BAILA創刊以来、本誌で映画コラムを執筆している今祥枝(いま・さちえ)さん。ハリウッドの大作からミニシアター系まで、劇場公開・配信を問わず、“気づき”につながる作品を月1回ご紹介します。第20回は、門脇麦と田村健太郎が冷え切った夫婦を演じる『ほつれる』です。
不倫相手を交通事故で失った主婦が、冷え切った夫婦関係と人生に向き合う
友人の紹介で知り合った木村(染谷将太)と小旅行に出かける綿子(門脇麦)。夫・文則(田村健太郎)との夫婦関係は冷え切り、今は同じ思いを共有する既婚者の木村を心の支えにしていたが……。門脇麦、田村健太郎、染谷将太ら演技巧者が好演。
読者の皆さま、こんにちは。
最新のエンターテインメント作品をご紹介しつつ、そこから読み取れる女性に関する問題意識や社会問題に焦点を当て、ゆるりと語っていくこの連載。第20回は、門脇麦が冷め切った夫との関係と自らの生き方を、不倫相手の死によって見つめ直す主婦を演じる『ほつれる』です。
いつの時代もゴシップをにぎわせる夫婦の問題。いい加減にして欲しいという気持ちでいっぱいの人も多いのではないでしょうか。そもそも、他人の夫婦関係や恋愛について、なんの関係もない第三者がとやかく言うことなのかという話ですよね。本当のところは、当人たちにしかわからないわけですから。
それでも、この種のテーマを語るエンターテインメントは少なくありません。他人の夫婦関係、日々の生活の実態を知ることはほぼ不可能である一方、誰にとっても大なり小なり悩みは尽きないもの。いわばありふれた題材と言えます。映画や本などのフィクションを通して、何かしらの新たな視点や自分を見つめ直す機会になったという経験を持つ人も、少なくないのでは。
加藤拓也監督の『ほつれる』は、夫・文則(田村健太郎)との関係は冷め切っている綿子(門脇麦)と、綿子が心のよりどころとしている木村(染谷将太)の物語。綿子は木村を突然の交通事故で失い、結婚生活と自分自身の生き方に向き合うことになります。
綿子と文則が、互いに気を遣っていることは明らかです。しかし、文則はともすれば威圧的でいやな感じがする。一方、綿子は徹底して受け身で、自分の結婚生活に対してだけでなく、人生そのものに対して主体性がなく、目の前で起きていることに対する当事者意識が欠けているように見えます。
多くを語らず、断片的に文則と綿子の過去や現在の状況を明かしながら、淡々と、しかし普遍的かつ正解のない問いにぐっと踏み込んでいく映像世界。冒頭の綿子と文則の日常の何気ないやりとりだけで、そこから読み取れるさまざまな感情にざわざわとした不穏さを覚えて、引き込まれます。
何事にも受け身に見える綿子。夫・文則に気を遣う一方で、親友・英梨のことは割と振り回している印象⁉︎ 黒木華が演じる英梨は、時にひりひりとした空気が流れる本作で、ほっとする存在だ。
人間なら誰しもが意識的 or 無意識的に発揮してしまう「狡さ」
文則の物言いは、女性の側からすると絶妙に嫌味ったらしく、心に引っかかるものがある。同時に、綿子の当事者意識の希薄な受け答えに、文則が苛立つのも理解できてしまう部分も。
もっとも、この映画は誰に責任があるとか誰が被害者であるとか、そうしたことをジャッジしたり問うたりするものではありません。グレーゾーンはグレーのまま、描いています。だから、受け取り方は人それぞれで良いというのが大前提です。
映画は、文則は前のパートナーとの子供をしばしば預かっており、自分の母親に子供の面倒などを頼っていること。綿子と文則の関係の始まりはどうだったのか、また文則の母親は過干渉気味で綿子と折り合いがよくなさそうといった断片的な情報を、会話の中で明かしていきます。この状況は、綿子にとっては精神的に負担が大きいだろうなと思いますよね。
一方で、序盤で綿子が木村とグランピングに出かけて、綿子の誕生日を祝うくだりがあります。その際に交わす会話などから、とはいえ綿子もなんだか共感しかねるなあと、胸の中にざらりとした思いが湧くのでした。
綿子はペアの指輪をプレゼントしてもらい、右手薬指にはめた手の2人の写真を撮ります。綿子は文則の思い出、女性がやられたら絶対にいやなプレゼントにまつわるエピソードを語り、木村は「うわ、信じらんない」と笑います。
2人の物言いが、エゴイスティックというかなんというか。木村は、文則と比べると穏やかでいい人そうに見えますが、彼もまた既婚者で、同じように妻を裏切っているのです。こうなってくると、結局のところは似た者同士なのかと皮肉な思いも。
当事者にしてみれば、また別の複雑な感情があるのでしょう。しかし、こうして俯瞰して見ると、3人はそれぞれに「狡さ」があることが見て取れます。人間なら誰しもが意識的 or 無意識的に発揮してしまう「狡さ」。そこが本作の最大の共感ポイントでもあり、心をざわつかせる要素でもあるように思います。
あなたの人生は誰のもの?
