学びって実は大人になるほど楽しめるもの。そう教えてくれるのは、一歩先をゆく同年代の女性たち。知花くららさんやフォーリンラブのバービーさん、フリーアナウンサーの小熊美香さんなど、学んで人生を、世界を広げた5人のストーリーをご紹介。
1.知花くららさんは30代で建築学科に進学
祖父の家を未来に残す目標への一途な思いが40代への投資につながった
History
2011頃:沖縄・慶良間諸島の祖父の家を譲り受ける
2019:京都芸術大学社会人課程に入学
2021:大学を卒業
知花くららさん
ちばな くらら●1982年生まれ、沖縄県出身。'06年にミス・ユニバース・ジャパンに選出され、各メディアで活躍。'07年から国連WFP大使。'12年より沖縄・慶留間島で子どもたちのための保養キャンプを主催。'19年に歌集『はじまりは、恋』を刊行。2児の母。
喜びと苦しみが詰まった建築学科卒業までの2年間
「国連WFP(世界食糧計画)の仕事や旅行で訪れた世界の国々。そこでは現地の方が暮らす住宅に招いていただく機会にも恵まれて。中でも印象に残ったのが牛糞や泥を塗り固めて建てるマサイ族の家。彼等は一夫多妻制なのですが、奥さまたちがそれぞれ自分の手で家を建てています。私が招かれたのはまだ若い新妻のお宅だったのですが、何か音がするなと思ったら、第一夫人と第三夫人が屋根の修理を手伝っていたりして。日本で暮らす私にとって、それはとても興味深くどこか不思議な光景でもありました」
家は住人の生活だけでなく、その国の文化や社会まで映し出す鏡。旅を通じて建築に興味を持つようになった知花さんが、本格的に勉強を開始したのは2年前。「建築を学ぼうと思ったのは、沖縄の慶良間諸島にある祖父の生家を受け継いだことがきっかけです。老朽化が進むその家は建て直す必要があるのですが、国立公園に指定されている島なので景観保全も考えなければいけない。だからこそ、何を残し、何を変えていくのか、自分自身で学びちゃんと考えたくて」
彼女が学びの場所に選んだのは、東京で生活しながら通信で勉強できる京都芸術大学建築学科の社会人課程。入学したのは第1子を妊娠しているときだった。「仕事がスローダウンするので、ある意味、これはチャンスだなと。ただ、通信だから家でゆるりと学ぶことができるのかなと思いきや、これが想像以上に大変で。教材をもとに自分で学ぶことが基本なのですが、製図や模型作りの実践過程は週末に学校に通いスクーリング。オンラインで提出する課題やレポートも、私はいつもギリギリ。睡眠時間を削り必死に制作した課題に対して、先生から厳しい批評が返ってきては落ち込む、そんな日が続くこともあったりして」
中でも「いちばん大変だった」と語るのが、第2子の妊娠中に挑んだ卒業制作。「つわりがひどいときには、横になりながら模型を作ったりして。卒業制作の発表後、修正した作品を京都のキャンパスに送るのが最後の課題だったのですが。発送を終えた帰り道に、一人でコッソリ泣きました。安堵と達成感が押し寄せてきて、“あぁ、終わったんだ”って(笑)」
「好奇心の赴くままに学びのドアをたたき続けたい」(知花さん)
人生の選択肢を広げてくれる学びは未来の自分への投資
つらく厳しい時間を過ごした卒業までの2年間。それでも学び続けることができたのは、喜びや楽しみもあったから。「私の至福のひとときは模型を作り終えたあとの撮影。スマホのライトを照らし朝日や夕日を再現しながら撮影をするのですが、カメラのレンズを通して見ると、そこで生まれるであろう生活や時間がえてくる。自分の頭の中にあるものが形になる、それは喜びを感じる瞬間でした。心が折れなかったのは、祖父の家を建て直すという明確な目標があったことも大きかったと思います。実は今、その計画も少しずつ動き始めていて。学校で建築関係の知り合いも増え、そんな仲間たちと意見を交わしている最中なんです」
