BAILA創刊以来、本誌で映画コラムを執筆してくれている今祥枝(いま・さちえ)さん。ハリウッドの大作からミニシアター系まで、劇場公開・配信を問わず、“気づき”につながる作品を月2回ご紹介します。今回は、第95回アカデミー国際長編映画賞や撮影賞を受賞した『西部戦線異状なし』です。
ドイツ映画として、アカデミー国際長編映画賞に輝いた反戦映画の傑作
予想をはるかに超える戦地の過酷な現実に、ただただ打ちのめされる学生の志願兵たち。主人公パウルを熱演するのは、ドイツの新鋭フェリックス・カメラー。初の大役をつとめて、鮮烈な印象を残す。
読者の皆さま、こんにちは。
最新のエンターテインメント作品をご紹介しつつ、そこから読み取れる女性に関する問題意識や社会問題に焦点を当て、ゆるりと語っていくこの連載。第15回は、2023年のアカデミー国際映画賞や撮影賞を受賞した反戦映画『西部戦線異状なし』です。
第一次世界大戦や第二次世界大戦を描いた作品は、大作として定期的に高い評価を得る作品が登場します。『プライベート・ライアン』(1998年)や『ダンケルク』(2017年)、『1917 命をかけた伝令』(2019年)など、そのスケール感や重厚なタッチ、真に迫った戦争の描写がぱっと思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか。
いつの時代にも、平和や反戦への強いメッセージを読み取ることができる作品が作られ続けるのは、世界から紛争や戦争の脅威がなくならないから。それでも、『西部戦線異状なし』ほど、今こそ観るべきだと思わずにはいられない作品もそうはない気がします。
第一次世界大戦開戦から3年目の1917年春のドイツ北部。17歳のパウルと学友たちは、学校職員の愛国心に満ちたスピーチに鼓舞されて、ドイツ帝国陸軍に自ら望んで入隊します。制服を配給されて、意気軒昂と国の未来を担う若者として、戦地に赴くパウルたち。
しかし、フランス軍と膠着状態に陥っている西部戦線の塹壕戦の現実は、彼らのすべての希望を奪い去ります。次々と仲間を失い、空腹や恐怖さえ、もはや麻痺するほどの過酷な戦場において、どれだけの若い命が、むざむざと失われていったのか。彼らの無念さや虚しさ、悲しみや絶望、そして心が空洞になっていくような若い兵士たちの思いを切実に伝えて、改めて戦争の非道さに言葉を失います。
さて、この連載で今回考えてみたいのは、本作も含めて前述の戦争映画もすべて男性の物語だといういこと。当たり前と思われるかもしれませんが、もし日本が戦争をするとなった場合(口に出すのも恐ろしいことですが)、男性なら当然のように戦地に赴くことが求められるという現実を、皆さんはどう考えるのでしょうか?
「皇帝と神 祖国のために さあ! 戦場へ!」と学生たちを鼓舞する教職員の言葉を信じて、自ら戦地へ赴く若者たち。泥沼の膠着状態に陥っている最前線に、輝かしい未来のある若者たちを送り込むのは大人たちなのだ。
男性の問題は、常に女性の問題である。
常に死を意識せざるを得ない地獄のような現実に直面しながら、必死に任務をまっとうし、生き延びようとするパウルたちの姿に言葉を失う。
もちろん、戦争において女性より男性の方が悲惨だとか、どちらがより大変なのかといった話ではありません。
現実問題として、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻をリアルタイムで目撃しながら、「男性である」ということで徴兵される人々とその家族、関係者を報道などで目にする機会が多くあります。戦争とはこういうことなのかと、改めて自分のこととして捉えた女性も少なくないかもしれません。
常に男性の問題は女性の問題でもあるのですが(逆も真なり)、パートナーや父親、兄弟、そして子どもが男性だった場合、戦争が起きたらどうなるのだろうかと、にわかに現実味が帯びる感覚というものがあると想像するからです。
誤解のないように言っておきたいのですが、戦争における女性たちの苦労や悲劇を描いた映画もまた多くあります。女性の兵士も増えています。しかし、ここで考えてみたいのは「従軍するのは主に男性である」という現実と、これまで戦争映画において「当然のこととして受け入れてきた事実」について、改めて意識を向けてみてはどうだろうかということなのです。
私自身、戦場のリアルを描いた映画が、必然的に男性だけの話になることへの根本的な問いには思いがいたらず、ひたすら戦争の現実を伝えるという意義に目がいってしまうところがありました。そんな中、幼い息子の母親である友人がふと発した疑問に、はっとさせられたのです。「男に生まれたことで担わなければならない責任とは何なのか」と。
男性なら戦地に赴くことが求められるのは仕方のないことなのか?
連合軍との休戦協定に臨むエルツベルガーとドイツ代表団。ようやく休戦を迎えることになるが……。エルツベルガーを演じるのは、『グッバイ、レーニン!』のドイツの演技派俳優で、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』などのハリウッド大作でも活躍するダニエル・ブリュール。
『西部戦線異状なし』では、兵士たちがひもじい思いをしている最中でも、朝食には焼き立てのパンをテーブルに並べることを当然のことだと思っている、軍の上層部や政治家たちの姿が描かれます。また、戦況は悪化しているのに、ただただ自らの軍人としてのエゴやプライドのために、戦後の社会を担う原動力となる10代の若者たちを戦地に送り込むことに加担する教職員の、なんと罪深いことか。
戦争とは、誰に責任があるのでしょうか? 国家あるいは国のリーダーか、政治家なのか。国民には、どんな責任があると考えられますか? 男性なら戦地に赴くことが求められるのは仕方のないことなのでしょうか。女性として、そうした現実をどう捉えているでしょうか。
ドイツのエーリヒ・マリア・レマルクによる1929年の同名反戦小説を原作とした『西部戦線異状なし』が伝えるメッセージは明確で、普遍的です。多くの人の心に突き刺さるものがあるでしょう。
一方で、この原作がベストセラーとなり、1930年にはアメリカで映画化された『西部戦線異状なし』がアカデミー賞最優秀作品賞などに輝きました。きっと現代の観客と同じように、当時も多くの人がこの映画が伝えるメッセージに共感し、涙したのだろうと想像します。
それでも、戦争の脅威はすぐにまた世界に影を落とし、1939年には第二次世界大戦が勃発しました。人は、歴史から何を学ぶことができるのでしょうか。この機会に2022年のドイツ版とともに、1930年版(U-NEXT、Prime Videoなどで配信中)も振り返りながら、本作のような反戦映画が作られる意味、アカデミー賞で評価される意義について、今一度考えを深めてみてはどうでしょうか。
テクノロジーの進化によって、戦争の現実、過酷さを伝える描写は臨場感を増している。Netflixには18分のドキュメンタリー『西部戦線異状なし:制作の舞台裏』もあるので、そちらも併せてぜひ。
Netflix映画『西部戦線異状なし』独占配信中
監督:エドワード・ベルガー
出演:フェリックス・カメラー、アルブレヒト・シュッヘ、アーロン・ヒルマー、ダニエル・ブリュールほか