アンガールズの田中卓志さんが初のエッセイ集『ちょっと不運なほうが生活は楽しい』を発表。自然と動物に囲まれて育った幼少期、学生時代に経験したいじめ、亡き母との思い出、そして、プロポーズの話まで……。クスリと笑えて、ちょっと泣けて、心がなんだかあったかくなる、田中さんらしいエピソードが詰まった一冊になっています。
原稿のストックは5本、 完璧なリスク管理のもとスタートした人生初のエッセイ連載。
――今作は『小説新潮』の連載に書き下ろしを加えて一冊の本に。エッセイの中には“国語が苦手”というキーワードも出てきますが、広島大学工学部出身で完全理系男子の田中さんだけに「エッセイの連載を始めませんか?」というオファーがきたとき、まず何を思い、考えたのか気になります。
そうですね、学生時代は国語のテストとかは全然ダメで。芸人になってネタを書くようになってからは「多少書けるようになったんじゃないか」と思えるようにはなったんですよ。でも、なんせエッセイは初めての経験なので「大丈夫かな?」と。自分でも不安だったので、まずは試しに5本書いてみたんです。それを編集者さんに読んでもらって、そこで「大丈夫」の言葉をもらえたらやってみようかなって。また、5本のストックがあれば、締め切りを落としてもそれを切り崩しながら連載を続けることはできそうじゃないですか。初めて書くだけに「どっかで急に書けなくなったらどうしよう」という不安もあっただけに、本当に保険に保険をかけてスタートしたって感じですかね。
――はははは! 真面目な田中さんらしいエピソードですね(笑)。
ただ、書き始めてからはやっぱり大変で。まず、他人に読ませる文章がうまく書けないわけですよ。今までネタは書いてきましたけど、相方の山根にしか文章を見てもらってこなかったから。山根には伝わるんだけど、他の人には伝わらないっていう。最初にバーッと書き上げた第一稿を編集者さんに読んでもらい、そこでちゃんと伝わる日本語に赤字で添削してもらうんだけど、戻ってきた原稿が真っ赤になってくることもあったりして。いや〜、あれはショックでしたね。「自分はちゃんとした日本語をこんなにも使えていないんだ!」って。
執筆場所は主に喫茶店。『ルノアール』をハシゴして書き上げました。
――ちなみに、原稿は『ルノアール』で書いていたというのは本当ですか?
マネージャーさんにお願いして“エッセイを書く日”っていうのをスケジュールに入れてもらって。その日は一日、喫茶店にこもってガーッと書いていましたね。ちなみに僕、ネタも喫茶店で書くんですよ。家だとなかなか進まなくて。で、その喫茶店というのが主に『ルノアール』で。店内にいるお客さんの大半がおじさんで、いいんですよ、落ち着くんですよ。また、そのおじさんたちもコーヒーを飲みながら仕事をしていたりするから、「一緒に仕事を頑張ろう」って気持ちになるし。でも、長居しすぎるのは悪いから、数時間たったら隣駅へ。また数時間たったら隣駅へと、何件もの『ルノアール』をハシゴしたりしてね。また、『ルノアール』も店ごとに雰囲気やソファの色が変わったりするから。それが気分転換になっていいんですよ。
結婚をしたい人は書いたほうがいいかもしれない、エッセイを(笑)。
――お笑いに目覚めるきっかけになったいじめの話、今も背中を押し続けてくれる予備校の先生の言葉、悩み迷っていたときに救われた蛭子能収さんからの一言、相方の山根さんとのエピソード……。幼少期の田中さんから芸人として活躍する今の田中さんまで、この出来事があったから今の田中さんがいるんだなと感じるような、この本は “田中卓志ができるまで”が見えてくる一冊でもあるなと感じました。
確かに、僕の根源になっているようなエピソードが多いかもしれませんね。僕自身、原稿を書きながら「人間ってこうやってできていくんだな」って感じることもあったりして。「こういう不運にあったから今こういうことをしているんだな」とか、「あの不運があったからこういう考えに至っているんだ」とか。
――“エッセイを書くこと”が “改めて自分を知る作業”にも繋がったんですね。
本当、まさにそんな感じでしたね。だからね、みんなやったほうがいいです、全人類書いたほうがいいです。いろんなことに気づけるから(笑)。
――ちなみに、田中さん的に一番大きかった“気づき”はなんですか?
