いつの時代も「働き方」に悩むのは30〜40代。本企画では、憧れの先輩たちがどのような働き方をしてきたかを取材。6人目の主役は、人気ヘアサロン『AMATA』主宰の美香さん。類稀なアイデアやセンスをもつ美のカリスマの、過去・現在・未来を探る。
横浜生まれ。文化服装学院卒業後、約10年間複数のアパレルメーカーでファッションデザイナーとして活躍。その後、自身が本当に行きたいと思える大人のためのヘアサロン『AMATA』を東京・表参道にオープン。女優やモデル、美容関係者などを顧客にもつ人気サロンオーナーとして活躍。さらに毛髪診断士®(社団法人日本毛髪科学協会認定)やJAPA認定アーユルヴェーダアドバイザーの資格をもち、女性誌で独自のメソッドを指南。また、製品プロデュースやコンサルタントとしてもマルチに活躍中。
専門学校2年でアパレルメーカーに就職し、デザイナーの道へ
小さい頃から絵を描くのが好きだった美香さん。漫画家になりたいと思っていたが、水彩画を趣味とする父と、洋裁が好きな母の影響で、次第にファッションデザイナーを目指すように。そして、文化服装学院2年のときに、最初の転機が訪れる。
文化服装学院時代の美香さん(写真左)。あどけない表情が可愛い
「友人の1、2歳上の先輩に誘われて、大手アパレルメーカーの採用試験を記念受験したんです。そしたら受かってしまって。専門学校2年(20歳)でさらなる上への進級を辞めて就職しました。
配属先はメンズのデザインチーム。いい経験ではありましたが、やはりレディスに行きたくて。異動希望がなかなか通らない社風だったことから、2年で辞めてしまいました」
22歳、イタリアのインポート会社へ就職。レディスのデザイナーに
次に就職したのが、イタリアブランド服のインポート会社。ここで初めてライセンス契約したブランドの日本でのデザイン展開を受け持ち、パタンナーとチームを組んでレディスのデザインをすることに。
「当時日本はバブル時代。“イタカジ(イタリアン・カジュアル)”が人気で、その会社では、エンポリオ アルマーニやヴェルサーチェのヴェルサス、ストーンアイラインドなど人気ブランドの輸入代理業とライセンスデザイン展開をしていました。
24、25歳でイタリアにも何度も出張させてもらい、刺激的な毎日でしたね。自分が手がけるデザインを社長にプレゼンするため、納得するまで何度でもやり直して、連日深夜退社。でも家に帰らずクラブに行き、踊っていたくらいエネルギーがあり余っていました(笑)」
デザイナーとして活躍し始めた頃の美香さん
バブルが崩壊。会社の方向性が変わったことから伊勢丹グループへ転職
華やかなデザイナー生活も4年が過ぎた頃、バブル崩壊が訪れる。美香さんの会社は形を変え、方向性の違いから転職を決意することに。
「伊勢丹グループの『マミーナ』というブランドにデザイナー&コーディネーターとして入社しました。
全盛期は全国に60数店舗展開するほどの人気ブランド。私はそこで、それぞれの店舗に合った商品のコーディネートをするなど、デザイナーとして猛烈に忙しく働いていました。
実は、デザインをする際、その頃人気だった『BODY DRESSING』や『NATURAL BEAUTY』に似たものを作れ、というのが使命でした。
真似はイヤだな、できれば真似される側になりたいなと思って、これらのブランドを展開している『サンエー・インターナショナル』を受けることにしたんです」
28歳。念願の『BODY DRESSING』デザイナーに
20歳でファッション業界に入った経験豊富な美香さんは、自分のセンスに絶対の自信をもっていた。“真似するより真似される側になりたい”という信念のもと、面接を受けて晴れて『サンエー・インターナショナル』に入社。『BODY DRESSING』事業部のデザイナーとなる。
『サンエー・インターナショナル』でデザイナーとして活躍中の美香さん
「ここで、本当に自由にやらせていただきました。入社してからのデザイナー面接で、“ブランドを3つのラインに分けた世界”というのをプレゼンしたら、その後、『BODY DRESSING』が3カテゴリーに分かれたんです。自分のセンスや趣味、世界観、そして好奇心の幅を広げてくれたことに今でも感謝しています」
美香さんが描いたデザイン画。驚くほどおしゃれセンスが光る
30歳で、一度リセットするべく会社を辞める
美香さんは28歳で結婚。当時は『BODY DRESSING』のデザイナーとして多忙を極め、がむしゃらに仕事をしていたが、ふと、自分の人生を振り返りたい、少し休みたいと思い、2年半で『サンエー・インターナショナル』を退社することに。
「次の仕事は何も決まっていなかったのですが、ファッションデザイナーとしての夢がある程度叶い、やりきった感があったのだと思います。家のリフォームとかするのも楽しかったし。今まででいちばんゆっくりとした時間を過ごしました」
35歳で会社を設立。翌年に『AMATA』を開業
東京・表参道にある美香さんのヘアサロン『AMATA』
パートナーが美容師だったということもあり、またデザイナー時代から青山などの一等地にあるヘアサロンのサービスなどに疑問を抱き、“自分だったらこうする”という思いを持っていた美香さん。美容室を作ることを決意し、パートナーとともに会社を設立した。
