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家族とは血の繋がりなのか、それとも。角田光代/八日目の蝉

家族とは、血のつながりだけなのだろうか。

家族とは血の繋がりなのか、それとも。角田光代/八日目の蝉_1

「家族」とは、いったい何なのでしょうか。血のつながった人たち。

一緒に暮らす人たち。自分を産んでくれた人。それとも、どんなときも味方でいてくれる人。

あなたにとっては、どんな人ですか?

角田光代さんの『八日目の蝉』を読んでから、そんなことを考えるようになりました。

物語は、野々宮希和子が、不倫相手の子どもを誘拐するところから始まります。生まれたばかりの赤ん坊を連れ去り、「薫」と名付け、自分の子どもとして育てながら逃亡する。もちろん、許されることではありません。

それでも、読み進めていくうちに、希和子をただの「誘拐犯」として見ることが難しくなっていきます。泣けば抱き上げる。ご飯を食べさせる。服を着せる。病気になれば心配する。眠る姿を見守る。母親がすることを、希和子はしているのです。

血はつながっていません。戸籍上の母親でもありません。それでも、薫にとって希和子と過ごした時間は、確かに「母親と過ごした時間」でした。

では、「本当の母親」とは誰なのでしょうか。産んだ人でしょうか。育てた人でしょうか。それとも、もっと別のものなのでしょうか。

この小説は、その問いに簡単な答えを出しません。むしろ、答えが出ないまま物語が進んでいきます。そこが、この作品の苦しさであり、同時に面白さでもあると思います。

物語の後半では、成長した薫――恵理菜の人生が描かれます。本当の家族のもとへ戻れば、すべてが元通りになる。そんな簡単な話ではありません。恵理菜は、自分がどこから来たのか、自分を育てた人は何者だったのか、そして自分にとって家族とは何なのか。その問いを抱えながら生きていくことになります。

ここまで読んで、私は家族というものを「血縁」だけでは説明できないのだと思いました。一緒に食卓を囲んだこと。熱を出したときに看病してもらったこと。何気なく交わした会話。一緒に見た景色。そういう小さな記憶が積み重なって、その人にとっての「家族」ができていくのではないでしょうか。

そして、この作品で忘れられない場所が小豆島です。

希和子と薫は、逃亡の末に小豆島へたどり着きます。そこでは、追われる生活を一瞬忘れるような穏やかな時間が流れています。二人にとって、そこは一時的な「家」になりました。そして物語の後半では、成長した恵理菜も小豆島を訪れます。

同じ場所なのに、二人にとっての意味は違います。希和子にとっては、薫と母娘として過ごした場所。恵理菜にとっては、自分の幼い頃の記憶につながる場所。その島に、二人の時間が重なっているのです。

私自身も、小豆島を訪れたことがあります。実際に島を歩き、海を見て、物語の中に出てくる場所を訪れました。本の中で読んでいた景色が、突然、自分の目の前に現れます。

観光地として見れば、とても穏やかで美しい島です。だからこそ、少し不思議な気持ちになりました。

ここで、希和子と薫は逃げていた。でも、薫にとっては、ここで過ごした時間が大切な幼少期の記憶になっている。犯罪だったから、その時間も偽物だった。そんなふうに簡単に割り切ることはできないのだと思います。

希和子がしたことは、間違っています。それでも、そこで生まれた愛情まで嘘だったとは言い切れない。人間の感情は、そんなにきれいに善悪で分けられるものではないのだと思います。

家族も、同じなのかもしれません。血がつながっているから、必ず幸せになれるわけではない。一緒に暮らしているから、必ず分かり合えるわけでもない。反対に、血がつながっていなくても、その人の人生に消えない記憶を残すことがあります。

『八日目の蝉』を読み終えてから、私は「家族」という言葉について考えることが増えました。家族とは、誰なのでしょうか。どこまでが家族なのでしょうか。そして、いつまで家族なのでしょうか。

まだ、答えは出ていません。

ただ、家族とは「一緒に生きた時間」の名前でもあるのかもしれない。そんなふうに思うようになりました。

楽しかった時間も。苦しかった時間も。忘れたい記憶も。忘れられない記憶も。全部ひっくるめて、その人の中に残っていく。

小豆島で見た海を思い出すと、今でも『八日目の蝉』のことを考えます。

あの島で見た景色は、私にとっては旅の思い出です。けれど、薫にとっては、人生の中から消えることのない景色なのだと思います。

そう考えると、家族というものは、案外「誰か」ではなく「何か」なのかもしれません。一緒に過ごした時間。そこで生まれた記憶。その人の中に残り続けるもの。

『八日目の蝉』は、家族とは何かという問いに、答えをくれる小説ではありません。むしろ、読み終えたあとも、その問いをずっと残していく小説です。

そして私は、その問いが今でも頭から離れません。

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