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【出産レポ】前置胎盤からNICU通いまでの出産記録

こんにちは、バイラーズの栗原蒼(@__aoi__27)です。
現在0歳の娘を育てながら、フリーランスのPRとして活動しています。


今回は、妊娠後期に「前置胎盤」と診断されてから、入院・早期出産、
そしてNICUでの娘の入院生活を経て現在に至るまでの、私自身の出産体験をまとめてみました。

妊娠・出産は本当に人それぞれですし、私も非常に苦労したので、
こうして執筆に至るまで、気持ちの整理に時間がかかりました(娘はすでに生後3ヶ月‥)。


当時、同じように前置胎盤で出産された方を探すのは難しかったのですが、
似た境遇の方の発信を見て励まされたからこそ、
私の体験が同じような状況にいる誰かの励ましや参考になればと思い、書き残すことにしました。

気持ちが入りまくっているので長文になりますが、お付き合いください。

CONTENTS

  1. 妊娠後期にわかった前置胎盤
  2. 30週、突然の大量出血
  3. 31週で2回目の出血。大学病院へ搬送
  4. 転院と管理入院の現実
  5. 緊急帝王切開での出産
  6. ついに出産!我が子との対面
  7. NICUに通う毎日
  8. 娘の退院と、現在

妊娠後期にわかった前置胎盤

はじまりは、妊娠25週ごろの妊婦健診。
「胎盤の位置が低めですね」と指摘されました。

「この時期はよくあることなので、これから上がる可能性もありますよ」と言われたものの、
もし上がらなければ、出産時に胎盤が子宮口を塞いでしまう「前置胎盤として、帝王切開や転院の必要が出てくると説明されました。

突然のことに少し不安になりながらも、それ以外は何も問題なく、
この時点では「経過観察」と言われたので、前向きに過ごしていました。
(”胎盤の位置が上がる”というマッサージをしたりと、できることをひたすら頑張る日々!)
______

※前置胎盤とは:
通常、胎盤は子宮の上部に位置しますが、前置胎盤は胎盤が子宮口(赤ちゃんの出口)を覆ってしまう状態を指します。妊娠後期に進むにつれて出血を伴うリスクが高まり、自然分娩が困難なため、多くの場合で帝王切開による出産が選択されます。重症度によっては「早産」や「母体の大量出血」、併発して起こりやすい癒着胎盤による「子宮摘出」のリスクもあるため、慎重な管理が必要となります。

30週、突然の大量出血

心配ごとはあるものの、引き続き「順調です」と言われていた頃に迎えた妊娠30週。

安静を心がけながらもいつも通りの朝を過ごしていた時に、突然の異変が起きました。
トイレに立った瞬間、見たこともない量の出血。

「どうしよう……」 と、頭が真っ白になりました。

夫は仕事で不在。慌てて病院に電話をし、すぐに診てもらえるよう手配。夫とはクリニックで落ち合うことにしました。

幸い、病院に到着した頃には出血は落ち着いており、そのまま2泊3日の入院へ。(入院バッグ作っておいてよかった)

その後は特に何もなく無事に退院し、「何ともなくて良かった…」と思ったのも束の間、この先の展開は想像以上にハードなものでした。

【出産レポ】前置胎盤からNICU通いまでの出産記録_1

31週で2回目の出血。大学病院へ搬送

退院してからわずか1週間後。
妊娠31週で、再び大量出血を起こしてしまいました。

夜間だったこともあり、そのまま緊急で受診。
医師からは「前置胎盤の影響で、出産時に輸血が必要になる可能性が高い」「出血のリスクがある以上、NICUがある病院のほうが安心」と告げられ、
翌朝、救急車で大学病院へ転院。MFICU(妊婦さんのICU)に入院することが決まりました。

このとき、信頼していたクリニックを突然卒業しなければならなくなったことが、思っていた以上に辛くて…。
先生も助産師さんも頼もしい方ばかりでしたし、施設ときれいで食事も美味しく(↓写真のお肉とっても柔らかかったです😂)、
健診に通うのが毎回楽しみになるほど、大好きなクリニックでした。

妊娠初期から「ここで産む」と決め、人気ゆえ予約も大変な中で大切に通ってきたからこそ、急な別れが余計に寂しかったのだと思います。

このとき食べたお食事

一方で、転院先の大学病院は設備も整い、医療体制としては安心そのものでしたが、
院内はどこか薄暗く、食事は必要最低限の味付け(大学病院なので当然ですね)
面会時間も1日1組・受付してから30分間
のみで、どうしても面会や夫の泊まりも自由だった以前のクリニックと比べてしまいました。
(MFICUのお手洗いの個室3つのうち2つが”故障中”と”使用禁止”だったりと、「え!?」と思うことも多かったです笑)

