聞いてください、アスティエの皿を割りました。朝食のとき、仕事が繁忙期だからと朝っぱらから栄養ドリンクを一気。空き瓶を摘みあげたら、きちんと閉めていなかったのでしょう、蓋がはずれて瓶本体が落下。アスティエの皿が真ん中から3分割されました。
10年以上、朝食のパン皿として使ってきて、欠けることもなく無傷だったのに。ただ、あまりに割れて当然の一撃だったので、その瞬間は悲しみより、そりゃそうだという納得感が勝り、平常心のままあわただしく仕事に出かけました。
同じシリーズのお皿をアスティエで探したら

さて後日。新しいお皿を伊勢丹新宿にあるアスティエのショップに買いに行きました。
我が家のアスティエは、以前に在籍していた編集部の編集長が、結婚祝いに贈ってくれたもの。2枚セットが1枚になってしまったので、同じものを買い足せたらと調べたら、10年以上経っても同じシリーズがあるという。その名も「simple プレート」19cm。なんてすばらしい。そして驚いたのはもうひとつ、お値段なんと17050円。遅れてやってくる、心理ダメージ! 何より、改めて編集長の心遣いとセンスに感謝の気持ちが沸きました。お手本にしたいおしゃれな上司だったなぁ。
アスティエ・ド・ヴィラットのお皿を10年使って感じた魅力

全力で言い訳をするようですが(笑)、10年以上アスティエのお皿を使ってきて、贅沢な器なのに、気を遣わせないところがひとつの魅力だと思うんです。持ったら驚くほど軽いですし。生活感に馴染むというか、目玉焼きの焦げやパン屑、不揃いの果物、そういうものもアスティエの表情豊かな釉薬の上にのると居心地がよさそうに見える。そんな包容力がある。

それでいて、「朝食はパン1枚なの? 紅茶でも淹れたら?」というふうな主張はあるんですよね。空間の演出力というか。研ぎ澄まされた緊張感で洗練された暮らしを強要するデザインではないけれど、そっと素敵な時間の提案はしてくれるくらいの優しさと厳しさを持っている。なのに朝から無粋に割ってしまって申し訳ない。反省しきりです。

また、今回このブログのためにお皿を撮影して再認識したのは、本当に見て飽きないこと。わずかなカタチの歪み、白い釉薬の透けやムラ、気泡のような小さな穴。とてもドラマチックでポエティックです。だからきちんと向き合うほど面白い。(ちなみに画像は10年選手の皿です)

割れ物につき、ショップではとても丁寧に梱包してくれました。扱いを省みて、また罪悪感がチクリ。でもきっと仕舞い込むより使ってこそ。大切に日常使いしていきたいと思います。