いつの時代も「働き方」に悩むのは30〜40代。本企画では、憧れの先輩たちがどのような働き方をしてきたかを取材。今回は、美容ジャーナリストの髙橋美智子さんが主役。肩書きにとらわれず新しいことに挑戦し続けるその原動力やこれからの夢を探る。
1968年宮城県生まれ。大学卒業後、婦人画報社(現・ハースト婦人画報社)に入社。『婦人画報』や『mc Sister』編集部でファッションやビューティ担当編集に従事したのち独立。『MAQUIA』の創刊メンバーになり、ビューティディレクターとして活躍。その後、2013年に仕事の幅を広げるべく、会社『マグノリア』を設立。2017年、上智大学大学院に入学し、「化粧心理学」を研究。総合人間科学部心理学専攻修了し、2020年修士号を取得。ベストコスメなどのアンケートシステムや、新作コスメの商品データを集約するシステムを運営し、YouTubeの動画制作を手がけるなど時代のニーズを掴み、軽やかに仕事の幅を広げている。野菜ソムリエ、温泉ソムリエ、アロマテラピーアドバイザーの資格も取得。
大学卒業後、婦人画報社に入社。『婦人画報』編集部に配属
マスコミに強い上智大学文学部新聞学科で学び、出版社志望。
中学時代から愛読していた『mc Sister』のある婦人画報社(現・ハースト婦人画報社)に、難関を勝ち抜き入社。最初の配属先は『婦人画報』編集部。周りは熟練の編集者やライターぞろいだった。
「入社してすぐに食担当となり、初めての仕事は『金沢の料亭』特集でした。新米編集者にとって、老舗の取材は緊張の連続。1週間の滞在でしたが、あの経験で度胸がついたと思っています」
2年目からはファッションとビューティ担当に。
「当時は毎月、会社の大先輩であり美容ジャーナリストとして活躍されていた齋藤薫さんと一緒に美容の特集を担当。打ち合わせや撮影の現場で毎回どんな構成にするか考えたり、教えていただいたりと、齋藤さんとの仕事は、編集者として学びの多い貴重な経験でした」
『婦人画報』編集者時代の髙橋さん。デスク周りの様子からも多忙ぶりがうかがえる。
28歳、憧れの『mc Sister』編集部に異動
そして念願叶って『mc Sister』編集部へ。ビューティ担当となった。ここから、超絶忙しい日々が始まる。
「婦人画報社の編集者は、自分で商品を借りてスタイリング、撮影準備、原稿書きもやらなければいけないシステム。企画を考えてコンテを描いて、スタッフをブッキングし、撮影して原稿を書いて校了するまですべて自分自身でやります。
その頃は、撮影用のコスメや、モデルが着る衣装の借用や返却のためにこちらからブランドに出向くのが普通でした。30分刻みに15社近くにアポを入れて、電車やタクシーで回ってピックアップ。帰社後は、衣装のコーディネートを考えて先輩に見てもらい、終わると原稿を徹夜で書いて明け方に帰宅。
そのまま着替えてロケ撮影なんていうのもザラでした。
それでもまだ20代。夜中に仕事が終わると“まだ時間がある”と思って飲みに行っていましたね(笑)。いやー、濃密な20代でした」
『mc Sister』編集者時代の髙橋さん(中央)。土日になると街でスナップ撮影をしていた。
33歳、フリーになることを決意
気づけば5年が過ぎ、33歳のとき、「そろそろフリーの美容編集者に転身しようかな」と髙橋さんは考えた。
「先輩たちも30代になると独立する人が多いんです。私自身もハードな日々に不整脈になったりして体が少し悲鳴を上げていました。
先輩たちが、フリーになっても編集者やライターはもちろん、作家、エッセイスト、占い師、スパジャーナリスト、スタイリストなど幅広い分野で活躍していることと、学生時代からつきあっていた彼と結婚もした(31歳)ことで、私もフリーの美容ライターになることを決断しました」
独立後の30代も激動の日々
髙橋さんがフリーになって勉強したものに、フレグランスやアロマがある。
「何か身につけて強みにしたかったんです。忙しいときに自分をリフレッシュさせるのに精油がいちばんピタッときていました。きわめるべく、フランスのラベンダー畑や精油工場を訪ねたり、アロマテラピーアドバイザーの資格を取得しました」
一人で編集ライターとしてページを作れる髙橋さんは、さらに香りの知識も身につけてパワーアップ。たくさんの仕事が舞い込み、結局、忙しい毎日を過ごしていたという。
「35歳のときに『MAQUIA』の創刊メンバーに誘っていただき、これまた夜中まで仕事をする日々。本当に忙しかったです。でもかけがえのない経験でした」
ヘア&メイクアップアーティスト千吉良恵子さん(前列中央)を囲んで、MAQUIA編集部のスタッフとの食事会の楽しい1枚。髙橋さんは左列前から3番目。
36歳、思い切って軽井沢に家を建てる
相変わらず多忙な中で、髙橋さん夫婦は家を買うことを決意。その家をどこに買うかで悩んでいたときに、軽井沢が浮上する。
「東京での生活は朝から晩まで仕事中心。息抜きをするために自然の中に身を置きたいと思っていました。実際、学生時代から軽井沢へ合宿に行ったり、社会人になってからもよく遊びに行ったりしていて、軽井沢っていいなと思っていました。東京から新幹線で1時間だし、行ったり来たりできるなと考えて、思い切って土地を買いました」
家は夫婦で案を出し合って設計してもらい、理想の家を建てた。大きな3面窓から美しい自然が飛び込んでくる。
髙橋さんの軽井沢の自宅。森に囲まれるように設計された。