今までも、建築に限らず短歌や古筆など様々な学びにトライしてきた知花さん。その原動力は“好奇心とノリ”。興味が湧いたら「合わなかったらやめればいい。とりあえず、やってみよう」の精神で飛び込むことを大切にしているそう。
「学びは自分の可能性を広げてくれる。それを実感したのは大学在学中に学んだフランス語でした。留学も経験して身につけたそれは私の世界を広げてくれた……。私にとって学びは“未来の自分への投資”でもあります。特に年齢を重ねるほど“経験ずみ”のことが増えていく、ゆえに自分の可能性が狭まるような感覚に陥ることも。そこで足を止めたら何も変わらないけれど、学び知識を身につけ、できることが増えれば仕事や人生の選択肢が広がるかもしれない。それってすごくワクワクするじゃないですか」
未来はいい意味で不確定。それはミス・ユニバース・ジャパンに選出され、一夜で人生が変わった体験を経て学んだこと。「今の時代、肩書はいくつあってもいいと思います。“これしかできない”より“あれもこれもできる”のほうが未来に夢を描くことができるから。これからも好奇心の赴くまま、私は学びのドアをたたき続けたいと思います」
スクーリング以外は基本自宅学習。自分のペースで学べるが、課題に追われているときは孤独を感じることもあったそう
卒業式は京都芸術大学の瓜生山キャンパスで。お気に入りの琉球紅型の訪問着を着て卒業証書を受け取りました
トレンチコート¥88000/ヘンネ カスタマーサポート(HAENGNAE)
撮影/須藤敬一 ヘア&メイク/重見幸江〈gem〉 スタイリスト/山本隆司 取材・原文/石井美輪 ※BAILA2022年2月号掲載
2.「フォーリンラブ」バービーさんは大好きな園芸の世界へ
自分自身を見つめ直して心から好きな「植物のこと」を形にしたら、人生の迷いが晴れた
History
2016:日本園芸協会に資料請求
2017:「ガーデンデザイナー」資格取得
2018:4月渋谷公園通り ガーデニングコンテスト参加
2018:5月英国チェルシーフラワーショー ボランティア参加
バービーさん
ばーびー●1984年生まれ、北海道出身。'07年にお笑いコンビ・フォーリンラブを結成。'16年から地元・北海道夕張郡栗山町の町おこし、テレビのコメンテーターやラジオパーソナリティなど幅広く活躍。ピーチ・ジョンと協業で下着の開発も行う。
自信がない自分を武装すべく取得したいくつもの資格
チベット体操インストラクターやスパイス&ハーブコンサルタントなど、今までにいくつもの資格を取得。実は“資格マスター”であるバービーさん。
「知識や特技を身につけることで自信を持ちたい、自分の中にそんな気持ちがあったんでしょうね。特に20代後半は人生に迷っている時期で。私はどんな人間なのか、何が適しているのか、自分の可能性を探るべくいろんな学びに手を出しました。『大人の家庭教師トライ』で急にビジネスや社会学を学び始めたかと思えば、『宣伝会議』のコピーライター講座に申し込み、講義を数回受けただけで挫折。通関士の資格を取るために高額な教材を取り寄せたものの、あまりの難しさに3日であきらめたこともありました(笑)」
ガーデンデザイナーの資格を取ったのも、そんな迷いの渦中にいた頃。
「自分を見つめ直さなきゃと思ったとき、何が本当に好きなのか考えて。そこで、頭に浮かんだのが“植物”だったんです。私の本名は“笹森花菜”なんですけど。草木を表す漢字がそろった名前を授けられたせいか、子どもの頃から自然や植物が大好きで。普段は何かにハマるということがあまりないのですが、長崎のハウステンボスで開催されるガーデンショーだけは一人旅がてら何度も訪れていたんです」