やっぱ、結婚ですかね。『港区女子と紅茶と僕と』や『結婚相手の条件』では自分の恋愛観や結婚観に触れたエッセイを書いているんですけど。過去の記憶を掘り返しながら、自分の歩みを文字にすることで、本当の理想の相手が見えてきたり、自分にはどんな恋愛や結婚が合うのかが見えてきたりして。もしも今、恋愛や結婚がうまくいかず迷子になっている人がいたらやっぱり伝えたいですよね。「エッセイを書いたほうがいい」って(笑)。
本が好きだった母。亡くなる前に読んで欲しかったな。
――今作には22のエピソードが収録されていますが、この中で田中さんが個人的に好きなものはありますか?
個人的には『停電したなか卯で通じ合った』、店員さんと僕とのコントみたいなやり取りが書いていても楽しくて気に入っているんですけど。周りからの評判がダントツで良かったのは『最高の食事』ですね。バラエティ番組の“芸人の母親の作ったお弁当に点数をつける”という企画に一緒に出て、そこで最下位になってしまった母とのエピソードを書いたんですけど。これがすごく大きな反響をもらいまして、自分でも驚きました。どうやら、その番組の動画の切り抜きが今でもYouTubeやTikTokに上がっているらしいですね。
――ちなみに、そのお母様は本が好きだったとか。「この本を一番読んでもらいたかったのは母だ」と書いているあとがきも本当に素晴らしい内容で、そこにもまた田中さんの優しさのルーツが詰まっていて、うっかり号泣してしまいました。
この『最高の食事』と『人生で一番の修羅場』は母のことを書いているので。生きているうちに読んでもらいたかったなぁ。今はもう直接渡すことができないけれど、墓前にお供えしようと思います。「本を書いたんだよ」って。
そこの不運なあなたも大丈夫。僕のほうがもっと不運ですから(笑)。
――最後に、今作を書くなかで感じた“楽しかったこと”を聞いてもいいですか?
過去のエピソードを文字にしてエッセイに書くことで、当時は気づけなかったことに気づくことがあって。例えば、『休み時間の変態ごっこ』。小学生の友達としていた“変態ごっこ”のエピソードを書いたんですけど。今までは「面白かった」という記憶しかなかったけど、大人になって文章に書くと「そういえば、あのときの女子の行動って不思議だったよな」って、違う視点が生まれるというか。道場でオシッコを漏らしたエピソードを書いた『空手と嘘』も同じです。今までは“漏らした”という恥ずかしいだけの記憶だったのに、エッセイにすることで師範の先生が掛けてくれた言葉の温かさに気づいて、自分の中でまた違う思い出になったりして。子供の頃は気づくことのできなかったアナザーストーリーが見えてくる、そんな「あ、そうだったんだ!」に出会えたときは楽しかったかな。
――田中さんの人生は確かに不運に満ちているけど、それをちゃんと乗り越えていたり、自分の力に変えている。それが今作にもちゃんと描かれていますよね。だからこそ、今まさに不運の渦中にいる人にこの本を読んでもらいたいなと思いました。
「そこからどう抜け出したか」僕なりの解決策を書いていたりするので。それが誰かの何かの参考になったら嬉しいですね。あとはね、単純にイヤなことや不運なことがあったときに読んでもらってもいいと思う。多分、僕のほうがもっと酷い目に遭っていますから(笑)。「田中よりはマシだな」と笑ってもらえたら最高ですね。
――ちなみに、今は結婚もして幸せな生活を送っているだけに「もう田中さんは不運ではないのでは?」という声もチラホラと上がっていますが。
いや、全然です。今も全然不運です。昨日も、夜中にトイレ行って、真っ暗な中で用を足したら、なぜか床がおしっこまみれになっちゃって。まあ、電気をつけなかった自分が悪いんですけど。眠いのに掃除しなきゃいけないし、奥さんには怒られるし、もう最悪ですよ。だからね、安心してください。今も僕は変わらずに不運な生活を送っていますから!(笑)
「小説新潮」2021年5月号〜2022年12月号に連載した20本に書き下ろしの2本を加筆しまとめた、自身初のエッセイ集。クスッと笑えて、ほっこり心が温まる、人気芸人の悲喜交々の日常。「ベスト・エッセイ2022」にも選出された、母のお弁当の思い出を綴った一編も収録。 新潮社 1595円
撮影/黒沼諭〈aosora〉 取材・文/石井美輪