テレビ東京『WBS(ワールドビジネスサテライト)』の大江麻理子キャスターがセレクトした“働く30代女性が今知っておくべきニュースキーワード”を自身の視点から解説する連載。今回は連載拡大版として、激動の世界で今、何が起きているのかを幅広いキーワードから読み解きます。大江さんが宇宙好きになったきっかけでもある、宇宙飛行士・野口聡一さんとのスペシャル対談も実現!
“ニュースが自分とどう関わっているのかを意識して世界の出来事を見ていきましょう”
【バイラ読者にアンケート】
(回答数44名 2024年1月26日~2月7日に実施)
Q あなたが今最も気になるニュースはどの分野ですか?
約半数が“日本経済”と回答。気になるワードは「インフレ」や「賃上げ」「投資」が多数。“国際情勢”の分野では「ウクライナ・中東情勢」や「アメリカ大統領選挙」、“ビジネス”の分野では「成長産業」や「働き方の変化」といった声が
Q 具体的にどんなことが気になりますか?
国際
ウクライナや中東情勢のニュースに無力感を覚えます(39歳・商社)
経済
インフレの世の中になりどう生活すればいいか心配(38歳・金融)
住宅ローンを検討中で金利の変動に注目しています(31歳・IT)
ビジネス
職場で人手不足を実感中です(44歳・ホテル)
生成AIの進化による働き方への影響を知りたい(34歳・メーカー)
生活に直結する経済への不安から、国際情勢の動向への関心、転職やキャリアプランに関する質問まで幅広い関心の声が寄せられた
1.知っておきたいニュースキーワード「日本経済」
ものの値段が下がっていくデフレの時代から転換して、ものの値段が上がっていくインフレ時代へ。日本経済から目が離せません
【インフレ】物価上昇の中身に注目
「インフレーション(inflation)の略で、世の中のものやサービスの価格(物価)が上昇すること。逆に物価が下落することをデフレといいます。日本ではデフレが長く続いていましたが、コロナ禍やウクライナ情勢などを背景に原材料の価格が高騰。そのような外的な要因によるコストプッシュ型と呼ばれるインフレから、現在は徐々に日本経済の体力が上がってきたことによる、賃金の上昇を伴った物価上昇に中身が変わってきている局面です」
【日本株高】バブル期につけた史上最高値を更新
「日経平均株価が今年2月、バブル期につけた史上最高値3万8915円87銭を約34年ぶりに更新しました。好調の主な要因は日本企業の業績がよいことです。海外投資家たちも日本企業に注目しています。またアメリカでは半導体などハイテク企業の株価が好調でダウ平均株価も史上最高値を更新しましたし、東京証券取引所が取り組んでいる企業価値を上げるための市場改革や、中国経済の減速により中国以外の投資先として日本が選ばれていることも要因に挙げられます」
【2024年問題】今年の日本経済のリスクに
「働き方改革関連法が施行されたのは2019年。その中で時間外労働の上限規制が5年間猶予されていた業種に、今年4月から規制が適用されることで生じる問題を指します。対象はトラックドライバーなどの自動車運転業や建設業、医師の人たちです。長時間労働をしないと回らない状況を改善するための猶予期間でしたが、環境整備が特に運送の分野で難しいと見られています。物流が滞ると社会のあらゆるところに影響が出るという意味で日本経済のリスクになりかねません」
【賃上げ】私たちの給与はどうなる?
「政労使と呼ばれる、政府、連合などの労働者側、経団連などの企業側の三者が賃上げを目指す中、2023年の賃上げの上昇幅は3%を超えました。今年の賃上げ率は昨年を上回るのではと言われており、その規模が大企業だけでなく全国の中小企業まで及ぶかどうかが重要です。実現のためには、中小企業までお金が行き渡るように、大企業側が優越的な地位を乱用することなく適正な価格で取引が行われているのかを、しっかり見ていく必要があります」
【日銀の金融政策】日銀の望む経済状況とは?