人生の迷いの波がMAXに高まった30代前半には、イギリスの世界的な園芸の祭典「チェルシーフラワーショー」に庭園デザイナー・石原和幸さん率いるチームのボランティアスタッフとして参加。
「ありがたいことに仕事はとても忙しかったのですが、過激なスタイルで笑いを取ることに疲弊している自分も。実はテレビというフィールドに限界を感じていた時期でもあって。また、私生活では一人の女性としての未来も考えるように。結婚したら仕事と家庭の両立は難しいかもしれない。でも、この仕事を辞めたら私に何が残るのだろう……。先延ばしにしていた迷いの答えをそろそろ出さなくちゃいけないぞと。相当、追い詰められていたんでしょうか。ネットで“ボランティアスタッフ募集”のHPを見つけた瞬間、何かにせかされるように申し込みボタンを押していたという。事務所に相談する前に、完全に勢いだけで(笑)」
「人生に悩み迷った30代の入り口。もがき学んだから答えが見えた」(バービーさん)
自分自身を取り戻せた英国のボランティア期間
ガーデンデザイナーの資格を取ってよかったことは何かと尋ねたとき、バービーさんから返ってきたのが「ボランティアスタッフを経験できたこと」だった。
「イギリスには約1週間滞在したのですが。まず、この仕事を始めてから、自分の意志で長期休暇を取ったのはそれが初めてだったんですよ。忙しさを理由に置き去りにしてきた“自分と向き合う時間”を持つチャンスだと思い、ボランティア仲間には“バービー”ではなく本名で呼んでほしいとお願い。その期間は仕事を忘れ“笹森花菜”として過ごすことができたんです。そして、それが自分自身を取り戻すとてもいい機会になったんですよね」
それまでは自分の大半を“バービー”に注いで生きてきたけれど、“笹森花菜”もちゃんと満たしてあげなければいけない。学びを通してそこに気づいたとき、目の前をずっと覆っていたモヤモヤがふうっと晴れていくのを感じた。
「私を“花菜ちゃん”と呼ぶ仲間と出会えたことも私にとっては大きな財産。今も交流がずっと続いていて。ゴリゴリの造園のプロとして活躍する仲間たちと、イモトアヤコちゃん宅のお庭を一緒に造ったこともあるんですよ」
大人になればなるほど学びはきっと楽しくなる!!
以前は“自信がない自分を武装するため”そして“自分探しのため”に学んでいたバービーさん。しかし、今はそれが“自分を豊かにするため”のものに変わった。
「大学を卒業してから、今がいちばん豊かに学べている気がします。ラジオ、執筆、書評の連載など、これまで触れてこなかったジャンルのお仕事をいただき、学ぶ機会が増えたこともきっかけなのですが。年齢や経験を重ねて、理解する解像度がすごくクリアになったというか。若い頃はわからなかったことが今になって理解できるようになった、そういうことがとても多くて。大人の学びはとても刺激的。クラブでお酒を飲んだり踊ったりするよりも充分に刺激的(笑)。もしかしたら、感受性は弱まっているのかもしれないけれど、それをカバーするくらいの経験値と蓄積された感情がありますから。そこに学ぶこと一つひとつがビリビリと大きく響くんですよね。この先もきっと、そのビリビリは増していくはず。それを今の私は楽しみにしていたりもするんです」
渋谷公園通りの花壇を飾る国際ガーデニングコンテストにひそかに参加。チームを結成して取り組み、アイディア賞を受賞
チェルシーフラワーショーで。自分を取り戻しつつある“笹森花菜”さん。仲間とともに真剣に好きなことと向き合った!!