綿子と文則が暮らすマンションほか衣装や美術セットなども見どころ。『ドライブ・マイ・カー』を手掛けた石橋英子による音楽も、作風に合っていて印象に残る。
綿子は文則に失望し、木村との関係に安らぎを見出しながらも、文則と別れるという決断には至らない。それ以前に、目の前にある問題に向き合うことを避けています。理由の一つとして、今ある生活を失いたくないという思いが強いことは、物語のはしばしから読み取ることができます。
同時に、文則とは楽しい思い出がたくさんあることもまた事実なのでしょう。ともすればその記憶がよみがえってくるのだろうという瞬間も描かれます。そうした記憶の積み重ねを断ち切ることの難しさは、人の常でしょう。
文則も自分の態度を反省していることは言動に表れています。が、いかんせん、綿子を責めがちで、その言動は相手をより一層、頑なな態度に追い込むだけ。
さらに、文則は綿子が今の生活に未練があることを見越しているようで、新しい家を買うことを提案し、子供を作って関係をやり直そうと説得しようとします。この辺の心理戦、駆け引きは、見ていて思わず息詰まるような緊迫感があります。
いっそ、感情を爆発させて修羅場になってでも思いをぶつけ合ってくれればいいのに、と思う人も多いはず。決定的な別れを招くことになるかもしれないけれど、やり直すチャンス、もし未来があるとするならば、真正面から話し合うこと抜きにしてはあり得ないのでしょう。
劇中、「不倫関係だった時の方がいい人でいられる」というセリフがあります。狡い考え方だなと思いますか? それとも、そこには何かしらの真理があるのでしょうか。
結婚とは、大きな責任が伴うもの。それはもちろん、楽しいことばかりではないでしょう。責任を引き受けられないなら、結婚なんてするべきじゃない。それも正論です。一方で人生はそう思い通りに行くものなのか。もちろん不倫を肯定するものではありませんが、人の感情とはそう割り切れるものなのでしょうか。
もしくは、そもそも一夫一婦制の婚姻制度そのものが、現代にはそぐわないという議論もあります。そこまでいくと極論だと思いますか?
いずれにせよ、綿子のように目の前にある自分の人生から目をそらし続けていると、思わぬところでその代償は自分に跳ね返ってくるものかもしれません。誰かを愛したことも、傷つけたことも、どのような選択も、すべてを誰かの責任にすることはできないし、誰もが自分の人生の傍観者であってはいけないのです。
果たして、綿子はどんな選択をくだすのか? 監督の加藤は、イタリア留学後に劇団 「た組」 を立ち上げ、第30回読売演劇大賞優秀演出家賞ほかを受賞した、演劇界で注目の気鋭の演出家。男女の複雑な機微を描くことに長けた加藤の長編初映画監督作『わたし達はおとな』(Prime Video、U-NEXTほか)も、ぜひチェックしてみて。
『ほつれる』9月8日(金)より、新宿ピカデリーほか全国公開
監督・脚本:加藤拓也
出演:門脇麦、田村健太郎、染谷将太、黒木華、古舘寛治ほか
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