当たり前の日常が一変した11年前の震災は、東北に生きる女性たちの働き方にも、大きな影響を及ぼしました。あの日、そして今の彼女たちの仕事とは。vol.3はスパリゾートハワイアンズのエンターテイメント部で働く猪狩梨江さんを取材しました。
常磐興産株式会社/スパリゾートハワイアンズ
猪狩梨江さん
エンターテイメント部 リーダー・ 38歳
1983年生まれ、福島県双葉町出身。2011年の「フラガール全国きずなキャラバン」にはサブリーダーとして参加した。
「非常時にもエンターテイメントは必要。そのことを身をもって実感しました」
ステージで踊れることが楽しくて仕方がなかった
福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズ。ダンシングチームで活躍していた猪狩さんは、引退後フラガール出身初の女性管理職として後輩のサポート業務を担当。現在はエンターテイメント部に所属し、子どもたちへのオンラインレッスンを企画している。
「ただただ踊ることが好きでダンサーになったので、今は教える難しさに直面しているところ。生徒さんは県外の小学生が多いのですが、ほとんどがダンサーになりたいという夢を持っていて。フラの裾野を広げる活動ができていることにやりがいを感じています」
猪狩さん自身も、小学生の頃に家族で見たフラガールのステージに衝撃を受け、将来の目標にした。高校卒業後に一度試験に失敗するものの、ダンスの専門学校を経て2度目の挑戦。フラガールデビューを果たした。
「やっと念願がかなったので、とにかく楽しくて仕方がなかったですね。メンバーみんなで一つのショーを作り上げていく幸せも感じていました」
映画『フラガール』のヒットもあり、立ち見まで出るほどぎっしり埋まった客席からは熱気を感じたほど。そんな充実の中、直面したのが震災だった。
「地震や津波だけではなく、こちらは原発事故もあったので、自分の中では『あ、すべて終わっちゃった』と感じました。施設も被害を受け、社員はみんな1カ月間自宅待機に。もう踊ることはできないと思ったし、この先どうしようという不安でいっぱいでした」
希望の光が見えたのは、それからすぐ。地元いわき市や福島県の元気な姿を見せるため、「フラガール全国きずなキャラバン」をスタートさせたのだ。
「実家は双葉町にあったので、家族と離れることに不安はありましたが、踊る場所があるということは当時の私の大きな支えになりました。当たり前の生活を送ることが困難になったことで、ステージに立てていた日々も当たり前じゃなかったんだと実感。一回一回の公演前に『ありがとう』と心の中で唱えることが、私の日課になりました」
失ったものは大きいけれど与えられたことも大きかった
炭鉱の閉鎖を機に56年前にオープンしたスパリゾートハワイアンズ。長い歴史の中では、オイルショックやバブル崩壊による客足減少など、困難に直面しながら乗り越えてきた過去が。
「こちらの人は底力がある。それは自分にも言えることです。ピンチのときこそ燃えるし、つらいときこそ笑って乗り越えようという気質がある気がします」
コロナ禍の今、スパリゾートハワイアンズはまたも困難に直面している。
「1度目の緊急事態宣言の際は一時休館をしていたので、震災のときを思い起こす瞬間はありました。ダンサーたちは休館時も毎日出勤して練習をしていましたが、モチベーションを保つのは難しかったと思います。そのときに私がしたのは、お客さまがいないがらんとした客席のすみで、彼女たちの練習を見守ること。震災直後に大きな不安を抱えた経験があるからこそ、『このピンチは今しか経験できないこと。逆に楽しもう』と励ましました。非常時においてもエンターテイメントは絶対に必要。そのことを身をもって知ったので、震災を機に私の前向きなマインドはパワーアップしたと思います(笑)」
ダンサー引退後は、実家の農業を手伝いながらのんびり暮らすライフプランを立てていたという猪狩さん。
「震災がなかったらこれほど長くスパリゾートハワイアンズに関わることはなかったでしょうね。今は子どもたちに教えながら、やっぱり自分も踊りたいと思う気持ちが芽生えてきたところ。失ったものは大きいけれど、与えてもらったことも大きかった気がします」
仕事と震災のヒストリー
20歳 2度目の挑戦で、ダンシングチーム40期生として入社
22歳 映画『フラガール』公開
25歳 サブリーダーに就任
2011.3.11
震災によりスパリゾートハワイアンズの施設やステージも大きな被害が
27歳 リーダーに就任
「フラガール全国きずなキャラバン」は全国26都府県と韓国・ソウルを含む125カ所で247もの公演を行った
32歳 ダンシングチームを引退。エンターテイメント部所属の管理職に
37歳 フラのオンラインレッスンを担当
画面越しのレッスン
撮影/小渕真希子 取材・原文/松山 梢 ※BAILA2022年4・5月号掲載