バービーさんが師と仰ぐ庭園デザイナーの石原和幸さん。長崎のガーデンショーにも発足から携わる、その道の第一人者
撮影/須藤敬一 ヘア&メイク/加藤志穂〈PEACE MONKEY〉 スタイリスト/谷口夏生〈TAKUTY PRODUCE&CREATE〉 取材・原文/石井美輪 ※BAILA2022年2月号掲載
3.フリーアナウンサー小熊美香さんは“語学”から仕事の楽しさを再発見
「言語」への変わらない情熱。逃げ道も寄り道もすべての道はつながっていた
History
2002:高校2年生カナダに留学
2008:上智大学英語学科を卒業
2010:日本語教師のスクールに通い始める
2012:休学、仕事に専念
2016:第1子妊娠、復学
2017:日本語教師資格を取得
小熊美香さん
おぐま みか●1986年生まれ、静岡県出身。2008年、日本テレビにアナウンサーとして入社、「news every.」「ZIP!」ほかに出演。報道からバラエティまで幅広く活躍。2017年に退社し、現在はフリーアナウンサーとして活動。2児の母。
現実から逃げたくて通い始めた日本語教師の養成講座
「言語に惹かれるようになったのは高校生の頃。カナダ留学を経験したのがきっかけなんです。日本ではあまり社交的ではない私が、英語圏に突入した瞬間、明るく振る舞えるようになる。言葉を通じて自分の新たな一面を知り、同じ言葉を話すことで多くの現地の人とつながることができた、それはとても大きな体験で。そんな言語をもっと追求したい、言語を通じてもっといろんな人とつながりたい、次第にそう考えるようになったんです」
大学では英語学科に進み、身につけた英語力を武器にハリウッドスターにインタビューをしたことも。そんな小熊さんが日本語教師の資格を取得すべく学校に通い始めたのは日本テレビに入社して間もない頃、アナウンサーとして活躍し始めてから2年目の出来事だった。
「自分がアナウンサーになって感じたのが“私はこんなにも日本語のことを知らなかったんだ”という驚きでした。そこで、もっと日本語を追求したいなと思ったのがひとつの理由ではあるのですが……。実はいちばんの理由は“この仕事は自分に向いていないんじゃないか”と壁にぶち当たってしまったからなんですよ(笑)。そもそも私は言語が好きで“言語を扱う仕事がしたい”という漠然とした思いでアナウンサーの仕事に就いたので、仕事を始めてから表に出ることの責任の大きさや伝えることの難しさを痛感、早々に心が折れそうになってしまって。そこで、もしかしたらほかの道もあるんじゃないか。仕事以外に何かひとつ武器を身につけることができたら、いずれ別の世界に飛び込めるんじゃないかと。早い話が“逃げ”ですね(笑)。大好きな言語を扱う日本語教師の資格があれば海外で生活できるかもしれないし、アナウンサーの仕事にも生かせるかもしれない。そんな思いから、学校に通い始めたんです。誰にも言わず秘密裏にコッソリと(笑)」
「学びをきっかけに、外側から自分を見直し仕事の楽しさも再発見できた」(小熊美香さん)
想定外の気づきに出会える。それが、学びの楽しさ
当時は早朝番組を担当。生放送が終わったあとのスキマ時間や週末に学校へ。帰宅後は19時に就寝して翌朝3時に起きて出社。ハードな毎日ゆえに「座学は眠くて仕方がなかった」と笑う。
「いろんな授業があるのですが、楽しかったのが模擬授業。実際に海外からやってきた生徒さんを相手に授業をするんですけど、自分でカリキュラムを組み教材も準備しなければいけないので。厚紙を切り、マグネットを貼り、ホワイトボードに貼りつける教材を徹夜で製作したりして。そして、挑んだ授業では、たとえば“木に登る”と“木を登る”、私たちが普段は気にしないような助詞の差について“何が違うの?”と質問されることも。教える立場の自分が日本語の難しさに頭を抱える場面も多々あり、正直、大変だったのですが。その分生徒さんに伝わったときの喜びもすごく大きくて。キラキラした瞳で“先生”と呼ばれるたびに、私のやる気や情熱も高まっていったんです」