「(当時のヘアサロンは)メニューの内容やパウダールーム、生花、メイク直しへの配慮など心配りの盲点が目につき、お客さま側の満足に繋がっていないなと気づいたんです。もっと、ファッション・ビューティ・ヘアが三位一体となった、バランスのいいサロンを手がけたい、という希望が日増しに膨らんでいきました。
もともと小さい頃から髪にはかなり気をつかっていて、小学生のときには母にサロン専売ブランド『ウエラ』のシャンプー&コンディショナーを自分用に買ってもらい、直毛の髪を、“クルクルドライヤー”や“ヘアアイロン”で巻いている子でした。子ども時代は、髪は母が切ってくれていてウルフカットだったんですけどね(笑)」
美香さんといえば、美しいストレートの黒髪がトレードマーク。ところが、『AMATA』を始めた頃は、レイヤーの入った茶髪だったというからびっくり。
トレードマークのロングヘアへの道の出発点、『AMATA』創業当時の美香さん
「雑誌で“セルフプロデュース”という言葉が流行っていて、そうだ! 髪をアイコンにしようと思い、2年くらいかけて伸ばしてブルーブラックにカラーリングしました。
このストレートヘア=美香、と印象づけられたらいいと思って始めたことです」
異業種からの“ゼロからのスタート”。逆風をバネに
以降、持ち前の高い美意識と類まれなアイディアで、美容業界の中心で活躍し続ける美香さん。順風満帆に見えて、最初は大変苦労したと話す。
「ヘアの業界誌の撮影に行ったとき、“どこのサロン出身?”と冷たくあしらわれ、洗礼を受けました。代表だ、オーナーだのという肩書きだけでは説得力がないということを悟り、美容師ではないけれど、美容師レベル以上の知識を身につけなければ!と一念発起。
当時は美容師以外では習得できなかった“毛髪診断士®︎”の資格を取得しました。現在は、その上の認定講師でもあります。
そのおかげで多くのメディアから取材をいただき、10年前からはオリジナルブランドもプロデュース。『VOGUE』や『Numero TOKYO』などのアワードの審査員などもさせていただいて、あのときの自分の選択が正しかったと思っています」
2022年、『AMATA』は20周年を迎える
「ヘア業界、特に東京エリアでは男子優勢な現実があり、なかなか新参者が成功するのが難しいとされています」と語る美香さん。
「その中で、今年20周年を迎えることができたことが心底嬉しいです。そして、『AMATA』イズムに一緒についてきてくれた右腕と左腕のスタッフは私の誇り。
また、日本に上陸して12年になるイタリアのヘアブランド『OWAY』を赤ちゃんのような頃から育てるという経験ができたことも光栄なことです」
美香さんが日本でのローンチから手がけたイタリア発オーガニック化粧品ブランド『OWAY』
美香さんの右腕スタッフ、伸江さん
美香さんの左腕スタッフ、ERIさん
最近になって、ようやくスタッフに現場を任せることができるようになったという美香さん。『AMATA』の発展のために様々なアイディアが浮かび、それを具現化するために時間を費やすようになったとか。
「アイディアがありすぎて、いつも時間が足りなくて(笑)。この5月から『AMALAB.』(アマラボ)という名の『AMATA』のYouTubeチャンネルも始め、その編集も自分でやっています」
さらに美香さんは、毎週日曜日にスタッフ全員とその家族にお弁当を作り、『美香亭』と称して振る舞っている。
「料理を作るのが好きで、普段からほぼ自炊をしています。食はカラダをつくる源。美しい髪や肌を保つ基本ですからとても大事です。スタッフの栄養を考えてメニューを考えることもライフワークになっています」
『美香亭』の人気メニュー「鶏マヨ丼」
美香さんお手製の「酢豚弁当」
50代後半の今、多趣味な美香さんがハマっていること
美香さんの心配り、特に流麗な筆文字で書かれた礼状は美容業界で有名だ。聞けば、小学生から習字を習い、賞もしばしば取るほどの腕前だったとか。
「今でも小筆とペン字の通信講座を続けています。確実に上手く書けるようになってきたのと、知らなかった季語などを織り交ぜて教えてくださるので、四季を言葉で表す美しさに酔いしれています。
ほかには、味噌を杉桶で手作りしていてもう6年目に。本当に美味しいんですよ。食事に気をつけるほかは、ボディメンテナンスに通っています。
健康でいるためには、ストレスを溜めないこともひとつ。北海道など知らない土地へ旅行をしたり、伊豆や箱根へ愛車でドライブすることで、心底リフレッシュして、働くエネルギーをチャージすることも大好きな時間です。やることが多すぎて、1日36時間欲しいくらいです!」
直筆のお礼状を欠かさない美香さん。流麗な美文字は美容業界でも有名
人生の先輩として、BAILA読者にメッセージ
「どんなときでも明日はやってきます。人生は嬉しいことも多いのですが、イヤなこと、ツライことも容赦なく降りかかってくるもの。
そんなとき、“なるようにしかならない、大丈夫”と思った瞬間から気持ちが軽くなるはず。自然の成り行きに任せるというのも気持ちが落ち込まない解決策になったりします。
私も30代半ば、まさにBAILA世代でファッション業界から美容業界へ移るという、大きな選択をしました。その後、色々厳しいこともありましたが、くじけている場合じゃないぞ、と自分を信じて突き進みました。
悩み多き、そして選択する機会が多いBAILA世代だからこそ、ボジティブシンキングでいきましょう! 常にポジティブにシフトさせているとよい風しか吹かないという自信に繋がり、心の支えになるはずです」