「2013年に日銀が金融緩和を始めたときに掲げたのが、“2%の物価安定の目標”。持続的、安定的に2%を超える物価上昇率を達成する、つまりゆるやかなインフレ状態がずっと続く経済状況にしたいというのが日銀の金融政策の目標でした。当初は2年で達成する予定が10年以上たってしまい、いつになったら出口に向かえるのかと言われていましたが、日本経済がやっと政策変更を視野に入れられるような状況になってきたというのが現状だと思います」
【大江’s eyes】持続的なインフレの状況に日本がやっと変わってきた
読者アンケートを見ると、日本経済への関心が高いですね。デフレの時代から転換してインフレの状況になり、自分はどう行動すればよいのだろうと不安に思っていらっしゃる方も多いのかもしれません。理想的なインフレとは、ものが売れて企業の業績がよく、働いている人のお給料が増え、ものの値段を少し高くしても人々はそれを買うことができるというかたちで、経済の好循環が生まれる状態だと言われています。その状況が、前年比プラス2%ぐらいの物価上昇が続くことなのではと、長く日銀は2%の「物価安定の目標」を掲げて金融政策を行っています。日銀が望む持続的、安定的なインフレ状況へと日本が徐々に変わってきている、現在はそういう局面だと思います。日本企業の好調な業績を背景に、日本株も堅調です。政労使の三者が賃上げを目指し、今年はその規模が大企業から中小企業まで及ぶかどうかが注目されています。
読者の方から、日銀の政策変更に伴う住宅ローンの金利変動を心配する声がありました。確かに今後、影響が出てくるかもしれません。ただ、住宅の買い控えなどが起きて景気がしぼんでしまわないよう、日銀の植田総裁は、もしマイナス金利を解除しても充分な金融緩和状況を維持する姿勢を示しています。
一方、今年の日本経済において、不確実性が高いと見られているのが2024年問題です。特に物流は社会の要ですから、日本経済のリスクになりかねないと懸念されています。
2.知っておきたいニュースキーワード「国際情勢」
紛争や自然災害で世界が混迷を深める中、多くの国や地域で選挙が行われる2024年。最注目は11月のアメリカ大統領選挙です
【アメリカ大統領選挙】トランプ氏の再選はある?
「4年に1度の大統領選挙が今年11月5日に行われます。共和党の候補者となったトランプ前大統領ですが、色々な裁判を現在抱えています。裁判の結果によっては刑務所に収監されるおそれのある人が候補者になるという異例の事態です。一方、現職のバイデン大統領が高齢であることを不安視する声も根強く、民主党として勝てる候補かどうかはっきりしません。11月の選挙まで不確実性の高い状況が続くかもしれません」
【中東・ウクライナ情勢】高まる地政学リスク
「ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から2年がたちましたが、今も戦闘が続いています。ウクライナにとって最大の支援国であるアメリカが今後も支援を続けられるかが焦点です。昨年10月にはイスラエルとイスラム組織ハマスとの戦闘が開始。人質の解放と休戦を巡る交渉が膠着状態の中、イスラエルはパレスチナ自治区ガザへの攻勢を強めています。この衝突をきっかけに、中東各地で情勢が悪化してしまわないか懸念されています」
【難民問題】世界の人口の1%以上に
「国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2022年末時点で紛争などにより故郷を追われた人の数は1億840万人。その後にトルコやモロッコで地震が、リビアでは洪水が起きました。そしてパレスチナの現状を考えると、住むところを追われた人は急激に増えているはずです。ガザ地区の場合、壁やフェンスで封鎖されているため外に逃れることもできません。ガザ地区南部のラファには約150万人の避難民が押し寄せているとも言われています」
【チャイナリスク】中国経済がバブル崩壊状態か
「中国では不動産不況を発端に経済が減速。不動産会社の資金不足で建設中に工事が止まる例が相次ぎ、住宅購入者がお金を払ったのに家に住めない、引き渡しの遅れが社会問題になっています。習政権が不良債権の処理に対し抜本的な対策を取れるか、難しいかじ取りを迫られる中、現状がバブルが崩壊した1990年代の日本と似ているという見方もあり、長期低迷に入るかどうか懸念されています。中国以外に投資を振り向けようとしている投資家が世界的に増えています」
【大江’s eyes】世界各地が過酷な状況に置かれる中での選挙イヤー
今年は世界で重要な選挙が行われる選挙イヤーと言われています。最注目は11月のアメリカ大統領選挙です。民主党・バイデン大統領の支持率が低迷し、共和党の候補者となるのが確実なトランプ前大統領は裁判が並行して進むなど、不確実性な要素の多い選挙戦となっています。
そんな中、世界情勢を見渡すと、ウクライナでは戦闘が続き、イスラエル・パレスチナ情勢も悪化の一途をたどって、ガザ地区が壊滅状態になっています。各地で自然災害も多発していて、中国では不動産不況に歯止めがかかりません。
日々報道される戦闘のニュースに読者の方から「何かできることはないか」という声が寄せられました。どうすることもできない自分に歯がゆい思いや無力感を覚える方もいらっしゃると思います。もし何らかの支援を考えるのであれば、ひとつの選択肢として難民の支援団体などへの寄付があります。自分が行けなくても思いを乗せてお金に動いてもらうことができると思います。難民問題は長期的なサポートが必要ですので、私の場合は毎月定額寄付をしています。サポーターへ活動の現状を報告するお手紙が届くたびに、今ニュースで取り上げられていない地域でも問題が山積している状況を実感します。また、歴史を学ぶことも大切です。特にイスラエル・パレスチナ情勢については、その歴史を知れば知るほど解決が難しいこともわかり、様々な視点を持てるようになると思います。
