幼い頃に出会った音楽が、ジャズが上原ひろみさん自身にも、聴く私たちにも次々と新しい景色を見せてくれる。好きなものを追求し、情熱を燃やし続ける人生の中で知った、生きるヒントとは。ピアニスト 上原ひろみさんに仕事との向き合い方をインタビュー。
誰かへの憧れや、学びたいという気持ちが自分の成長につながる
キャリア20年で培ったのはリスクへの対応力
上原ひろみさんのピアノの真骨頂は、パワフルで大胆な即興演奏。鍵盤をかき鳴らす指先にも、恍惚とした表情にも、楽しくて幸せでたまらないというパッションがほとばしっている。細胞のすべてで音楽を鳴らしているような演奏は、世界中の人々を熱狂させてきた。もちろん、アドリブとはいえ適当に演奏しているわけではない。即興演奏について上原さんは、「会話と同じ」だと教えてくれた。
「おしゃべりな人、寡黙な人、いろんなタイプの人と話をすることで会話力は身につくし、たくさん本を読んで語彙力を身につければ、操れる言葉も増えていきますよね。音楽も同じで、素晴らしい先人たちの音楽を聴いて素敵だと思ったフレーズを、自分でも弾いてみる。そうすると、いつの間にか自然に使えるようになって、表現できる音が増えていくんです。いろんな人の演奏を聞いて憧れることは、成長する上でとても重要だと思います」
ニューヨークを拠点にコロナ禍前は年間150本のライブを世界各地で行ってきた。今年は、デビューアルバムをリリースしてから20年の節目。
「キャリアと年齢を積み重ねて培ったいちばんの収穫は、キャパシティコントロールができるようになったこと。たとえばライブで5カ国を8日間で巡ろうと思った場合、20代の頃は経験がないからリスクを想定できませんでした。ケガや病気、飛行機の乗り継ぎやロストバゲージなど、自分ではコントロールできない外的要因はいくらでも起こり得るし、思い描いたとおりにならないことも多い。失敗や大変な経験をたくさん積み重ねてきたからこそ、『この都市に行くときは直行便じゃないとロストバゲージするかもしれないな』とか、『ここで1日オフをつくって、スケジュールに余裕をもたせたほうがよさそうだな』と対処ができるようになりました。後から振り返ったときにドラマチックに聞こえても、やっぱり3時間しか眠れていないよりも7時間寝てステージに立ったほうがいいし、しっかりサウンドチェックする時間があったほうが当然いいパフォーマンスにつながる。仕事を長く続けているよさは、リスクを事前に回避する力と、トラブルが起こったときの対処法があること、そしてそこから立ち直る回復力が身につくことかもしれません」
一方で、自分の技術や才能の可能性については、キャパシティをコントロールすることはない。というより「永遠に広がると思う」と断言する。
「まだまだ音楽を通して見たい世界や景色があるし、自分はどこまでいけるだろうという期待もあります。山登りみたいなもので、自分が背負う荷物の物理的なキャパシティをコントロールできるようになると、より高い山に登れるようになるじゃないですか。登れば登るほど面白くなるし、見たこともない景色ってこんなに素晴らしいんだとわかる。挑戦する気持ちや才能の可能性は、1ミリずつでもいいから広げていきたいと思っています」
スランプに陥るのはピアノが大好きだからこそ
10代から能力を開花させ、世界を舞台に活躍を続けてきた上原さん。特別な才能を磨き続けてきた稀有な人ではあるけれど、悩みや焦りと無縁の、完全無欠なスーパーウーマンではない。
「なんかライブがうまくいかないなとか、いい作品が生まれないなとか、そういう時期はもちろんあります。でも、道が開けるのは明日かもしれないと思ってやり続けるしかない。それしか方法がないと思っています」
そうして悩めることさえも、「ありがたいこと」だという。
「たとえば、普段から私は食事を作るけれど、せいぜいゆでるとか焼くとか、最低限お腹を壊さない程度の料理なんですね。使う調味料も酒・しょうゆ・みりんみたいな基本のものばかり。サラダにオレガノを入れることを最近覚えて、『おしゃれになった!』と喜ぶレベルです(笑)。だから肉を焦がしても枝豆をかたくゆでてしまっても、スランプだなんて思わないんです。でも、その状態は料理のプロからしたらずっとスランプみたいなもの。料理に対する向上心や好奇心が甘いから、いつまでたってもうまくならないんです。一方で、ライブができないことや作品ができないことに落ち込むのは、音楽のことが大好きで、ケアをしてきた証拠。自分への期待値がそこにあるんです。スランプを感じるほど好きなことに出会えたことは、ラッキーだと思います」
越えなければいけないハードルは高くなっている
2年ぶりのオリジナルアルバム『Sonicwonderland』では、気鋭のミュージシャンと組んだ4人組編成の新プロジェクトを始動。常に新しい挑戦を続ける現在地とは。
「デビューしたばかりの20代は、フェスやライブに出ても、私の演奏を初めて聴く人ばかりでした。そこには“誰も自分のことを知らない”というハードルがあったけれど、今は、越えなければいけないハードルの種類が変わってきていると思います。私の場合、ソロでピアノ公演をすることもあれば、弦楽四重奏にピアノを加えたクインテットで演奏をすることもある。自分の中ではまっすぐ、やりたい音楽を続けているだけだけど、振り幅の広いことをやっているので、以前の演奏を期待してライブに来る方の予想を裏切ることが必ず出てくるわけです。そこにおじけづくことはまったくないですが、予想を裏切った先でどれだけ満足させられるかということは、チャレンジですよね。キャリアを重ねるほど、ハードルは高くなっている気がしています」
20年前に抱いていた夢は、「ピアノを弾き続けて世界中でライブをする」こと。自由で大胆な演奏をする上原さんの素顔は、意外にも緻密で繊細だ。
「ピアノを弾き続けるという夢は、私にとってものすごく大きな野望でしたし、もちろん今も変わらず持ち続けています。その野望をかなえるために何よりも大切なのは、一つひとつの作品やライブに丁寧に向き合うこと。『一つひとつ丁寧に』は、私のモットーです」
HISTORY
17歳 チック・コリアの来日公演に飛び入り出演
20歳 バークリー音楽大学へ留学。作曲・編曲を学ぶ
24歳 アメリカの名門ジャズレーベル「テラーク」と契約。デビューアルバムをリリース
31歳 参加作品が、第53回グラミー賞「ベストコンテンポラリージャズアルバム」を受賞
42歳 東京2020オリンピックの開会式で演奏。
44歳 ジャズを題材とした大ヒット漫画作品『BLUE GIANT』映画版の音楽を手がける
最新アルバム 『Sonicwonderland』大好評発売中
【通常盤 SHM-CD】 ¥2860
ピアニスト
上原ひろみ
うえはら ひろみ●1979年3月26日生まれ、静岡県出身。今年公開された映画『BLUE GIANT』の劇中音楽を担当したことで話題となった。「映画を通して私を知り、ライブで聴いてみたいと思ってくださる方がいたらすごく嬉しいですね。今の若い人は音楽をアルバムではなく1曲単位で聴くし、SNSに流れてくるものは1分でも長いと感じるじゃないですか。作品を好きになるって恋に落ちることと似ているから、どんなかたちでの出会いでも、ご縁を感じてもらえたらいいなと思っています」
撮影/神戸健太郎 ヘア&メイク/神川成二 取材・原文/松山 梢 衣装協力/ヨウジヤマモト プレスルーム(LIMI feu) ※BAILA2023年11月号掲載