最新小説『世界99』が大きな話題を呼んでいる村田沙耶香さん。空気を読むのが得意な女性を主人公にした理由や、彼女から見た世界について感じたこととは。

村田沙耶香さんインタビュー
“個ではなく集団”として人を見る人間の世界を描きたかった
執筆期間3年以上、上下巻で800ページ超えの長編作を完成させた村田さん。小説『世界99』は、相手の言動に合わせ、嫌われないように自分のキャラを変えるのが得意な空子(そらこ)という女性の生涯を追う。中学時代は清楚な雰囲気の「姫」、大学時代のバイト先ではややがさつな「おっさん」として過ごす空子。彼女は30代になると、地元の友達とのつながりを「世界①」、夫がらみの人間関係を「世界②」、世界がもっと公平で善い場所になるよう懸命に模索する「世界③」……と、参加するコミュニティを細かく区切って人づきあいをし、ときにはしゃべり方まで変える。振り切った言動に驚きつつも、ちょっと共感も覚えてしまうのが、この物語の面白いところ。彼女のような人に焦点を当てたのはなぜだったのだろう?
「空子は小さい頃から、“自分は空っぽだ”という自覚を持って生きてきた人間。彼女みたいに冷静な人は、世界をどう眺めているのかと興味がありました。私が今までに書いてきた小説は、リアルな世界に適応するのが得意ではなく、どこかで心に傷みを抱えながら、社会の中でおっかなびっくり生きている人が多かったんです。そして私自身も、他人という“個”には慎重なほう。それに対して空子は、人を個ではなくて集団としてとらえています。幼い頃の彼女が、クラスメイトたちや先生の前で“異物”とならぬように振る舞うエピソードを書いていたときなどは、『ああ、私はこういう場面では、空子みたいな表現をすることはできなかったなあ』と、過去の自分に思いを馳せることもありました。彼女は、人間はそれぞれのコミュニティの中で泥のように溶けあう生き物なのだと、どこかで達観しているし、集団になっている人間の心の動きにとても敏感。その適応能力の高さは、彼女なりの警戒心の強さだとも思います」
私たちバイラ世代が暮らしているのは、「自分軸を大切にせよ」と言われつつも、一方で協調性や、場の空気を読む能力も求められている現代社会。そして小説の中で空子が生きるのは、彼女が飼っているピョコルンというペットや、ラロロリン人という新たな生命体を軸に、性加害と被害、美に対する意識、妊娠、出産も含めた家族構成など、人々の意識や価値観が目まぐるしく変わっていく世界。すべて村田さんがつくり上げたものだが、空子という自我が薄い人のレンズを通じ、その世界に没入するうちに「自分軸ってなんだろう」「そもそも意志ってあるのだろうか?」との疑問も湧き上がる。
「私も小説を書く仕事をしているので、周りには強い意見や自分軸がある人だと思われがち。でも実際はもっとふわっとしているというか……。軸をがっちりと定めきれず、ぼやっとしたところは、空子と似ているかもしれません」
それに「どこまでが本当の自分なのかを理解するのって、誰にとっても難しいことではないかと思う」とも。
「これは私の意見だと固く信じていたとしても、世の中の風潮に影響されている場合もあると思います。実際のところ、自分を貫きながらも周りと調和できる、完璧な自由人なんていないのかもしれません。そもそも『どの角度から切り取っても、あの人はバランス感覚がいいよね!』と、誰かに称賛されるような生き方って、怖い気がします。そう思われている本人だって、内面では疲れやストレスを抱えているかもしれません」
この小説を書きながら、村田さんは「初めて書いた空子というキャラクターに、興味が尽きなかった」のだそう。
「空子は集団に適応する能力を、誰かを傷つけたり、出し抜くために使うわけではないんですよね。目の前の相手を喜ばせたいだけで、ある意味ではピュア。信念はないから、人として思いやりがあるかはわからないんですが(笑)。そう考えると、自分軸が薄いことがいちがいにダメとも言えないんじゃないかな……と。私自身も、初めての長期連載の主人公がこの空子でよかった、と思っています」

『世界99』上下巻 集英社 各2420円
他人の感情に呼応しトレースするのが得意な女性・空子。その10歳からの人生と、ペットに過ぎない存在から変化していくピョコルンなど、彼女を取り巻く環境を描いたディストピア小説。

小説家
村田沙耶香
むらた さやか●1979年千葉県生まれ。2003年に小説家デビュー。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞、2016年『コンビニ人間』で芥川賞受賞。『ハコブネ』『信仰』など著作は多数。
撮影/nae. 取材・原文/石井絵里 ※BAILA2025年6月号掲載