いつの時代も「働き方」に悩むのは30〜40代。本企画では、憧れの先輩たちがどのような働き方をしてきたかを取材。11人目は、美容家として、起業家としてパワフルに前進する山本未奈子さん。その原動力と共に、彼女の過去・現在・未来を探る。
1975年東京生まれ。12歳から大学卒業までをイギリスで過ごす。総合商社や外資系証券会社に勤務後、結婚を機にNYへ。専業主婦に留まらず、NYの美容学校へ入学し、首席で卒業。同校で教鞭を執る。その後、拠点を日本に移して2009年に『MNC New York株式会社』を設立。スキンケアブランド「SIMPLISSE/シンプリス」をはじめ、フェムテックブランド「Bé-A〈ベア〉」も立ち上げる。また、豊富な知識から美容家として美容誌に登場するほかセミナーやイベントでの講演など多彩に活躍中。18歳・10歳・9歳の母でもある。
12歳で単身渡英。約10年間イギリスで過ごす
英語が堪能で聡明なビジネスウーマンといった印象の山本未奈子さん。聞けば12歳(中学生)から一人でイギリスに留学したという。それも自分の意志だったというから驚きだ。
「小学生の頃から夏休みになるとカナダやグアムのサマースクールに行かせてもらっていて、海外の人や環境に触れるたびに憧れていました。
私が1歳のときに両親が離婚し、母はシングルマザー。私が幼い頃の母は、とにかく一生懸命働いていて…。そんな母がよく一人娘の私を留学させてくれたな、としみじみ思い出します」
お母さまとの旅行先での1枚。
美しさはお母さま譲り。仲の良さがうかがえる
大学卒業後帰国し、総合商社に就職
留学当初はまったく英語もしゃべれず、いじめにもあった。アジア人に対する差別や、孤独を感じた経験が山本さんの根底にあるという。
「差別のない世界にしたいと強く思っています。また、幼いながらに身につけた、さみしさを回避するために周りをどうやって巻き込むか、という術が今も色々な人を巻き込んで仕事をしていることからも、留学時代の経験が生かされているなと感じます」
言葉の壁を越え、徐々に楽しくなっていったイギリス生活。UCL(ロンドン大学)を卒業後、そのまま就職したかったが就労ビザを取るのが難しく、帰国することに。そして最初に入ったのは総合商社の事務職だった。
「船舶の部署で週末も働いていました。事務職が向いていないのか腎盂炎になったりして体を壊し、3年頑張ったところで転職しました。ほら、石の上にも三年と言うでしょ。最初の仕事ですし、とにかく3年は頑張ろうと思ったんです」
25歳で外資系証券会社に転職
次に就職したのが外資系証券会社。ここでアシスタントとして採用された。そして、ここからが山本さんの本領発揮。『自分はここでもっと違うことができるはず!』と「証券外務員一種」という資格を取得し、デリバティブセールスに昇格する。
「アシスタントからセールスになる人はほぼいないため、会社中が驚いたようです。27歳でセールスになった途端にイギリスに転勤となりました。『またロンドンに行ける!』と嬉しかったのを覚えています。
単身でロンドンに渡りましたが、プロポーズされて結婚することになり、実は半年で帰国しました」
28歳で結婚。29歳で出産。その間に“起業願望”が高まる
専業主婦になり、長女も授かって幸せな毎日。ところが、どこか満ち足りていない自分に気づいた山本さん。それは、仕事がない生活だった。
「毎日家で“起業プラン”を書いていました。色々やってみたいことが湧いてきて。そんな矢先に夫のN.Y転勤が決まり、また環境が変わったんです。
N.Yでも昼間何かしなきゃ!って思っていて…。『そんなに美容が好きなら、仕事にしたらいいじゃない』という夫のひと言で人生が変わりました。私、学生時代から美容オタクで、美容が趣味。そうか、『N.Yの最先端の美容をゼロから学ぼう!』と気づいたんです」
32歳でN.Yの美容学校に入学し、首席で卒業する
N.Yのエステティックスクール『L’atelier Esthetique』へ入学した山本さん。毎日朝から晩まで勉強していたという。
「アメリカではエステティシャンは国家資格で、生物学、細胞学、骨や筋肉の仕組みなど人体のあらゆることを勉強するんです。
その後、『英国ITEC 認定国際ビューティスペシャリスト』という資格を取り、私が学んでいたエステティックスクールで教えるようになりました。このときに『日本に帰ったら会社を作ろう』と決意。その頃はブログが全盛で、毎日学んだことやN.Yの最新情報を書いては上げていました」
N.Yの美容学校で教鞭を執る山本未奈子さん
33歳。リーマンショックで急きょ帰国することに
N.Yで美容学校の講師というポジションを得て、充実していた山本さんの生活に突然の悲劇が起こる。2008年9月の世界的な金融危機、リーマンショックだ。
「外資系証券会社勤務の夫にもその余波が。予定していたよりも早く帰国することになりました。東京で家を探し、思い切って会社を起こしました。それが『MNC New York株式会社』です。事務所を借りるなんて無理。まずは家のリビングでたった一人で始めました」
これを機に、山本さんの美容家人生が華やかに幕開けする。
会社を立ち上げて半年でウェルネスブランド「SIMPLISSE/シンプリス」をローンチした。