日本語の知識をより深めたい、そんな思いから通い始めた学校。しかし、小熊さんが何より身についたと実感しているのが“教える喜び”。「実は今、役立っているのもそれなんです」と言葉を続ける。
「教えは与えるものではなく相手から引き出すもの。先回りして答えを出さない、一緒に考えながら答えを出す。模擬授業で学んだことは、後輩や新人の指導役を任されたときに役立ちましたし、今も子育てにとても役立っているんですよ」
想定外の出会いや発見が待っている、それも学びの楽しさであり面白いところ。
「実はほかにも大きな想定外があって。学校に通い始めてからアナウンサーの仕事を楽しめるようになったんですよ。それまでの私は仕事がすべてだったからこそモヤモヤしたり、不安になることが多かった気がするんです。でも、一歩外に出て、外側から眺めたことで、あらためてアナウンサーの仕事の楽しさや素晴らしさに気づくことができた。結果、別の道を探す当初の予定が覆り、生き生きと会社に向かう毎日。次第に学校から足が遠のいてしまいまさかの休学。卒業するまで約7年もかかってしまったという(笑)」
大人の学びの“正解”は自分で見つければいい
“逃げ道”から始まり途中には“寄り道”も。マイペースな小熊さんの学びの道。
「本当、ダメダメですよね(笑)。でも、肩の力を抜いてゆっくりと、大人の学びはマイペースでもいいのかなって思う自分もいるんです。社会人になると“仕事がすべて”になりがち。そんな狭い世界から外へ連れ出してくれる学びは、息抜きや新しい風を届けてくれて、その時々の自分を救ってくれることも。知識を得ることだけがゴールじゃなくていい。迷っているときは学びに、好きなことに逃げてもいいと思うんです。また、学びで得た知識をどのタイミングでどう使うのか、それも自由。今は使えなくても未来のために楽しみながら蓄えてもいいと思うんです。私自身、学校に通い始めた当初に抱いていた“日本語教師をしながら海外で暮らしたい”という夢は今もなお健在。子育てをしている今は難しいけれど、それが終わったらいつか……。そのときこそは、7年かけて得た資格を生かそうと思っていますからね(笑)」
高校2年生の1年間を過ごしたカナダのエドモントンで。使う言語が英語になると性格が変わる自分に驚いたそう
「ZIP!」のニュースキャスターとして英語力を生かしインタビューも。写真は2016年に大統領選挙の取材で訪れたNYで
日本語教師資格を取得するためには400時間以上の座学と外国人生徒への模擬授業経験がマスト。写真は自作した教材
ジレ¥20900・パンツ¥19800/ストラ ニット¥13200/ルーニィ その他/スタイリスト私物
撮影/目黒智子 ヘア&メイク/YUMBOU〈ilumini.〉 スタイリスト/山﨑静香 取材・原文/石井美輪 ※BAILA2022年2月号掲載
4.美容ジャーナリスト鵜飼香子さんはMBAを取得
MBA取得に通ったビジネススクールでの出会いが、第2の人生の扉を開けた
History
2016:雑誌編集部から独立
2019:ビジネススクール入学
2021:MBA取得、卒業
鵜飼香子さん
うかい きょうこ●会社員を経て美容雑誌『MAQUIA』で'04年の創刊からエディターとして活動。'16に独立し、美容ジャーナリストとして多数の女性誌や広告などで活躍。2児の母。
経験が一周まわったと感じたとき、違う道を探し始めた
「美容雑誌のエディターとして働き始めてから13年目、世間ではよく“トレンドは一周する”と言いますが、私がそれを体感したのがそのときで。ワンサイクル経験した今、2周目に突入する前に違う道を探したいと考えるようになったんです」
美容の世界で活躍していた鵜飼さんが、早稲田大学ビジネススクール(WBS)に通い経営管理修士(MBA)を取得。畑違いとも思える世界に飛び込んだきっかけは書店で出会った一冊の本だった。
「それまでも仕事を通じて知り合った会社の方々からブランドマネージングの相談を受けることが多かったんです。エディターとしての経験から、売れるものやトレンドは感覚としてはわかる。でも、それをロジカルに説明する力が私にはなくて。“右脳”ではなく“左脳”で考え伝える力が足りないのかも、そう思っているときに出会ったのが、WBSで教鞭をとっている内田和成さんの『右脳思考』という本で。“右脳派の自分にビジネスは無理かもしれない”とあきらめていた学びへの好奇心をかき立ててくれたんです」
