いつの時代も「働き方」に悩むのは 30〜40代。本企画では、憧れの先輩たちがどのよう な働き方をしてきたかを取材。8人目は、『美的GRAND』の元編集長、天野佳代子さん。美容業界随一の “年齢不詳美人”の過去・現在・未来を探る。
1957年東京都生まれ。学生時代から音楽業界での執筆を始め、その後ファッション誌の美容ライターとして活躍。2001年に美容専門誌『美的』の創刊に際し、エディトリアルディレクターに着任。表紙や巻頭特集を担当し、数々のヒット企画を生み出す。'18年、大人の女性のための美容専門誌『美的GRAND(グラン)』を創刊し、初代編集⻑に。ʼ22年9月より、エディトリアルビューティディレクターとして『美的GRAND』を継続しながら、美容評論家、美容ジャーナリストとして活動を開始。さらなる活躍が注目される。著書『何歳からでも美肌になれる! 奇跡の62歳! 美的GRAND編集長 “逆転の”美肌術』(小学館刊)は、重版し続けているベストセラー。
執筆活動のスタートはミュージシャンの会報誌作り
天野さんの小さな頃からの夢は漫画家。特に可愛い少女を描くのが好きで、夢中になってストーリー漫画を描いていたという。デザイン学校に進学し、就職すると漫画が描けないという理由からアルバイトを続けていた。
そんな天野さんがアルバイト先を探していたときに、当時おつきあいをしていたミュージシャンの彼(のちに結婚)が所属する芸能事務所でスタッフを募集していたことから、彼の紹介で入ることになった。
「事務所での電話対応やほかの所属ミュージシャンの会報誌を作成したりと、かなり激務でした。でも、ひとりで写真を撮って、挿絵の漫画を描いて、原稿も書いているうちに“編集”という仕事が面白くなっていったんです」
天野佳代子さん、22歳『JJ』特派記者の頃。当時の編集長に取材のノウハウを叩き込まれた時代。
フリーライターとして複数の会報誌を手がける
23歳のある日、知人から別の芸能事務所の仕事を勧められた天野さんは、大きなターニングポイントを迎える。それは、大スター⻄城秀樹さんのファンクラブ会報誌制作だった。
⻄城さんと同じ事務所に所属する岩崎宏美さん、河合奈保子さん、石川秀美さんといった人気スターたちの会報誌まで任され、当時8誌以上の会報誌を作っていたという。
「キラキラ輝くアーティストたちは皆、人間的にも容姿的にも美しくて魅力的。そして何より自身のクリエイトに真剣です。彼らのレコーディングやライブ、撮影現場などに立ち会わせていただくたびに、私ももっと、会報誌の編集・ライターとして力をつけなきゃと思うようになりました。
そんな矢先に光文社の『JJ』でライター募集の記事を見つけ、応募。書類審査や面接を経て特派記者という肩書きをいただきました。元々コスメが好きだったことから美容ページをやりたかったのですがチャンスがなく、おしゃれな女子大生やイケメン男子学生のスナップページを担当。このとき会報誌も同時進行。土日も休みなく働いていました」
28歳で結婚。その後『CanCam』ライターに
5年間『JJ』のライターとして活躍後、結婚を機に一旦『JJ』を辞めて会報誌のみに絞った天野さん。CHAGE and ASKA やチェッカーズなど大スターたちの会報誌を10 本くらい手がけていたという。ところがあるとき『CanCam』編集部から「美容ページを作ってくれませんか」と連絡がきた。
「やっと希望が叶う!と、即座にお引き受けしました。美容ライターデビューです。カメラマンやヘアメイク、スタイリストさんたちとともにページを作り上げることが刺激的で。よく編集部で徹夜をしました。それでもまったく疲れず弱音も吐かずだったのは、本当に楽しかったからだと思います」
『CanCam』で美容担当に。32歳、パリ取材の合間にagnès b.でお買い物。
「その頃、『プチセブン』の読み物ページも依頼されて担当していました。女子高校生の失敗談を面白おかしく書いていたら、毎号人気アンケートで上位に。すると、編集長に『小説を書いてみない?』と言われ、経験と思って引き受けました。小森クスコ、のちに柊クスコというペンネームで4作書かせていただきました。小説家デビューも果たし、今振り返ってみても超絶多忙な32歳だったと思います」
33歳からの10年間、美容ライターを休む
美容ライターと会報誌制作を同時進行させる中、またひとつ、ターニングポイントを迎える。それは、人気爆発していたCHAGE and ASKAのアジアツアーに帯同するというチャンス。そこで、雑誌の仕事を休むことになった。
「海外でのレコーディングや撮影、ライブツアーに帯同すること10年。それはそれは、かけがえのない経験をさせてもらいました。夫が同じミュージシャンとして、信頼し理解してくれたおかげです」
CHAGE and ASKAとオーストラリアロケ中。左奥が天野さん。ライターだけではなく、カメラマンとして彼らを撮影していた。
44歳。再び雑誌の世界へ
海外ツアーに帯同しながらも、女性誌を欠かさず読み、『CanCam』や『プチセブン』などの編集者とつながっていた天野さん。徐々に女性誌に戻りたいという気持ちが大きくなり、'01年、美容ライターとして復帰する。
