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【松本千登世の働き方】すべての美容プロが憧れるエディターの過去・現在・未来

いつの時代も「働き方」に悩むのは30〜40代。本企画では、憧れの先輩たちがどのような働き方をしてきたかを取材。7人目は、人気美容エディターの松本千登世さん。美しく歳を重ね、ますます活躍の場を広げている彼女の過去・現在・未来を探る。

松本千登世

美容エディター

松本千登世


 1964年鳥取県生まれ。 大学卒業後、航空会社の客室乗務員、広告代理店勤務を経て、婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に入社。 その後、講談社『Grazia』編集部専属エディターなどを経てフリーランスに。経験に裏打ちされた審美眼と心に響く文体で多くの女性誌で活躍中。著書に『「ファンデーション」より「口紅」を先に塗ると誰でも美人になれる「いい加減」美容のすすめ』(講談社刊)、『いつも綺麗、じゃなくていい。50歳からの美人の「空気」のまといかた』(PHP研究所刊)など。

大学卒業後、国内線のキャビンアテンダントに

柔らかな物腰と、知的な印象の松本千登世さん。多くの女性誌で美容エディターとして活躍する松本さんも、美容の世界に入ったのは30歳を過ぎてからだ。

 

中学時代に親戚の結婚式のため北海道に向かう飛行機で出会った、キャビンアテンダントがキレイでかっこいいと思ったこともきっかけで、大学卒業後航空会社に入社。国内線のキャビンアテンダントとして、4年1ヶ月間フライトを続けた。

 

「生来のんびり屋で、周りからもちゃんと働けるのか? と心配されていました。自分でも長く続けられないのではと常々思っていたのですが、結構楽しく働いていました」

松本千登世さんのフライト記録が載る盾

松本千登世さんがキャビンアテンダントとして活躍していた証が刻まれている

ところが、あるフライト中に松本さんの胸の内がざわざわとした。

 

「大阪→山形便という水平飛行時間が短い便で、満席のお客さまにスピーディにドリンクの提供を終えると、『松本さん、仕事ができるわね』と先輩から褒められて。今思えばまったくの勘違いなのですが、当時、生意気にも自分の仕事が‟オリジナルではない”と思い込み、転職を決意しました」

26歳で広告代理店に転職

初めての転職は自分で探して応募し、採用された日本×アメリカ合併の広告代理店。

当時、日本でも人気のあった外資系コスメブランドの営業担当となった。

 

「まさかの営業担当。本当はリリース作成などPR業務ができると思って応募したんです。航空会社時代、毎回のフライト後に“乗務報告書”を書くのが好きで、もはや趣味でした(笑)。今思えば、文章を書くことが好きだったのかもしれません」

営業時代、ある人との出会いが人生を変える

コスメの担当営業となり、どうシェアを獲得するかばかりを考える日々。そんな中、ある女性と衝撃的な出会いをする。美容ジャーナリストの齋藤薫さんだ。

 

「薫さんに、担当ブランドの広告でコピーを書いていただくことになりお会いしました。うわあ、なんてかっこいいの! 大人の女性ってこんなにも素敵なんだ、と強烈な印象でした。しかも、紡ぐ言葉の素敵なこと‼︎ 20代の私にとって、薫さんは『大人の方がかっこいい』を教えてくれた最高の女性でした」

 そんなご縁から、あるとき齋藤さんにファッション誌の創刊メンバーとして誘われた。
そのとき松本さんは30歳。婦人画報社(現ハースト婦人画報社)の『La vie de 30ans(ラ・ヴィ・ドゥ・トランタン)』の編集という未知の世界へ飛び込んだ。

「当時の婦人画報社は、企画立てから誌面になるまで洋服のスタイリングもすべて編集者が行っていたんです。ところが、私は、何から何までできることがまるでない。30歳で何もできない自分がもどかしくて、がむしゃらに働くしかなかったんですよね。この頃は生活がめちゃくちゃで昼も夜もまったく余裕のない毎日を過ごしていました」

35歳で、別の出版社へ移籍

『トランタン』時代に、ビューティ→ファッション→カルチャー担当をほぼ2巡。さまざまなページを担当した。

 

「今でも覚えているのが、『30代は友だちの再構築期』という読み物ページ。いろいろな人を取材し、“専業主婦vs.キャリアウーマン”の比較をしたら、思いの外注目されてヒットしたんです。この経験で、編集という仕事を一生続ける! と確信しました」

 

そうしたがむしゃらで充実した日々を送る中、齋藤薫さんから「誰かビューティの編集ができる人を紹介して」と連絡が来た。とっさに「私じゃダメですか?」という言葉が松本さんの口から出て、すぐに決まったという。

 

「講談社の、やはり30代の女性向けのファッション誌『Grazia(グラツィア)』で、編集者としてフリーランス契約をしました。『トランタン』に入ったときとは違い、経験の延長線として、したいことが叶いました。