自らを「好奇心旺盛で後先考えずに行動するタイプ」と分析。受験を決めたのは入試の1カ月前。そして「好きなものにはトコトンのめり込む」性格に突き動かされ見事に一発合格。しかし、入学してからがとても大変だったそうだ。
「途中から新型コロナウイルスの影響で授業はオンラインになったのですが、それまでは9時から16時半まで教室で座学。家庭と仕事を両立させながら大量の課題にも向き合わなければいけない。特に必修科目を学び終えた2年目は好きな授業を詰め込みすぎて睡眠時間は平均3時間。自分で選んだ道ではあるものの、泣きたくなるほどハードな毎日でした」
同じ景色を眺め続けるより知らない海に飛び込んでいたい
好奇心も知識欲も旺盛な鵜飼さん。そんな毎日も「楽しかった」と振り返る。
「授業や講義はもちろんのこと、普段は出会えない人たちに出会えたことが私の中では大きくて。WBSには異業種の方々や留学生が通っていて、教室に集まる生徒は年齢も国籍もバラバラでとてもグローバル。その出会いは自分のいる世界がまだまだ小さいことを教えてくれ、私の視野をグンと広めてくれたんです」
学校で手に入るのは知識だけではない。夢や目標に向かい突き進む仲間に出会い刺激をもらえるのも学びの魅力。実は今、そんな仲間と組んでコオロギビジネスを計画中。「WBSがセカンドチャンスの扉を開けてくれた」と笑顔で語る。
「WBSで学んだことで環境への意識が高まり、そこで目に留まったのが昆虫食。コオロギは環境負荷をかけずに育てることができ、良質なタンパク質を摂取することもできるんです。肝心の味も美味しくて。揚げればまるで居酒屋さんで出てくる海老の素揚げのようですし、おだしはまるで関西風。鶏ガラよりも繊細でまろやかなコクが出るんです。そんなコオロギを浸透させるべく、国内外の論文を片っ端から読みエビデンスを集めたり、カンボジアでコオロギを育てる理工学部のチームを紹介していただきセッションを重ねたり。そこでもWBSで培った人脈に助けられているんです」
今の夢はコオロギを手軽なスナックフードとして定着させること。「いずれは給食に出るような存在にしたい」と語る。
「今はまだ道半ば。それを現実に変えるにはいくつもの壁を乗り越えなくてはいけない。でも、まだ見ぬその壁も楽しみだったりするんです。人生は一度きり、同じ景色を眺め続けるよりも、私は知らない海に飛び込んでいたい。計画性がないのが私の欠点ではありますが、学びにおいては長所だと思っています。身軽に勢いで動くことができるので。自分の中でやりたいことを温め続けても何も変わらない。行動を起こすことが大切。失敗もいずれ自分の財産になりますから‼」
ビジネススクールを卒業するまで、約2年間の“学び”がギッシリ詰まったノート。その数は軽く15冊を超え、最後には成績優秀者に選ばれる快挙も
留学生から「中国の卒業式ではこれが流行」と教えてもらったリボンをガウンにつけて。グローバルな同級生からは様々なことを学びました
環境負荷の低い餌で育てることから始めたいと、こだわり飼い始めたコオロギ。多いときは500匹以上いたそう
撮影/目黒智子 取材・原文/石井美輪 ※BAILA2022年2月号掲載
5.スーパーバイラーズ太田冴さんは“女性の働きやすさ”を見直し大学院で勉強中
立ち止まったからこそ見えた社会の仕組みへの疑問を建設的に発信していきたい
History
2018:パニック障害と診断される。その後休職を経て退職
2020:大学院に入学
2021:修士論文を執筆中
太田 冴さん
おおた さえ●元金融機関OLで現在はフリーランスライター。早稲田大学大学院社会科学研究科修士課程在籍中。'20年からスーパーバイラーズ。
パニック障害を患い休職。自分の中にたくさんの疑問が生まれた