そして体制が整っている分、医師や助産師さんの数も大人数。
そのぶん、入院中のアドバイスが多様化していて混乱したり、大人数がぞろぞろと何度も急に部屋に来たり(着替え中でも関係なし)、戸惑うことも多く‥

入院生活が長くなるほど、前にいた病院との環境の違いに気持ちが沈んでしまいました。

____
大前提、大学病院の皆さんにはとても良くしていただき、娘の命を救っていただいたので、とてもとても感謝しています!
あくまでもこの不安な状況下で、慣れ親しんだクリニックとの違いに戸惑った、ということですので誤解なきよう‥

【出産レポ】前置胎盤からNICU通いまでの出産記録_3

転院と管理入院の現実

話しを戻します。

救急車で搬送されて、大学病院に到着してすぐに診察と各種検査が行われ、そのまま管理入院がスタート。

子宮の張りを抑えるために、ハイリスク妊婦にとっての「最後の砦」と呼ばれる点滴が始まりましたが、副作用がとにかくつらくて…。

動悸が激しく、頭がぼんやりとして意識がもうろうとし、
さらにこれまでの大量出血からくる貧血も重なって、初日は上体を起こすことすら、ままなりませんでした。
お腹の張りは少しだけ落ち着いたものの、夜間になると張りが強くなる日もあり、眠れない夜が続きます。(この間に、3回目の出血をしました)

【出産レポ】前置胎盤からNICU通いまでの出産記録_4

もちろんベッドの上では絶対安静の日々。

ベッドから出るのを許されたのはお手洗いとお風呂に行くときだけで、食事も全てベッドの上でとり、飲み物を自販機に買いに行きたいときはナースコールするように言われていました。
(お風呂の許可が出ていたのは唯一の救い🙏)

【出産レポ】前置胎盤からNICU通いまでの出産記録_5

そんな制限ばかりの生活がしばらく続くと、
同じくらいの週数を迎える妊婦さんが夫婦で素敵なレストランでお食事をしていたり、産前最後の旅行に出掛けていたりするのをSNSで見かけるたびに、
「なんで自分はこうなっちゃったんだろう‥」という気持ちが芽生えて、気が滅入ってしまいました。(何も問題がなくとも妊娠後期にアクティブに活動することはなかったですが、他の人と比べるのは精神衛生的に良くなかったです)

大前提、どんな事態が起きても安心な医療体制に勝るものはないと分かっていましたが、
ハイリスクな出産を目前に控えながら慣れ親しんだ家を離れ、あまり人と話しもできない孤独な環境の中、ベッドの上で長い時間生活することは精神的に堪えました。

また、出産日よりもかなり早く入院することになってしまったため、
仕事のスケジュール調整が全くできておらず、出産前日までずっと働いていたことも体力的に辛かったです😭
(フリーランスの宿命‥)

ですが、その日々の中で改めて感じたのは、夫の存在のありがたさ。
面会に来てくれるときは好物のフルーツや焼き芋をタッパーに詰めて毎日のように差し入れてくれて、
何も言わずとも、そっと支えてくれるその優しさに、何度も助けられました。

【出産レポ】前置胎盤からNICU通いまでの出産記録_6
【出産レポ】前置胎盤からNICU通いまでの出産記録_7

緊急帝王切開での出産

そんな入院生活が1ヶ月ほど続いた、34週1日目の朝。
4回目の大量出血がありました。


検査後、「辛い状況でよく頑張りましたね。今のところ、赤ちゃんは元気です。でもこれだけの出血量ではもうさすがに母子ともに危険な状況なので、今日産みましょう」と主治医に言われ、あれよあれよという間に緊急帝王切開が決定。
心の準備もままならないまま、手術室へと運ばれていきました。

お腹の子にとって1日・1週間でも長くお腹にいることがどれだけ大切かは事前に調べていたのと、
もうこの時点で我が子は早産児が決定したので、
入院期間中に毎日のように調べた色々なリスクが頭をよぎりました。

「とにかく我が子が健康に産まれますように」と願いながら、手術室へ運ばれます。

ついに出産!我が子との対面

【出産レポ】前置胎盤からNICU通いまでの出産記録_8

麻酔の影響からか、手術中は寒くて震えが止まらなかったのと、「今、お腹を切られてるんだ」という感覚がやはり恐怖でした。そしてオペが始まってから約20分後、ついに我が子が産まれました。