「『CanCam』で私の担当編集だった方が『マフィン』に異動されていて、『マフィン』の美容ページを担当させていただきました。すると、その方が程なく新雑誌を立ち上げることになり、一緒にやってよと誘われて。ありがたくデスクとして契約をしました。それが、美容専門誌『美的』でした」
約16年間『美的』の編集デスクを担当。ヒット企画を連発
それからの約16年間、表紙をはじめ、美しいビジュアルと丁寧なページ作りをモットーに、人気企画を数多く手がけてきた。まさに『美的』の屋台骨として活躍。そしてデスクとして携わるにつれ、雑誌へ取り組む姿勢も変化した。
「自分のページを素敵に作ることがすべてだった“ライター脳”から、広告を取りたい、新作コスメを雑誌で盛り上げて一緒に売っていきたいという“編集者脳”に考え方が変わりました。どうやったら雑誌の売り上げを伸ばせるかを考える日々。心労もあったと思いますが、大好きな美容に携わっていられる幸せのほうが大きかったです」
60代を迎え、新たなステージへ
'18 年、『美的』での契約が一旦終わったタイミングで、「『美的』のお姉さん雑誌で編集長をやらないか」と打診された。
「驚きました。社員でもない私には重責すぎると。でも熱心な説得を受け、思い切って引き受けることにしました。ただ、やり甲斐がある一方で、寂しい日々でもありました。社内では数名の応援があるだけで、多くは遠巻きに見ている人ばかり。
頼りになるのはフリーのライターさんやヘアメイクさん、そして美容家さん。彼女たちのサポートがあったから『美的GRAND』を創刊することができたのです。後から聞いたら、新刊の編集長は皆、同じ経験をしているということでした。社内でも一応はライバル誌になるのですから、疑心暗鬼になるのは当然ですよね」
天野佳代子さんが初の編集長として手がけた『美的GRAND』創刊号。
62歳、初の自身の著書を出版。多媒体で注目の的に
天野さんには、“年齢不詳”、 “奇跡の●歳”……といった数字がつきまとう。そんな形容をさらりとかわし、いつもエネルギッシュでチャーミング。何かを始めるのに、“何歳からでも遅くはない”ことを教えてくれる存在だ。
そのひとつの例が、テレビ番組『マツコ会議』への出演。『美的GRAND』を宣伝する一環でチラッと番組に登場した際に、マツコ・デラックスさんがめざとく天野さんの年齢に注目したことから“奇跡の61歳(当時)”として大きな反響を呼ぶことに。
「どんな美容法を実践しているのか? と聞かれることが増えました。特別なことはしていないと思いながら話すとびっくりされることも。仕事を通じて得てきた美容知識を実践してきたおかげで、美容本を出すことができました。“何歳からでも美肌になれる!” という思いを一冊の中に詰め込みました」
ʼ22年秋、美容評論家としての活動を開始
40代以降の女性たちのキレイを応援してきた雑誌の編集長として丸4年。この秋天野さんは美容評論家、美容ジャーナリストとして、新たな活動を始める。
「編集長を卒業し、美容評論家としても活動します。編集者の軸は変わらずにこれからも『美的GRAND』に携わっていきますが、他誌に出ることも可能となり、このように@BAILAにも出させていただきました。人生100年、キレイでいたいという気持ちがあるかないかで老化の進行は変わってきます。私が少しでも皆さんの後押しをすることができたらいいなと思っています」
天野さんが今ハマっていること、これからの夢
若さをキープしている要因のひとつは、何年も続けているパーソナルトレーニング。「筋力は本当に大事。そして、病気を軽いうちに治す意識も重要」と語る。また、「若いライターさんたちと話すことで刺激をもらっている」とも話す。
実は凝っているのが“パン作り”。
「温度や材料の配合などで、出来上がりが予測できないのが面白いです。家の中に充満するパンの香りも大好き。自分のために全粒粉のパンを作っていますが、お呼ばれしたときにもよく持って行きます。好評であっという間になくなっちゃうんです」
天野佳代子さんが作る本格的で美味しそうなパン。
また、“書く”ことが好きな天野さん。美容ジャーナリストの齋藤薫さんにずっと憧れ、目指してきたと話す。現在、『美的GRAND.web』の連載で薫さんの初担当となり、真っ先に原稿を拝読できることに喜びを感じていると嬉しそうに話す。
「実は、32歳くらいの頃、ちょうどCHAGE and ASKAの海外ツアーの帯同日記などを書いていたときに、夫から『かよちゃん、原稿うまくなったね』と言われて最高に嬉しかったんです。その言葉を胸に生きてきて、発表するかはわかりませんが......夫のことを文章にまとめたいという野望もあります(笑)」
人生の先輩として、@BAILA読者にメッセージ
「とにかく、人生は山あり谷ありであって、平穏無事では済みません。だから“なんとかなる”と気楽に思うことが大事です。私自身、ひとりぼっちを感じるときもあったけれど、なんとかなってきました。
人が好きで、人を信じてきたことで誰かが必ず手を差し伸べてくれたんです。
相手に求めるより自分から好きになることが大事。30代、40代は様々な分岐点に直面し、色々なことが起きると思いますが、軽やかに乗り越えてほしいです」