山本未奈子さんが手がけるブランド「SIMPLISSE/シンプリス」。
”フェムテック”の先駆け的製品がラインアップ。
その3ヶ月後には初の美容本『今まで誰も教えてくれなかった –極上美肌論-』(武田ランダムハウスジャパン)を出版した。
「私がN.Yで毎日上げていたブログがある編集者の目に留まり、本を出しませんかとご連絡をいただきました。その後、各女性誌からの誌面出演のオファーもたくさんいただいて、あれよあれよという間に忙しい毎日を送るようになりました」
初の著書『今まで誰も教えてくれなかった 極上美肌論』(武田ランダムハウスジャパン)
35歳でオフィスを構え、3名がメンバーに加わる
美容家としての仕事がどんどん舞い込んでくるようになり多忙を極める山本さん。昔からの親友や、N.Yでのママ友など3名がメンバーとして加わり、オフィスを構えた。
「まずは、“日本で一番女性を幸せにする”というビジョンを掲げ、女性の活躍をサポートする仕事をしよう、と皆で決めました。仕事が順調なほど家庭をかえりみる時間がどんどん減り、夫とのすれ違いから離婚することになりました」
そこから、ますます仕事に生きるようになった山本さん。しかも、プライベートも充実。再婚をし、36歳で長男を、37歳で次女を出産。5人家族となった。
山本未奈子さんと3人のお子さんたち
「仕事を辞める気はまったくなく、母など周囲の助けを得ながら続けていました。40歳までは順調そのもの。でも、今思うと調子に乗りすぎて勘違いしていたんでしょうね。忙殺される日々で、大切なものを見失っていたんです」
42歳で初めての挫折。社員からの求心力を失う
仕事にも家庭にも恵まれ、まさに怖いものなしだった山本さん。美容家としてのフラットな感覚で、誌面で他ブランドを薦めることがよいと思っていたが、社員からは“自分のブランドに対して情熱が薄いのでは⁉︎”という不信感を持たれてしまった。
「社員の信頼を失いかけて…私にとって初めての大きな挫折でした。しかもこの頃、子宮内膜症を経験。徐々に更年期の症状も現れはじめました。
会社として何をしたらいいのかをじっくり考え、創業当初から掲げていた“女性を幸せにする”ことこそが会社の使命だと再確認したんです。
そこで、「SIMPLISSE/シンプリス」でも女性の健康をサポートする製品を開発。さらに、約2年半前に超吸収型サニタリーショーツのブランド「Bé-A〈ベア〉」を創りました。
「新フェムテックブランドBé-A〈ベア〉」
今まで“生理”に関しては世の中的にタブー視されてきたからこそ、世の中の意識を変えたいと思って。クラウドファンディングで9,000人を超える方から1億円以上を集めることができて、この“達成感”や社員との“一体感”が、会社を立ち上げてからいちばん感動したことです。
「Bé-A〈ベア〉」は、商品開発から販売に至るまですべて社員が一丸となって作っています。お客様からの喜びの声を聞くにつけ本当に幸せ。現在約30名ほどの社員がいますが、今が最も会社全体で一体感があると思っています」
『Bé-A〈ベア〉』の代表的製品、超吸収型サニタリーショーツ
多忙な山本さんが今ハマっていること
常に忙しい山本さん。でも歳を重ねるごとに時間の使い方もうまくなり、時間的にも精神的にも自由になったと話す。
「それは、あまり小さいことにくよくよしなくなったのも大きいですね。あと、精神的に弱っているときに助けとなったヨガのレッスンには週1回は行くようにしています。できれば習得して毎日でもやりたいくらい。筋肉が柔らかくなり、全身の柔軟性が高くなってきたことと、瞑想することでリセットする時間にもなっているので本当に気に入っています」
ヨガに集中する山本未奈子さん
さらに、これから密かに実行に移したいと思っている“野望”も教えてくれた。
「今、私が経験している『更年期』に関する本と、『経営本』を書いてみたいです。書くことで身近に感じてもらえる存在になりたいです。
フランスには“40代からが女性の本番”という言葉があります。人性100年、もうすでに人口の二人に一人が50代の時代。“歳だから”“男性だから”“女性だから”という固定観念をなくして、自分らしく、心地よく生活していくお手伝いをしたいと強く思っているんです」
人生の先輩として、BAILA読者にメッセージ
「歳を重ねることは素晴らしいこと。30代になって『歳をとった』という人がいるけれど、40代になると30代なんて若いなと思います。今できることを自分への投資と思って頑張って続けてほしいです。やりたくなくなったら休めばいい。そうすることでまた見えてくることもあります。何かにトライするとき、失うものって結構ないものです。
うちの母が、誰かの言葉を借りたのか、放ったひと言が今でも忘れられないのですが、『難がないのは“無難”、難があるのは“有り難い”なのよ』という言葉に何度も背中を押されました。失敗することで学ぶことも多いし、失敗しても再度納得するまでやればいい。それこそが成長です。
また、声を大にして言いたいのは“知識は絶対に裏切らない”ということ。知識と自信は比例します。だから日々勉強! やり続けることで成功が見えてきます。皆さんも“成長期”の30代、40代を悔いなく謳歌してください!」