黒に日焼けしていました。
実は40代で山のほうにも別荘を買い、週末は山か海へ“移動”していました。翌週から頑張るための、大きな原動力になっています」

齋藤薫さんが撮影した海の別荘から見える夕景

齋藤薫さんが撮影した海の別荘から見える夕景

「”月の道”を見るのが何よりも好き」と話す齋藤薫さん

別荘からの夜景。「”月の道”を見るのが何よりも好き」と齋藤薫さん

39歳で結婚。「急に解放された」気がして、書く内容の幅が広がる

齋藤さんは40代を目前に結婚する。ここから、内面に大きな変化を感じたという。
 
「ひとつ、ぴーんと張っていたものから解放されたというか。
結婚願望が強かったし、なんだか男の人みたいだけれど、家庭を持ったことでのびのびできました(笑)。
恋の悩みも数多く経験してきたので、恋愛の話は書けても、何か偏っていた。それが恋愛の話も客観的に書けるようになって幅が広がりました」

この頃から、女性の美しい所作や生き方を指南する著書の執筆も数多く手がけるようになる。
 
「30代の頃は、40歳を過ぎても仕事を続けられるのだろうか、と思っていたのに……。
基本的に、“仕事は断らない”のがポリシーだったので。これは、母にかつて『いただいたお仕事はすべてやりなさい』と言われたことが大きかったし、母が“仕事をしている私を見るのが好き”だったことも関係しています。

だから忙しすぎて文章が雑になったりして、このままではまずいと強いジレンマを抱えることもありました。でも、辞めどきが分からないまま続けてしまいました」

齋藤さんの数々の著書。多くの悩める女性たちの背中を押してきた

齋藤さんの数々の著書。多くの悩める女性たちの背中を押してきた

50代でライフワークの「音楽倶楽部」を始める

実は、編集者時代から「ビューティだけの脳にはなりたくない、“一面”とか“片面”だけはイヤ」と思い続けてきた齋藤さんは、未来を見据えてライフワーク的なもうひとつの生き方を模索していた。
 
「仕事以外に何かを持っていたかったんです。40代でチェロを習い始め、50代に差しかかったときに“もう一面欲しいな”と思って、演奏を聴きながらワインが飲める“音楽倶楽部”をつくりました。
以前から合唱部をつくったり、大人の倶楽部活動のような場をつくりたかったのと、若い音楽家たちの発表する場となれば、と思って」
 

齋藤薫さんのチェロ。

齋藤薫さんの趣味のひとつ、チェロ。


仕事においては、59歳のときに友人たちがリタイヤする準備などを始めるのを見て、自分自身にも心境の変化があったという。

「正直、“やり切った感”があって。“もういいかな”って思いました。
ところが世の中が“人生100年時代”を謳うようになり、50代以上をターゲットにしたお仕事が増えてきて……。

100年も生きなきゃならないなら、経済的なこともあるし、今はもう少し頑張ろうかなと。情けないけれど、私、結局いつも成り行きまかせの人生なんです(笑)」

齋藤薫さんが好きな教会

海外での教会巡りも齋藤薫さんにとって大好きな時間。

60代の今、30~40代の働く女性たちに伝えたいこと

30年以上、美容ジャーナリストとして走り続けてきた齋藤さん。
今回の取材では「ときに悩み落ち込み、焦り、歳を重ねるほどに自信を失い、すべてを投げ出したい、と思ったこともある」と語ってくれた。美容ジャーナリストのトップオブトップである齋藤さんも、私たちと同じだったんだ、となんだかほっこりとした気持ちにさせられる。
 
そして、悩み多き30代、40代の@BAILA読者たちにメッセージをくださった。
 
「私がどんなに忙しくても仕事を続けてこられたのは、忙しさにも、“つらい忙しさ“と“嬉しい忙しさ”があるということに30代後半で気づいたから。
自分の場合は、文章を書くことでしたが、好きなことをしていると、どんなに忙しくても“嬉しい”と感じるものです。

この、“嬉しい忙しさ”は自分にとって何だろう? とじっくり考えてみてください。
例えばですが、人にありがとうと言われる瞬間が好き、一人黙々と資料を作っている時間が好き、人の悩みを聞いているときが好き……どんな自分が好きだったっけ? と自分を分析してみるのが大事。

そうやって自分にとってのハッピーなことを考えると、自ずと天職が見えてきます。迷っている人は、今の仕事が合っていないのかも。ぜひ試してほしいです」
 
平日は仕事に一生懸命、週末には大きな空や山、海を見てリフレッシュ。そんなメリハリのある生活をしつつも、将来したいことはこんなこと。
 
「もっと色々な国を見てみたい。もっと色々なことを知りたい。
仕事に追われ、知らないことだらけだと気づき、今頃になって知識欲がむくむくと湧いてきて。“このまま死ぬのはイヤだな”と思ったんです。
人生100年と思えば、まだもう一つ人生がある感じ。今送っている人生は次の人生の準備段階である気もします。そう思ったほうが、未来が明るくなりそうで。
@BAILA読者の皆さんには、まだまだ時間があります。悪いことや悲しいこと、もし、今がうまくいかないことだらけでも、そのすべてに意味があり、いつか役に立ちます。

失敗したことは、二つ目の人生でやり直せばいい。だから、大いに悩んで!」
 
自分にとっての“嬉しい忙しさ”って何だろう。齋藤さんの言葉の一つひとつが、働く女性の道筋を照らす光になりそうだ。

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