こんにちは。スーパーバイラーズの坂本愛です。
コロナ禍が落ち着いて、最近は本当に気軽に外出できるようになってきましたね!
先日友人の結婚式に参列する機会があり、新郎のお母さまからの挨拶の中に、エーリッヒ・フロムの名著「愛するということ」の引用がありました。
「互いに人間的に自立していないと、人を愛することはできない。この言葉を息子とお嫁さんに贈りたい」と。
なんて、核心のついた言葉なのかと心を打たれました。
この本は、1956年に出版された社会心理学や哲学の研究者エーリヒ・フロムによる著作で、少し前に新訳版がでて、話題になっていました。
式場を後にしてからも、心に残り興味深かったので、読んでみることにしました。
読んでみたら、心に刺さる、そして耳が痛くなるような言葉がたくさんあり、最後まで読まないと気が済まず読み耽ってしまいました。
私もそうですが、BAILA世代の方は恋愛や結婚、結婚してからの夫婦関係というトピックにとても悩みが多いと思います。
そういった方に、ぜひ一度手に取ってもらいたい一冊です。
愛するという行為は技術である
本書にて、著者はまず最初に、“「愛する」という行為は、音楽や工学などと同じく「技術」を要する” と説いています。
そして、その技術を身につけるためには、“自分自身の人格全体をより優れたものにするよう努力しなくてはならない。” と述べています。
愛するという行為は落ちるものではなく、能動的に踏み込む活動
筆者によると、“ 愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏みこむ」ものである。” と定義しています。
恋という「落ちる」体験的な要素とは異なり、愛する行為は持続的な関係構築が必要とされそれは、何かしてもらうことを待っていることではなく、自ら踏み込み与えていくことと説いています。
現代における誤解
また、本書では、現代における歪なパートナーとの関係性は、愛されることに注力しすぎること、自身の愛する能力向上を疎かにし愛する対象探しに注力してしまうこと、恋に落ちることばかり気にしていること、この3つが落とし穴と述べています。
なるほどなと思った箇所を引用します。
“自分の交換価値の上限を考慮したうえで、市場で手に入る最良の商品を見つけたと思ったときに、恋に落ちる。この取り引きではしばしば、不動産を購入するときと同じように、将来性が重要な役割を演じる。何もかもが商品化され、物質的成功がとくに価値をもつような社会では、人間の愛情関係が、商品や労働市場を支配しているのと同じ交換パターンにしたがっていたとしても、驚くにはあたらない。”
パートナーと生きるという持続的な状況と、自分と相手の価値の交換パターンに従った上で恋に落ちるという体験を混合しているところに落とし穴があると言及しています。
読んでみて
本書の中の強いメッセージが、「双方の人間力の向上なくして、愛あるパートナーとの関係構築はできない」というものです。
これは、本当に耳が痛く、そして同時に本質的すぎて反論もできないです。
個人的には、自由恋愛が主流の現代に生まれたので、独自のクライテリアで設定された自身の価値の上限ギリギリに見合う相手を探し出し、相手をある程度選んでからパートナーとしての関係を構築し、(恋愛をして)結婚するというプロセス自体は良いと思っています。
私も含めて多くの女性たちが同じようなプロセスを踏んで結婚しているように感じます。(何の判断基準も持たずに、ある日突然恋に落ちて結婚というケースは少ない印象です。)
一方で、選んだ相手と継続して良い関係を構築できるかは、また別のベクトルで考える必要があり、それには双方の人としての自立力、人間力が大きく関係してくるという主張は完全に同意します。
もし上手くいかない、関係性に歪みがでいたときは、それは金銭問題や性的関係性の揺らぎなど、様々な理由はあるかもしれませんが、それよりも双方の人としての自立力、人間力のほうが大きく関係しているのではと個人的には感じます。
私も、現状のパートナーとの居心地の良さに甘えず、人として自分の人間力、自立力を養っていきたい!と改めて感じさせられました。
自分もいつか、友人のお母さまのように、本質的な言葉を贈れる女性になりたいです。
大事なことを改めて気づかせてもらった、友人の結婚式に感謝でいっぱいです。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました!