テレビ東京『WBS(ワールドビジネスサテライト)』の大江麻理子キャスターがセレクトした“働く30代女性が今知っておくべきニュースキーワード”を自身の視点から解説する連載。第42回目は「年収の壁」について大江さんと一緒に深掘りします。
今月のKeyword【年収の壁】
ねんしゅうのかべ▶配偶者の扶養に入りパートなどで働く人が、一定の年収額を超えると扶養を外れて税金や社会保険料の負担が生じ、手取りの収入が減る状況を指す。賃上げの動きが広がるなか、壁を超えないよう働く時間を抑えるケースがあり、人手不足の要因と指摘されている。政府が2023年10月に対応策を実施。
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1986年4月
会社員などに扶養される配偶者を対象にした国民年金「第3号被保険者制度」が開始
第3号被保険者とは厚生年金保険加入者に扶養される20歳以上60歳未満の配偶者。基礎年金制度の創設により社会保険料の負担なしで年金を支給される制度が開始した
2023年10月
最低賃金が全国平均で時給1004円に。初めて1000円を超えた
最低賃金は、都道府県ごとに毎年引き上げ額が決められ、10月1日より全国で順次適用される。2023年度は全国平均で過去最大の43円引き上げとなり時給1004円となった
2023年10月
年収の壁への対策として、政府が「年収の壁・支援強化パッケージ」を実施
106万円の壁に対しては企業への助成金、130万円の壁に対しては、働く人が一時的に増収となっても連続2年までは扶養の範囲にとどまることができる仕組みを創設
バイラ読者にアンケート
(回答数85名 2023年10月27日〜11月2日に実施)
Q 「年収の壁」と呼ばれているものについて知っていますか?
認知度は7割以上。年収の壁を意識したことがあるかとの質問には約4分の1が「はい」と回答。「年収の壁を超えない範囲で働いている」「育児と仕事の両立に悩んで、正社員以外の働き方を検討した際に意識した」との声も
大江ʼs eyes
認知度はかなり高いですね。ご自身の働き方にも関係があるという声も多く、アンケートでは「106万円の壁のために欠勤で対応している」という回答もありました。手取り収入を減らさない取り組みがあれば、より多く働き、より多く稼げるようになる可能性があるのではと感じました
Q 現在の雇用形態を教えてください。
約7割が「正社員(正規職員)」、次いで約2割が「パートタイム(アルバイト)」。仕事内容は事務、企画、薬剤師、管理栄養士、フローリストなど様々だった。回答者全体の未婚/既婚の割合は未婚が57%、既婚が43%
大江ʼs eyes
バイラの読者は30代女性が多く、今回のアンケートでは回答者のうち独身の方の割合が57%と高めでしたね。労働力調査によると、既婚女性の約6割が非正規の雇用形態であるという報告があります。回答者に独身の方が多かったことで正社員の割合も高くなったのかもしれません
Q 賃上げが広がった影響もあり、年収の壁が人手不足の原因になっていると知っていますか?
7割以上が「はい」と回答。「会社が人手不足のなか、パート勤務の方が年収の壁を気にしている」という実状も。一方、政府が対応策として「年収の壁・支援強化パッケージ」を実施していることを知っている人は46%だった
大江ʼs eyes
コロナ禍以降、特にサービス業などで人手不足が深刻化しているなかで賃上げの動きが始まりました。それにより、従来より早く年収の壁に到達し、10月、11月と年末が近づくと「壁が来てしまうので働けなくなります」と働く時間を調節する人が増加。そこで政府が対応策を実施しました
Q 今後、働き続けていく上で不安はありますか?
約8割が「はい」と回答。「共働きが一般的になってきたのに、女性が働く環境の整備が足りていない」「育休や時短の取得で周囲とキャリアの差が広がり、子育て後のキャリアに不安がある」など切実な声が多数寄せられた
大江ʼs eyes
30代はキャリアアップ、結婚、出産、子育てなど、人生が大きく変わる経験をするかもしれない年代です。性別や未婚・既婚にかかわらず、望む働き方ができることが理想ですが、なってみないとわからないことも多く、働き続けることへの不安や心のゆらぎが読み取れる回答が多かったです
働き方が変わるなか今後は雇用の中身の拡充に力を入れる局面に
「年収の壁によって人手不足が深刻に。政府がついに対応策を実施しました」
「年収の壁とは、パートなどで働く人の年収が一定額を超えると配偶者の扶養を外れて税金や社会保険料の負担が生じ、手取り収入が減る問題です。ここ数年、年末になると多くの企業でこの年収の壁による人手不足が深刻化していて、政府が10月に対応策を実施したので今回キーワードに選びました。いくつかある年収の壁のうち、世帯収入への影響が大きい社会保険料に関わる106万円と130万円の壁にフォーカスして今回は解説していきます」と大江さん。
政府はどんな対応策を行っていますか。「従業員101人以上の企業では年収106万円、従業員100人以下の企業では年収130万円を超えると、働く人の社会保険料負担が生じます。前者の壁には、手取りを減らさない取り組みを行った企業に対して、従業員一人あたり最大50万円を政府が助成。後者の壁には、一時的に年収が130万円を超えた場合でも連続2年まで扶養にとどまれる仕組みを作りました」
これには主に目的が三つあると大江さん。「まず一つ目は、人手不足への対応です。時給が上がってきたのはよいことですが、その結果、より早く年収の壁に到達してしまい、秋頃から年収を抑えようと働く時間を減らす人が増え、人手不足が深刻化していました。それを避ける狙いです。二つ目は、物価高への対応です。物価上昇が家計を圧迫しているため、働く人の手取り収入を増やすことも大切な課題です。三つ目は、雇用形態を整えて賃金格差を是正する目的です。年収の壁を意識せず、働きたいだけ働いてより多く稼げる環境づくりをしていきたい。同一労働であれば同一賃金、できれば正規・非正規の差もなくしていきたいという意図があると思います。年収の壁の起点である国民年金の第3号被保険者制度が導入されたのは1986年。女性は専業主婦として家を守り、男性が働きに出るというように性別によって役割が分かれていた時代でした。そこから40年近くたち、家族のあり方も随分変わっています。女性の社会進出も相当進み、働き方も画一的ではなくなってきていますよね。時代に合った制度が求められるなか、2025年に年金制度改正が予定されています。それまでの間、現実的な解決策として実施したのが年収の壁・支援強化パッケージです」
「ゴールディン教授の『日本の女性たちはどこにも進めていない』という言葉にハッとしました」
2023年のノーベル経済学賞を受賞したクラウディア・ゴールディン教授の分析が年収の壁の問題と符合すると大江さん。
「ゴールディン教授の研究分野は、労働市場における男女格差です。彼女の分析に、日本の雇用、特に女性の労働に関する問題が詰まっていたように思いました。日本の女性の労働参加率は世界では有数の高さで、生涯にわたって働く確率も高い。ただ、雇用の形態がまだまだ画一的なので、子育てや別の理由などでよりフレキシブルな働き方をしたいとなると、選べる雇用形態が非正規やパート、アルバイトになり、賃金水準が下がってしまう問題があります。その結果、労働参加率は高いけれど、労働時間が短く、男女の賃金格差が大きくなる。その点にゴールディン教授も問題意識を持っているのです。受賞決定の記者会見での『労働市場への参加はいいことだけれども、日本の女性たちは労働市場に参加した先、どこにも進めていない』という表現にハッとしました。この問題を解消するためにはどうすればいいのか、日本として真剣に考えなければいけない局面に来ていて、年収の壁の問題も、取りくむべきひとつの要素です。誰もが自分の望む働き方を選択できることが理想だと思うのですが、制度が硬直的だと考え方や行動が変えられない。そこが今の日本社会のもったいない部分で、制度をフレキシブルにしていくことが非常に重要だと思います」
働き方の移行期ともいえる今、読者が持つとよい視点はありますか。
「雇用形態や賃金格差を是正していく、“雇用の中身の拡充”に力を入れるべきときが来ていると思います。自分が、また自分の会社がどんな立ち位置にいるのか、日々見極めていったほうがいいかもしれません。条件がよくないと感じたときは、労使交渉などで経営者に実情や希望を伝えるのもひとつの手立てです。本格的な人材不足の時代を迎え、経営者も働く人の声に耳を傾けざるを得なくなっています。また、より自己実現できそうな環境や、自分の求める働き方が可能な環境に転職をする選択肢もあります。人材の流動化が進むなか、今の30代くらいの方を見ていると、そういったことをシビアに判断しパッと動く人が増えていると感じます」
大江麻理子
おおえ まりこ●テレビ東京報道局ニュースセンターキャスター。2001年入社。アナウンサーとして幅広い番組にて活躍後、’13年にニューヨーク支局に赴任。’14年春から『WBS(ワールドビジネスサテライト)』のメインキャスターを務める。
撮影/木村 敦 取材・原文/佐久間知子 ※BAILA2024年2・3月合併号掲載