特に、その頃さまざまな雑誌で活躍していたプロフェッショナルな美容ライターさんたちをはじめ、フォトグラファー、スタイリスト、ヘア&メイクアップアーティストの方々とお仕事ができたことで、数えきれない学びがありました。このときのご縁は一生の宝物です」

松本千登世さんが手がけた雑誌の表紙

松本さんが関わった『グラツィア』の表紙
(ザ・グラフィック・サービスHPより流用)

43歳で完全に独立。フリーの美容エディターに

『グラツィア』で8年。そのうちの5年間、表紙も担当。ずっと一緒に表紙モデルを務めていたモデルさんが卒業するタイミングで、松本さんもフリーになることを決意。

 

「そう思ったら、少しでも早い方がいいかな、と。45歳より42〜43歳の私の方が、『こんな仕事をしてみない?』と声をかけられやすいかもと。そして思い切ってフリーになり、現在に至ります。30代から40代にかけての2つの雑誌編集者時代のがむしゃら経験のおかげで、キャパが広がったことに感謝しています」

 

「フリーになって、エディターよりもライターとしての仕事が増えました。『求められること』に素直に従ったら、書くことが好きな自分が見えてきたんです。今は美容だけではなく、人物のインタビューの機会にも恵まれています。素敵な人と出会ったら、自分が肌で感じた魅力をどうにか100%のまま誰かに伝えたいというだけ。幸せな職業です」

50代の松本さんの働き方とは

忙しすぎた30代と40代を経て、50代の松本さんは働き方が変わったという。

実際、自身の美容法やライフスタイルを取材されることも増えた。

 

「自分の仕事のスピードは落ちましたが、焦りや気負いはなく、むしろ自分に不得手なことがあると気づけて、そうした“青い”部分があることにときめくことができます。30歳の頃と真逆ですね」

 

「年齢を重ねたぶん経験が増えて、“想像力の引き出し”が増えました。これからのほうが得意になることがあるかも、とワクワクしています」

松本千登世さんが載るBAILAの記事

松本さんが取材された『BAILA』21年11月号の誌面

松本さんが今ハマっていること、これからの夢

散歩と乾杯で充分幸せ、だからこれといった趣味がない、と話す松本さん。学生時代はバスケットボールやバレーボールなど体育会系で、「ジムなどお金を払って運動する気になれない」と笑う。

 

「でもよく食べるし、お酒も飲むので、なるべく歩くようにしています。野菜や魚が好きなのでどちらかというと元々ヘルシー志向かも。オンとオフのコントラストを付けたくて、30代はムリをしてでも旅をしていましたが、40代以降は旅のために旅をすることが逆にストレスに」

「今はコロナ禍でやめていますが、2泊3日の目的を持たない国内旅行が好きで、1年に1回は、福岡と京都に行っていたので、これは自由になったらすぐに再開したい。 “古い友人に会う”のもこれから積極的にしていきたいと思っています」

 

実は、松本さんには密かに思い続けている夢がある。

 

「言葉にするのはとても恥ずかしいのですが……、絵本に関わることです。大学で児童言語学を学んでいたとき、同窓で『しろいうさぎとくろいうさぎ』(福音館書店)をはじめ数々の絵本を翻訳し、ご自身の著書も多数の児童文学作家、翻訳家の松岡享子さんのお話を伺う機会があり、感銘を受けました。そぎ落とされたシンプルな言葉で本質を説く、そんな絵本の世界に関われたら、と。翻訳もしたいし……実はオリジナルストーリーの構想もあります!」

 

松本さんを知る人は皆、大賛成するだろう。それは、松本さんから送られるメールの最後の“留め”の言葉に毎回心を揺さぶられるからだ。

松本千登世さんのメールの最後の言葉

松本さんが綴るメールの留めの美しい言葉。
このひと言に心がふわっと癒される。

「結構そのことを人から言われるのですが、大したことじゃないんです。働いていると言いにくいことも言わなければならない場面があり、しかも電話と違ってメールだと誤解を与えることも。

だからそういう文面の最後に、『あくまで仕事です』のエクスキューズとして。『空を見上げたら、皆、心が解ける』という意味で。自分の心を解くつもりで、書いているだけなんです」

人生の先輩として、BAILA読者にメッセージ

「自分を主張しようと頑張りすぎないで、と言いたいですね。私自身、30代は“コレができる”というものがなくて焦っていました。でも、今思うのは、主張ばかりが個性じゃない。それより、“自分はどういうときが幸せか”を意識するほうが自身がクリアに見えるということ」

 

「以前放送されていたドラマ『持続可能な恋ですか? 〜父と娘の結婚行進曲〜』の中で、松重豊さんの、『(亡くなった妻の)陽子さんといるときの自分が好き』というセリフにハッとさせられました」

 

「 “自分が晴れやかに穏やかでいられる場所や人を選び、積み重ねていく”ことが大事だと思います。ゆっくりと、焦らずに、幸せだなと思えることや人と出会ってほしいですね」

 

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