(BAILA)スーパーバイラーズの今越さくらです。
今回はクスッと笑えて、励まされる、歌人・穂村弘さんのエッセイについてご紹介します!
▶︎︎個性がある人はモテる?
ひょんなことで、ほむほむに会いたい、と思い本のページをめくった。
ペンネームは穂村弘。愛称はほむほむ。
現代短歌を代表する歌人の一人で、独特な世界観で人を困惑させる天才だ。
例えば、喫茶店のウエイトレスが足首に包帯を巻いていると「あの娘は本当は鹿なんじゃないか」と、その場にいた職場の後輩に話し掛け「なんでそんな話になるんですか」と呆れさせてしまう。
ほんとうに、なんでそんな話になるんだろう。
本人は「ロマンチックな性格だから」だと言っているが、妄想と現実の境目のあいまいさが狂気じみている。
※このエピソードを読んだだけで「やばい……ついていけない」とページを閉じようとしている読者の皆さん、もう少し、もう少しだけ寛容な気持ちでお付き合いください。
短歌にはあまり造詣が深くないので、ほむほむの詠には詳しくないのだが、彼のエッセイが好きで、学生時代によく読んだ。
ほむほむに限らず、常人の思考では及びもつかないような独自の哲学を持っている作家の思考回路を知ることが好きだ。
普通の人が通り過ぎてしまう日常の一コマに疑問を抱き、蜘蛛の巣のように思考を巡らせ、奇想天外な発想に辿り着く。
「なるほど、考えたこともなかった」という気づきがあるから、やめられない。
とくに、彼らの恋愛に関するエッセイは面白い。普通じゃない。普通じゃなさすぎる。
ほむほむのエッセイ集「もしもし、運命の人ですか。」(角川文庫)では、異性に好かれるための「第一印象対策」についての考察が語られる。
※ここから先、ネタバレを含みます
彼は、女性から「初対面の3分で、そのひとと恋人になってもいいか、友達か、友達にもなりたくないか、というクラス分けが決まる」と言われ、「自分の最高の3分を最初にもってくればいい」と考える。(ウルトラマンか。)
でも、最高の3分の使い方について思いつくのは、「セクハラをしない」「貧乏ゆすりをしない」など、ごく基本的な内容ばかり。
(※本人は「どれもあまりにも普通というか平凡だ」と落ち込んでいるようだったが、普通の人はセクハラと貧乏ゆすりは考えなくても、しないだろう。)
彼は「失点や致命傷を避けるという後ろ向きの発想」では友達止まりだと考え、なにかもっと強い印象を相手に与える策を練る。そのなかで、友人の女性画家を思い出す。
ほむほむのエッセイには(信じられないことに)、彼を超える逸材がよく現れる。「本当に現実世界にこんな人がいるのか?」と思うのだが、類は友を呼ぶ、なんだろう。
その女性画家は、ほむほむとの初めての食事で、食べ終わったお皿を両手で掴んでぺろぺろとなめ始めた。
環境に配慮した行為なのか、前菜からデザートまで、お皿をなめ続けた。
ほむほむは、そんな彼女の姿に驚きつつも「この人はモテる!」と確信したことを思い出す。
そして、最高の自己アピールは「圧倒的な『個性』の提示に尽きるのかもしれない」と結論づける。
▶︎「お皿をなめる」という個性はアリ?