早稲田大学法学部を卒業後、大手金融機関に就職。総合職として入社し出世コースを突き進んでいた。丸の内のバリキャリ女子だった太田さんが、会社を退職して大学院修士課程に入学したのは約2年前。30歳を迎えたときだった。
「私がいた総合職は“男社会”で。130人いる同期の中で女性は11人だけ。周りから“あとに続く女性たちのロールモデルにならないとね”と声をかけられることも。そんな期待にこたえるべく、必死に働いていたのですが、どこかで無理をしていたんでしょうね。入社7年目、心身のバランスをくずしてパニック障害に。休職することになってしまったんです」
太田さんにとって“人生初の挫折”になった約1年間の休職期間。
「それまで当たり前だったことができない、皆と同じ生活を送ることすらままならない。病気になって感じたのが“社会は元気な人を中心につくられている”ということ。世界は平等に見えるけど実は違う。自分がその立場に立って初めてマイノリティについて考えるようになったんです」
そんな時間を過ごすなかで、実は今までの自分も会社ではマイノリティな存在だったということにも気づいた。
「男社会の中で男性に合わせてガムシャラに頑張らなきゃいけない。それが正解だと自分に言い聞かせ必死に働いてきたのですが。学生時代は同じように勉強や受験をしてきたのに、会社に入った途端になぜ差をつけられてしまうのか。男性となかなか同じポジションにつけない、男性以上に頑張らないと同じキャリアをつかめない。周りは“あとに続く後輩たちのために頑張れ”というけれど、自分のやっていることは逆に彼女たちを苦しめることになるのではないか……。それまで見て見ぬふりをしていた疑問が自分の中にワッとわき上がってきたんです」
女性が働きやすい環境をつくりたい。でも、今のままでは“個人の意見”で終わってしまう。学問的な知識を手に入れればきっと説得力が生まれる。自分の声がより多くの人に届き受け入れてもらえるかもしれない。太田さんは“もう一度、学び直すこと”を決めた。
夢や目標が見つからないなら「今はお金を貯めておけ‼︎」
大学院では女性の社会科学や公共政策を研究。現在は修士論文を執筆中。「16人の女性管理職の方にインタビューしたんです」と生き生きとした表情で語り「卒業後は女性をエンパワーメントするための発信をしていきたい」と言葉を続ける。
「休職中は“これからどう生きていけばいいのか”と途方に暮れてしまった時期も。そんなときに始めたのが自分の経験を綴ったブログで。そこに届いたのが“実は私も”というたくさんの声でした。周りに相談することもできず、心身の不調を抱えながら一人で悩む女性が多いことを知り驚き、そして、そんな方々の声に私自身とても励まされて。同じように悩んでいる人たちにも“大丈夫、あなただけじゃないよ”と伝えたい、それが発信したいと思う大きなきっかけになったんです」
バイラの読者ブロガー「スーパーバイラーズ」としても活動中の太田さん。その応募も「発信したい」思いがあったから。自分の経験を綴ったブログが反響を呼び、今はライターの仕事もスタート。自ら下した決断で人生は大きく変わった。
「会社を辞めて学び直す、大きな決断を下すことができた理由をよく聞かれるのですが、その答えは“貯金があったから”なんです。使う暇がないくらい忙しく働いていた結果、気づいたらある程度のお金が貯まっていた。そして、それが選択肢を広げてくれた。現状に満足していない、いつか何かを学びたい、漠然とそう思っている人に助言するなら“とりあえずお金を貯めておけ”。それは迷う自分の背中を押してくれ、最初の一歩を踏み出す勇気を届けてもくれる。いずれ自分の強い味方になってくれるはずですから!」
自宅は作業しやすいようにかなり改造。昇降型デスクやスクリーン、修論で頭を整理するためのホワイトボードも導入
教科書や資料本の一部。特に中野円佳さんの著作は入学前に読んで感銘を受け、太田さん自身にとってのロールモデルに
コロナ禍での勉学に、いいリフレッシュ効果をくれたのはベランダで過ごす時間。ハーブ苗を育ててティータイムも
撮影/須藤敬一 ヘア&メイク/サイオチアキ〈Lila〉 取材・原文/石井美輪 ※BAILA2022年2月号掲載