10代の頃から芸能界の第一線を駆け抜けてきた上戸彩さん。BAILA8月号の表紙を飾ってくれた上戸さんが、36歳になったいま人や自分、悩みにどう向き合っているのかを教えてくれました。
人とも、自分とも、悩みとも“かたくな”でなく“柔軟”に向き合う
友達がエキストラとしてテレビに出演しているのを見つけて「私もあんなふうにテレビの中に入ってみたい」と思った。この世界に興味を持ったきっかけはそんな小さな好奇心。そして、ポストに入っていたチラシを見てオーディションに応募したのは12歳の頃。「まさか受かるわけない」と軽い気持ちで送った一枚の履歴書が上戸さんの人生を大きく変えた。
「芸能人になりたいという熱い思いがあったわけではなく、幼い好奇心に背中を押されるまま、わけもわからずこの仕事を始めてしまったので。当時の私は周りが敷いてくれたレールの上をただただ歩くだけ。いつまでも中途半端な気持ちでいるから自分に自信が持てなくて、小さなことですぐに落ち込んでしまったりして。振り返ると、10代の頃はいつも申し訳なく思っていた気がします。“ほかにもっとこの場所に立ちたい人がいると思うのに、私がここにいていいのかな”って」
10代だった彼女の仕事の原動力はただひとつ。「いつかお母さんに家を買ってあげたい」という家族への強い愛情。
「あの頃の私は何か夢や目標がないと頑張れなかったんですよね。その夢は20代でかなえることができました。それは嬉しいことでしたが……。目指すべき場所が急になくなってしまったんです」
いつやめてもいいんだ、そう思ったら心がふっと軽くなった。「だったら、もうちょっと頑張ってみよう」という気持ちが生まれた。その「もうちょっと」を繰り返すなかでこの仕事の魅力を知ることができた。20代、気づけば楽しみながら芝居と向き合っている自分がいた。
「昔は“上戸彩”というキャラクターが独り歩きをしているような感覚で。どこか、それを客観的な視点で眺めている自分がいました。仕事の自分とプライベートの自分、オンとオフをしっかり分けていて。休日に会うのは地元の友達。そこに行けば、昔のままの自分に戻れる気がして……。あの頃の私はギュウと狭い世界をつくって閉じこもっていたのかもしれない。そうしないと、自分を守れなかったというか、守らなければ壊れてしまいそうなものがたくさんあったんだと思う」
そんな上戸さんを変えたのが結婚だ。
27歳の誕生日に入籍、妻となり母となり、家族を通してたくさんの人と触れ合う“新しい生活”は上戸さんの世界を広げた。
「大事な友人が数人いればいい、それ以外の友達はいらない、連絡先も交換しない……。結婚をきっかけに、そういう凝り固まった考えがなくなり、いろんな人との出会いを大切にできるようになりました。私ね、今は悩みがあるとすぐに相談しちゃうんです。たとえば、子育てなら母親の先輩が周りに何人もいるし、お芝居なら大先輩の素敵な女優さんたちがたくさんいる。私一人の頭で考えることなんてたかが知れているからこそ、その道のプロフェッショナルに意見を聞く。そのほうが絶対にプラスになるし、解決までの時短になると思うんです。悩み相談をしている過程もまた大切で、自分の思いがどんどん整理されていくんですよね」
解決しない悩みは深掘りしない。心のモヤモヤは友達との楽しい時間で吹き飛ばす。“考えないこと”もときには大切。
「この世界に飛び込んだばかりの私はずっと必死で。悩むことがなかった、というか、悩む余裕がなかった。自分のそんな経験から、不毛な悩みを抱えている友達にはよく言うんです。『忙しく動け〜! 考えるな〜!』って(笑)。友達から相談されるときの私はすごく現実的。厳しいことを言うことだってある。相談相手に選んでくれたのなら“私だから”な答えをちゃんと届けたい。誰でも言えそうなことは言いたくないじゃないですか(笑)」
この仕事を始めたばかりの頃は悩む余裕すらなかった。それを持てるようになった36歳の私はすぐに周りに悩み相談。壁をつくらず、柔軟に、様々な意見を吸収しながら答えを探している
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上戸 彩
うえと あや●1985年9月14日生まれ。「第7回全日本国民的美少女コンテスト」をきっかけにこの世界へ。ドラマ「絶対零度」や「半沢直樹」シリーズ、映画『あずみ』や『テルマエ・ロマエ』など代表作を多数持つ人気女優。7月16日から開催される『特別展アリス』にて展覧会用の音声ガイドに初挑戦。私生活では2児の母でもある。
撮影/中村和孝 ヘア&メイク/中谷圭子〈AVGVST〉 スタイリスト/青木千加子 取材・原文/石井美輪 ※BAILA2022年8月号掲載