このエピソードを読んだとき、凡人のわたしは「そうか、強烈な個性が愛される秘訣なのか」と素直すぎるほど素直に、筆者の考えを受け取った。
そして「お皿をなめている姿すら愛おしいと思ってもらえたら、なんでも許してもらえそうだ」と思った。
もしそんな人に愛されたら、マナーだとか、周りの目だとか、習慣だとか、そんなものを全て取っ払って、ありのままの自分を愛しもらえそうだし、それってすごく素敵なことなんじゃないか、と。
(婚活適齢期を迎えたからなのか、人生経験に基づく防衛反応なのか、相手は自分を大切にしてくれる人かどうかという指標を気にするようになった。わかってくれますか。)
そこで、わたしが知りうる限り最も優しく、何でも受け入れてくれる友人に「もし彼女とコース料理を食べに行って、彼女がピカピカになるまでお皿をなめていたら、どうする?」と尋ねてみた。
友人の回答は「スプーンはいいけど、皿はなめるものではないから、マナーが気になるね」。
皿はなめるものではない。ごもっともすぎる。
「舐めたのかと思うくらいお皿がピカピカになるまで綺麗に食べるのと、お皿を舐めてピカピカにするとの間には、大きな大きな溝があると思うんだ」。
諭し方?が優しすぎて、なんだか胸が痛くなってきた。たしかに、食べ方やソースの使い方が綺麗で、食後のお皿が綺麗な方がキュンとする気がする。
「例えばこれがね、おうちでハーゲンダッツを食べる時に、彼女がこっそり蓋の裏についたアイスを舐めて、それが僕にばれて、顔を赤らめるとかだったら、かわいらしいなって思うよ。恥じらいつつも、ついつい、やっちゃうみたいな。」
なるほど、たしかに、それは可愛い気がする。そうか。恥じらい。恥じらいが大事なんだ。大切なことを忘れていた。
「でも、恥ずかしがりながらコース料理の皿を舐め始めたら逃げるなぁ。彼女が頬を赤らめつつも、皿を最後まで舐めた…とか怖すぎるもんね」。
たしかに、想像するとだいぶホラーだ。「えへへ」ってはにかみながら、お皿をなめ続ける……そこまでいくと、もはや誰にも止められない気がする。
「そもそも、コース料理で皿を持ち上げる時点で、ちょっとなぁ…。いや、持ち上げずに舐める可能性もあるのかな?……だとすると、もっと怖いね」。
さっきから着眼点が鋭すぎない?と心の中でつっこむ。でも、たしかに、テーブルに這ってお皿をなめていたら、一緒に食事をする身としては、冷や汗をかきそうだ。
ほむほむは、彼女との食事中、どうしていたんだろうか。もしかしたら、ほむほむが彼女に心を動かしたのは吊橋効果だったのではないかとすら思えてきた。
※吊橋効果=不安や恐怖を強く感じる場所で出会った人に対し、恋愛感情を抱きやすくなる現象
「それにしても…そっかあ。」
「え?なにが、そっかあ、なの?」
「いや、家ではそうやってご飯食べてるんだなあって思って」
さっきから妙に優しい口調だなあと思っていたけれど、とんでもない勘違いが生まれていた。
どんな気持ちでこの話を聞いていたんだ。
慌てていきさつを説明し、難を逃れた。
危うく、妖怪・皿なめ女になるところだった。
▶︎自分の個性を愛してくれる人はいる
「皿をなめる」という行為を個性と捉えるか、マナー違反と捉えるかは、人によって判断が分かれると思う。(大体の人にとっては、マナー違反になると思うが。)
でも、強烈な個性は、人を惹きつけることもあるのだ。
お皿をなめてもあまりある魅力、あるいはお皿をなめる姿さえ素敵だと思わせる魅力があってこそ、その個性が生きるのだと思う。
私の友人だって、その女性画家のなめっぷりを見たら、恋に落ちるかもしれない。
生き様や思想と個性が結びついてこそ、魅力になる。
逆説的に言うと、他人の個性を真似てもうまくいかない。だから、自分の感性や個性を大切にしていいのだと思う。
世の中には色んな人がいて、お皿を舐める姿にときめく人もいる。
そう思うと、世界の広さに希望が持てるような気がする。
このエッセイの受け取り方がこれでいのかは甚だ疑問だけど(笑)、自分の個性を愛してくれる人は、この広い世界のどこかに必ずいると励まされた。
だから、婚活をする中で、相手に受け入れてもらえないことに凹む必要はないと気持ちが軽くなった。
ありがとう、ほむほむ。
おわりに…
ここまで読んでくださってありがとうございました!
いつもと違うテイストのブログでしたが、楽しんで読んでもらえたら嬉しいです。
「もしもし、運命の人ですか。」には、他にもクスッと笑える夢見がちなエピソードがたくさん収録されています。
気になる方はぜひお手に取ってみてください!
以上、今越さくらでした💓