「軽井沢のいいところは1年の流れを五感で感じられること。四季がハッキリしているんです。平日、東京でバタバタしながら働いたあと、週末に軽井沢に来ると心底リラックスできて本来の自分に戻れる感じ。
最初は、平日は東京の家、週末を軽井沢で過ごしていましたが、コロナ禍以降は逆転し、今は8〜9割軽井沢で暮らし、撮影や打ち合わせがあるときは東京の家に滞在するという感じで二拠点生活を続けています」
髙橋さんがいちばん好きな冬の景色。薪ストーブは冬の必需品。
44歳で会社を設立。仕事の幅を広げる
35〜40歳の5年間、『MAQUIA』の編集ライターとして過ごし、さらに契約を更新。仕事は安定しているものの、「40代をどう生きるか」と考えるようになったという。
「43歳のときに、東日本大震災が起こりました。地元仙台も甚大な被害を受け、これが大きく私の胸に響きました。誰かの役に立ちたい。そういう衝動に駆られたこともあり、会社を設立することにしました。名前は『マグノリア』。仙台の実家の庭にずっと咲いていた花の名前からとりました。震災直後に見た、前向き(上向き)に咲く花の姿に感動したからです。仕事は編集を軸に、コスメ情報をデータベース化するシステムの開発も始めました」
毎日たくさんのコスメメーカーから送られてくる新作情報やリリース。膨大な紙の資料は保管するのも取り出すのも大変で常に悩みの種。なんとか情報をデータベース化できないかと思っていた髙橋さんは、エンジニアの知人に頼んでシステム化してもらったそうだ。
「システム導入には初期費用もかかるし、色々試行錯誤しながらでした。でも、徐々にこのシステムは、毎号のMAQUIAの『コスメカレンダー』や、『美白グランプリ』や『ベストコスメグランプリ』などの商品のリストアップやアンケートの投票システムなどに生かされるように。長年現場をやってきて、“こうしたほうがいいのに”と思ったものを形にしたり、DX化を進めたりしたことで、作業の効率化に貢献できたのかなと思います」
髙橋さんが構築したコスメのデータベースとベストコスメ企画などの投票システム。格段に効率化された。
48歳で大学院を受験し、「化粧心理学」を研究
髙橋さんが開発したコスメのデータベースやアンケートシステムは、『MAQUIA』に始まり、『BAILA』や『MORE』など今では多くの雑誌で採用されることとなる。一方で、仕事以外の新たな挑戦も。髙橋さんが48歳のとき、母校・上智大学の大学院を受験した。
「美容の記事を長く手がけてきたなかで、女性がメイクをするときにワクワクしたり、自信を持てるようになったりする姿を見て、化粧の心理的な効果を一度科学的に研究してみたいと思っていたんです。東日本大震災のときも、ボランティアで化粧品を避難所に寄付しに行ったとき、コスメに触れたり、口紅を塗ったりした途端、女性たちの顔が皆、パッと明るくなったんです。“この化粧の効果を知りたい”という好奇心がずっとあり、研究の道へ飛び込むことに。
女性たちの化粧心理を研究したかったので、社会心理学を専攻しました。受験勉強も頑張りましたよー。仕事をしながら週4回、入試塾に通いました。大変でしたが、受かったときの嬉しさは格別なものでした」
大学院入学式に出る髙橋さん。
「48歳が、23〜24歳の学生の中に飛び込むなんて、普通なら躊躇してしまいがちですが、やりたいことをやるのに歳は関係ない!と思うことにして(笑)、飛び込みました。
慣れない学生生活や研究に戸惑いつつ、実験や論文の執筆に懸命になっていた日々は、大変でしたが、楽しく、充実していましたね。また、“学びの前では人は対等であり、年齢は関係ない”ことがよくわかり、ゼミや学会でも教授や学生が対等に議論したりと、仕事とはまた違う刺激を受ける毎日でした」
今もなお、進化し続けるパワーの源とは?
大学院を修了し、美容ジャーナリストとして仕事を続ける傍ら、システムを日々アップデートさせている髙橋さん。さらに、2021年からYouTubeの動画制作もチームを作ってスタートさせ、活躍の場を広げている。この原動力を聞いてみると、
「“好奇心”ですね。あとは、チャレンジしようと思ったことは全力で向かっていくのが好きなんです。ムリかもと自分にリミットを作らないで、毎年何かしら新しいことに挑戦するようにしています。
そして軽井沢自体の存在もとても重要ですね。自然のなかに身を置くことで心身や思考がリセットされ、ゆっくりと考える時間が増えたせいか、やりたいことがよりクリアに見えるようになった気がします」
幸せを感じる時間とは
軽井沢生活になってから、ほぼ自炊をしている髙橋さん。
「野菜も肉も美味しいので食事が美味しくて♡ 料理をする時間が楽しいです。あと、婦人画報社時代の友人が隣町で農業をやっているので、田植えや稲刈り、筍掘りや、野沢菜や大根の収穫など自然に触れる時間も幸せ。
それと、その友人の畑に迷い込んできた子猫を2年前に引き取り、いまは毎日、猫に癒されています。こうした軽井沢生活があるからこそ、仕事を頑張れます!」
髙橋さんの愛する“ひーちゃん”。テラスでひなたぼっこするのと、散歩が大好き。そして、仕事をしている髙橋さんの邪魔をするのも好きなご様子。
人生の先輩として@BAILA読者へのメッセージ
「先ほども話しましたが、自分でリミットを作らないでください。ダメかもと思わずにやってみたいと思ったことにぜひ飛び込んでほしいです。
自分で選択すれば、責める人はいませんし、人生の刺激にもなります。
大きな変化を選択する必要はありません。ちょっと目先を変えるだけでいいので、新しい挑戦を増やしていくと、自分の可能性が広がって人生が豊かになります」