いつの時代も「働き方」でいちばん悩むのは30代~40代。今、憧れの人生を送っている先輩たちも、じつは同様に悩んでいた時期が!
本企画では、女性の先輩たちがどのような働き方をしてきたか、壁にぶつかった際にどう解決してきたかなどを取材。
第1回は、BAILA本誌で連載も担当していたヘア&メイクアップアーティストの藤原美智子さんが登場。美容業界のレジェンドの過去・現在・未来を深掘りする。
1958年秋田県生まれ。「LA DONNA」主宰。日本が誇るヘア&メイクアップアーティスト。
雑誌やSNSなどで活躍するほか、自身のセンスあふれるライフスタイルも注目を集め、食や健康、暮らし、生き方などを提案する。
20歳、美容専門学校に通いながらプロのアーティストの助手を始める
父が営む薬局の隣で、母が美容室を経営。そんな家庭環境で育つうち、
自然と自分も美容の道に進むのだろうな、と思っていた藤原さん。
東京の美容専門学校に通うなか、ある日週刊誌で、著名なヘアメイクさんがアシスタントを募集している記事を見て応募、見事に合格したことからヘア&メイクとしての人生がスタートした。
「20歳からいきなり先生とともに雑誌や広告の撮影に追われる日々。
さらに、メイク学校で講師までやらせていただくようになり、がむしゃらに働いていました」
20歳のころの藤原さんのポートレート
25歳、来る仕事は拒まず21時間労働。2年で自分の名前が立った仕事が急増
20代半ばまで、自分の個性も分からずに、来る仕事を拒まずなんでもやっていたという藤原さん。
「朝5時集合で早朝ロケ、終わると広告の撮影で深夜2時まで、といった仕事もしばしば。それからクラブに行って、飲んで踊って、朝帰りもしょっちゅう。驚異の体力でしたね」
そして、27歳。アシスタントとしてではなく、雑誌『25ans(ヴァンサンカン)』の表紙のヘア&メイクを担当するようになり、多くの雑誌で “藤原美智子流メイク”の特集が組まれるようになる。
「だんだん“自分の好き”を追求するようになり、『あ、私は“透明感”や“品性”を感じさせるメイクが好きなんだ』ということに気づいたんです。そこから、自分の名前の立った仕事が急激に増えました」
33歳、除夜の鐘を聞きながら、会社設立を決心。「責任感のある生活」にシフト
30代になっても、相変わらず大忙し。仕事のストレスもあってか、その頃、洋服やアンティークジュエリー、車などバンバン買い物をする日々。
それでも満たされない自分を感じていた33歳の大晦日、除夜の鐘を聞きながら、「そうだ、もっと責任感のある生活をしよう」とひらめく。
「翌年の4月、34歳で『LA DONNA』を立ち上げました。人って、目標を決めたり期限を設けたりすると、物事が進むんですよね。
“そのうち”とか“いつか”と言っているうちはなかなか進まないけれど、今したいこと、できることは何かと考えたり、その期日を決めることが大事だということを実感しました。会社設立以来、いつも私は自分のすることに締め切りを作るようにしているんです」
38歳、毎日限界に挑戦する日々に疲れ果て、“紙10枚”で考え方を変える
仕事は順風満帆。事務所を立ち上げたことで、ヘア&メイクの仕事以外に、メイク本やエッセイ本などの執筆や、TVのインタビュー、講演依頼などを受けるようになり仕事の幅がさらに広がる。その頃「毎日限界に挑戦していた」と話す。
「昨日10のことができたから、今日は11個できるかも! って。限界が広がるって、なんて楽しんだろう‼︎ と、来た仕事を断らずにやっていたんです。ところが、毎日新しいことに挑戦すると、色々悩んだりストレスも溜まり、なんで自分ばっかり大変なの?と思うように。そうしたら38歳で疲れちゃって、考え方を変えたんです」
考え方を変えるのに役立ったというのが、「その日の怒りやストレスを、A4の紙10枚に書き連ねる」という、“紙10枚”の実践。
「7〜8枚目までは、文句がツラツラ書ける。でも残りの2〜3枚は、ちょっと待って、もしかしたら私の態度がよくなかったからかもしれない。今度はこうしよう!と変わるんです。すごく前向きになれるので、
今も行っている習慣です」
46歳、朝型人間になると決意。今の生活につながる、人生の大転換期を迎える
20代で自分探し、30代で花開き、さあ40代。仕事は多忙を極める。
メイク時の姿勢から体に歪みを感じて、週に1度、スポーツマッサージを受けるように。そして42歳から毎日、自分でマッサージやストレッチをするようになったという。
「私、本当に体が硬くて、最初は開脚も45°止まり。それが毎日続けていたら、昨日より1ミリ前屈できている自分に気づき、“ここでやめたらもったいない”の一心で毎日継続。その積み重ねで今ではペタッと上半身が床につくようになりました」
そして、46歳のとき“朝型人間”になると決意。「もっと“軽やかになりたい”って思ったんです。20代の頃から夜型生活を続けていて、午前2時より前に寝てはいけないと思っていました(笑)。
でも、ここで生活を変えたいと一念発起。30分早く寝て、30分早く起きるように徐々に生活のリズムをずらしたら、10日後には慣れて、今では午後10時就寝の午前5時起床の生活。朝3〜4時間、原稿チェックや執筆の時間に使い、効率よく働けるように。すごく健康的になりました」
50歳、結婚して下田に家を建てる。東京と下田の二拠点生活に
藤原さんは、それまで知人であった男性と50歳で結婚する。そして、下田に家を建てた。現在は、平日は東京暮らしで、週末には下田で二人の生活を楽しんでいる。
「独身時代はストイックなモノクロ時代で、結婚してカラーになった感じ。結婚したことで新たな経験ができて世界が広がりました。それは、仕事とプライベートの割合が逆転したことにも表れていると思います。
自分の肩書きも、「ヘア&メイクアップアーティスト」から「ライフスタイルデザイナー」に変えて、ブログやYouTube、インスタグラムを順々に始めました。メイクのみならず、下田での生活や食のことなどを伝えています。
4年前からは『MICHIKO.LIFE』というコスメブランドも立ち上げ、トータルで美を提案しています。
いつも言っているのですけれど、“行動すること”が大事。“私なんてもう年だから”と言う人がいますが、年齢は関係ない!と声を大にして言いたいです」
63歳。今、藤原美智子が30代~40代の働く女性たちに伝えたいこと
「40代で始めたバレエが、3年前くらいから本当に楽しくなってきて、今は週2ペースで習っています」という藤原さん。30〜40代の働く女性たちに、こんなメッセージをくださった。
「自分で自分の締め切りを作ること。期限を決めたら一生懸命やって、やり尽くすと、違う何かが開けてきます。明日や1週間先くらいまでのことを一生懸命やることが“続けられる”秘訣です。
そして、悩んだり辛くなったりしたときは“紙10枚”(※38歳の章参照)を実践してみて。自分の思いを吐き出して、それを客観的に見ることもとても大事です。
私は、女性の美しさ=幸福だと思っています。どんなとき、自分がいちばん幸せかを考えて行動してみてください」
進化が止まらない藤原さんがこれから挑戦したいこととは?
今までを振り返り、「外からの影響は一切受けず、いつも“ひらめき”で行動してきた」という藤原さん。生まれ変わっても同じ職業をされたいですか? の問いに「No!」と即答。
「私ね、生まれ変わったら“踊る人”になりたい。ジャンルはなんでもいいです。音楽に合わせて集中して表現したい。突き詰めると、集中することが好きなんですね。ヘアメイクの集中力とある意味似ています。もしかしたら、表現するために集中できるものならなんでもいいのかもしれない。
これから先は、“大人の希望の星”になりたい、大人を元気づけたいと思っています。この目標を掲げることで自分の励みにもなって頑張れます。
あとね、1年前くらいから一つひらめいたことがあって…。でも、まだ恥ずかしくて言えない〜‼︎」藤原さんが照れたように笑う。次に、新・藤原美智子を取材するときが楽しみだ。
美容エディター
小内衣子
ラジオ局の報道記者、ファッション誌のビューティ担当編集を経てフリーに。BAILA本誌・@BAILAをはじめ、美容専門誌などで執筆。‟その道のプロ”の美容術や生き方を取材するのが得意。