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改めて考える『東京』という街の深さ。『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』

東京に出てきて12年、いまだに正解は分かりません。

みなさまこんにちは、スーパーバイラーズ清水まやです。

神戸の海辺の見える小さな街から高校卒業と同時に上京をして12年になりました。

最近よく考えることは、東京って街は信じられないほどたくさんの人がいるということ。そして、それぞれの天国と地獄があるということ。
個人的に東京と言う街は埋まらない穴を抱えた人間の住まう場所かなと思っていた時期があるのですが、ぼんやりとTwtterを眺めていると、そんな人々の空虚感や孤独が『Twitter文学』や『タワマン文学』と評され拡散された時期がありました。

賛否両論が分かれるのでしょうが、私はそれがとっても大好きで。
書籍として発行されましたので、ぜひ一度読んで頂きたいなと思いご紹介します。

『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』

(※よく漫画を紹介しているため誤解を招かないように注記しますが、今回は書籍です)

目次

  1. 『東京に来なかった方が幸せだった?』。一度は考える疑問。
  2. 孤独の本質的価値は、誰からも何も期待されないことだと思う。
  3. 完全な幸せが存在しないように、完全な不幸せも存在しない。
  4. 東京という街は深い、でもここで生きることを諦めない

『東京に来なかった方が幸せだった?』。一度は考える疑問。

カモのネギには毒がある 加茂教授の人間経済学講義 表紙

東京に来なかったほうが幸せだった?
Twitterで凄まじい反響を呼んだ、虚無と諦念のショートストーリー集。


東京に来なければ幸せだったのだろうか。
東京に暮らすものなら一度は考える虚無感について、様々な人の視点から楽しめるオムニバスストーリー。
14万イイネに達したツイートの改題「3年4組のみんなへ」をはじめ、書き下ろしを含む20の「Twitter文学」を収録。


東京に疲れた。そんな日に読んでほしい。

『20歳前後の自分は当時流行っていたネット小説をあまりよく思っておらず、純粋な文学こそが至高と思い、ひたすらにBOOK・OFFで中古本を買いあさる斜に構えた学生だった。
しかし、時代が変わり、TiktokやYouTubeを開けば創作のLINEのやりとりが小説のように流れてきたりするようになった。
創作というものは簡易的で身近で親しみを感じるものなのかもしれない。そもそも、文学というものが生まれたころは『娯楽』だったのだと10年経って考え方も変わってきた。

そんなころTwitterで見かけるようになったのが『Twitter文学』。
最初は都会に疲れた誰かの愚痴の長文ツイートなのかと思っていたのだが、どうやらフィクションらしいと知ったときの衝撃は凄まじいものだった。

それらの多くが、『東京に住むものの人生を主観で綴っていく』というストーリー。
自身の共感できるポイントもあれば、受験や大手企業での出世争いなど、私自身の身の回りにはあまり起こらない出来事もあった。

18歳の時、上京したばかりの私は学校の最寄駅である新宿のネオンに包まれながらこの世の全てを手に入れた気でいた。この街で自分の人生は花開くものだと信じていた。
その勘違いはすぐに打ち砕かれ、自分は何者でもない人間だと知る日が来る。

努力をして自分なりの一番を掴みとっても、次の瞬間には誰かが簡単に自分の努力を上回るものを作る。そういった社会的、そして自身との戦いを繰り返すのが東京と言う街なんだと嫌と言うほど思い知らされた。

凡人ならば凡人なりに就職をして商業デザイナーとしての道を歩もうと思ったのが22歳の頃。
就職活動の際に「どうしてあなたは本を読むのですか」と聞かれたことがあった。
私は、「追体験をするためです。私の人生では到底起こりえないことを文章から手に入れることで味わった気になりたいんです。自分の人生がどれだけあるかわかりませんが、本を読むことで違う誰かの人生を生きることが出来ます」と答えた。

就職と同時に引っ越した8畳1K付きの家は住みよくて気に入っている。
首都圏内からは少し離れるが、穏やかでゆっくりとした時間が流れるその街に決めたのは都会から離れたいの一心だった。
元彼に「家が遠い」と言われても、「いいかげん引っ越せばいいのに」と言われても4回目の更新をしたのは、『煌びやかだが私には刺激が強すぎる』街から距離を置く時間が欲しかった。それに尽きる。

私が、著者である麻布競馬場先生のTwtterをフォローするに至った経緯は、22歳のあの頃から全く変わっておらず、ショートストーリーを追体験したいという気持ちだった。
そんな麻布競馬場先生の著書が発売され、TLのツリーではなく『まとまった文章』として読めるようになったのはとても嬉しかった。』


私なりの『Twtter文学』のまがいものを綴ってみましたが、フィクションかどうかはみなさまの想像にお任せします。
今日はそんな著書の中から好きな文章をいくつかご紹介します。

孤独の本質的価値は、誰からも何も期待されないことだと思う。

ーーー『2082号室』より
『こうして欲しい、こうあって欲しい、楽したい一心で車を生み出した人類は、楽したい一心で他人にあれこれ期待してしまう。その期待が、あの頃の僕にとっても物凄く息苦しかった。』という文面の後に続きます。
このストーリーの主人公は、人からの期待やプレッシャーに疲れ、東京タワーの見えるタワーマンションの一室で孤独を愛する人間です。
当の本人も自覚のある通り生きづらさの原因は「自意識の暴走」であり、何かが出来ないからと言って誰かが石を投げたりすることもありません。ただ、幼い頃から刻まれたプレッシャーは消えることなく、都会にはそういったプレッシャーが拭い去れず、孤独に走る人間もいるということがありありと描かれています。

完全な幸せが存在しないように、完全な不幸せも存在しない。

ーーー『吾輩はココちゃんである』より
このストーリーの主人公はルッキズムに縛られ、美しくない自分の武器である勉学も、『勉学と美しさ』を兼ね備えた人間の前では何の役にも立たない、と挫折経験を得ます。
こういった経験は女性なら幾度と経験があるのではないかと感じるのですが、別の視点から見ると彼女は今までの努力の積み重ねで人事部のマネージャーを行っており、70万円で買った猫が膝の上で眠る、そんな『また、誰かから見ると羨ましい幸せ』を手にしています。
幸せや不幸せの価値観はそれぞれで、自身が囚われていると見えないものですが、案外そのあなたの億劫に感じている人生は『他の誰かが泣く泣く諦めた人生』なのかもしれない。そんな気付きをくれるショートストーリーです。

東京という街は深い、でもここで生きることを諦めない

「きっとこんな人もいるのだろう」という気分と「私にも経験がある」。
そんな二種類の気持ちを持ちながら読むことのできる作品です。読了感で言えば湊かなえさんなどのイヤミス系にとっても似ているかなと感じます。お好きな方はぜひ。

東京に住まう方なら経験のある挫折や虚無感をありありと一人称視点で綴られる文章はある意味狂気的。
そして麻布競馬場先生は1991年生まれ。清水(1992年生まれ)の一つ上でこれだけの人物を生み出してその人生について書く才能が凄いなと心から感じます。
40歳、50歳はどうなってしまうのだろう。
Twitter文学となるかは分かりませんが、次回作も楽しみな作家のひとりです。

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