早産の赤ちゃんは産声をあげないことも多いと聞いていたけれど、娘はやわらかく可愛い声で泣いてくれました。

その瞬間、張りつめていた気持ちがふっと緩んで、「ああ、無事に生まれてくれた」「生きててくれてありがとう」と心から安心できたのを覚えています。
その後、執刀医の先生から「子宮収縮も良好で、心配していた子宮の摘出もしなくて済みますよ。用意していた輸血の必要もなさそうです。なんなら普通の出産よりも出血量少ないくらい。良かったですね」と伝えられ、さらにほっと胸をなで下ろしました。

もちろんこの時は親子で一緒に記念写真を撮ることはできなかったので、
娘のホヤホヤとした左手を触って「ありがとう」とだけ言い、すぐに呼吸補助の処置のためNICUへ運ばれていった我が子を横目で見届けました。

会えたのはほんの一瞬だったけれど、娘の誕生を目の当たりにしたあの瞬間は、一生忘れないと思います。

_____

【余談】
念のため、手術中に子宮内も詳しく確認してもらいましたが、筋腫や内膜の厚みなどの異常は見られず、状態はとても良好。
私自身、まだ高齢出産の年齢ではない&喫煙歴もないことから、
「今回の前置胎盤は偶発的なもので、明確な原因は特定できない」と説明を受けました。

「もうこれは選ばれた運命だったんだな」と、この時にようやく前置胎盤を受け入れられたような気がします。

NICUに通う毎日

手術の翌日。(出産の当日は娘と面会はできなかったです)

傷の痛みの残る体で、違うフロアのNICUまでゆっくりと歩いて行きました。
(たぶん普通に行けば1〜2分くらいで済む距離ですが、お腹の傷が痛すぎてノロノロ歩き。たどり着くまでに40分はかかりました。)

ベッドの上で、細い管に繋がれた小さな娘と対面したとき、
言葉にならない無力感と、「早く産んでごめんね」という申し訳なさが込み上げ、
病室に戻ってから、思わず涙があふれました。

そこから深夜問わず3時間おきに搾乳しては、ゆっくりゆっくり歩いて、NICUに歩いて通う生活がスタート。
この時の傷の痛みは尋常じゃなかったです(涙)

【出産レポ】前置胎盤からNICU通いまでの出産記録_9

私の退院後もバスと電車を乗り継いで、毎日NICUへ。

本来なら家で赤ちゃんとゆっくり過ごす産褥期。お腹の傷の痛みと、深夜の搾乳で寝不足の中、バスと電車を乗り継いで遠くのNICUに通い、固い椅子に座って半日過ごすのはかなり大変でしたが、母乳を届ける!というミッションがあったので、毎日休まずに頑張りました。
NICU卒のママさんはあるあるだと思います。
(元バスケ部のド根性魂がここで役に立ちました🔥笑)

NICUの看護師さんから「娘さん、今日は少し無呼吸の時間がありました」と言われれば心配で気が気じゃなかったり、
「黄疸の数値が少し高い」と聞けばまた不安に押しつぶされそうになったり。
それでも娘のそばにいたくて、足を運び続けました。

今振り返ると、NICUに通う毎日は、喜びと不安と罪悪感が交互に訪れるような、心が張り詰めた時間だったように思います。(この時は心身ともに疲労困憊そのものでした。↓ひどい顔)

この時は心身ともに疲労困憊で疲れ切ってました

娘の退院と、現在

しばらくして、胃に直接母乳を入れるために挿管していた管が外され、さらに人工呼吸器や点滴も外してもらえた生後1ヶ月頃。ようやく娘が退院。
退院が決まった時は、「やっと一緒に過ごせる!」と本当に本当に嬉しかったです。

これを書いている今は生後3ヶ月を迎え、順調にすくすくと成長しています。
これからも悩むことがたくさんあるとは思いますが、とにかく健康に生きてくれている今に感謝するばかりです。

【出産レポ】前置胎盤からNICU通いまでの出産記録_11

妊娠や出産は、人それぞれいろんなことがありますし、きっと誰にとっても理想通り・想定通りに進むことのほうが少ないと思います。

こうして命を授かれただけで本当にありがたいことですし、
「生きてくれているだけで奇跡だな」と改めて思ったこの経験は、私の人生の中でかけがえのない出来事でした。

今では↓このように育児の大変さに直面している日々ですが(笑)、
我が子を幸せにするために毎日奮闘中です!

【出産レポ】前置胎盤からNICU通いまでの出産記録_12

今何かしらの不安を抱えている方に「大丈夫」なんて無責任なことは言えませんが、頑張っている妊婦さんの気持ちは、きっと我が子に伝わっていると思います。

この記録が、今どこかで妊娠や出産に不安を抱えている方の、小さな安心や希望につながりますように。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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