3.知っておきたいニュースキーワード「ビジネス」
ビジネスでの活用が世界的に広がる生成AIと、需要が高まる半導体産業、そして気候変動対策。日本が抱える社会課題も解説します
【生成AI】ブームが定着し活用広がる
「指示に基づき、これまでに学習してきたデータを活用して文章や画像、音楽などを生み出す人工知能(AI)。生活やビジネスにすっかり浸透し、生成AIの代名詞ともなったオープンAI社のChatGPTに対抗しグーグルなどの巨大IT企業が開発競争を繰り広げています。日本でも政府主導で、国産の生成AI開発を加速させる“GENIAC”プロジェクトが始動。一方、もっともらしい嘘をつくという課題もあり、法的な整備や技術的な穴を埋めていかなければならない分野でもあります」
【人手不足】慢性的に続くおそれも
「2024年問題による物流・運送業界でのドライバー不足に加えて、サービス業での人手不足も深刻化しています。これまでは女性や高齢者の労働参加により人手不足を解消していた状態がありましたが、女性や高齢者の就業率がある程度高まった今、慢性的な人手不足が懸念されています。解決のため、最近目にする機会が増えたホテルでの無人チェックイン機や配膳ロボットなど、サービス業では機械を導入することで人を介さなくてもすむようになる“省人化投資”が進んでいます」
【気候変動対策・脱炭素】より現実的な解決に向けて
「重要な社会課題として世界で認識されている気候変動問題。ただ、ロシアのウクライナ侵攻後のエネルギーの価格高騰や供給不安を経て、対策を先導していたEUでも従来の化石燃料の使用を許容しない方針から少し現実的な方針に変化しつつあります。そうした中で、温室効果ガスの排出を抑えるため、CO₂を地中化する技術などが各国で研究開発されています。日本では燃焼時にCO₂を排出しない水素を化石燃料に混焼する技術開発などを進めています」
【半導体】日本が世界の重要拠点に
「スマホ、パソコン、自動車、家電などあらゆる電子機器の制御のために用いられる電子部品のこと。米中対立が長期化する中で、アメリカ主導の「Chip4」という、アメリカ、日本、韓国、台湾で連携して半導体のサプライチェーンを強固なものにしていく構想が生まれました。日本は今、官民の総力戦で、台湾の世界最大手半導体メーカーTSMCの工場の誘致や、国産の次世代半導体の生産を目指す会社ラピダスを設立するなどの戦略を同時進行させています」
【大江’s eyes】生成AIと半導体に注目。日本では人手不足の課題も
今あらゆる分野で活用が広がっているのが生成AIです。あっという間に生活に浸透したように感じます。便利な一方、もっともらしい嘘をつくという課題もあり、技術的に発展途上です。特に世界的な選挙イヤーである今年は生成AIを使った精度の高いフェイク情報が出回るおそれがあり、警戒が必要です。
その生成AI分野でも不可欠で、世界の経済安全保障で重要視されている半導体産業も激動の分野です。日本は今、世界のサプライチェーンの中で欠かせない存在になるために半導体の製造能力を高めようと、官民一体となって動いています。
気候変動対策の分野では、持続可能なエネルギーの活用がより進む一年になるかもしれません。ただ、国によって対応の度合いに濃淡があり、アメリカ大統領選挙でトランプ氏が再選した場合、アメリカの気候変動対策が後退する可能性があるとの見方もあります。
日本では、2024年問題に加えて、慢性的な人手不足が社会課題になっています。AIの進化により、対面でないとできない仕事や、管理職など人と人の間を取り持つような仕事の価値が高まっていて、その分野の人手が足りない問題もあります。また、女性の働き方において、結婚後や育児期に就業率が低下するM字カーブ問題が解消されつつある一方、30歳頃を境に正規雇用率が低下するL字カーブ問題は残っています。結婚や子どもの有無にかかわらず望む働き方を選択できる環境づくりが大きな課題として指摘されています。
4.2024年に知っておきたいニューストピックス4選
宇宙開発競争(Space development war)【うちゅうかいはつきょうそう】
かつて国が主導していた宇宙開発に民間企業が相次いで参入し、宇宙ビジネスの成長が世界規模で加速しています。国際宇宙ステーションの老朽化に伴い、企業が独自で宇宙ステーションを打ち上げる計画もあります。日本でも大手企業だけでなくベンチャー企業も人工衛星の開発やロケットの打ち上げなどに参画していて、宇宙産業が盛り上がっています
政治改革(Political reform)【せいじかいかく】
派閥の政治資金問題を受け、自民党は政治刷新本部の中間とりまとめを今年1月に決定しました。政治とカネの問題は忘れた頃に表面化するところがあり、1988年のリクルート事件の翌年にも自民党は政治改革大綱を策定。そこには「派閥によるパーティ開催の自粛をさらに徹底する」と明記されていました。政治改革案は作るだけでなく履行されていくしくみが大切です
フェイクニュース(Fake news)【ふぇいくにゅーす】
真実に見せかけた偽りの情報。生成AIの進化により、精巧な偽のニュースや動画が世の中に出回りやすくなっています。特に選挙イヤーの今年は、情報を受信する側も発信する側も、「だまされないか」「拡散にひと役買うようなことをしていないか」が問われていきそうです。社会に動揺を与えないよう、プラットフォーマー側のルール作りも求められています
DEI(DEI)【でぃーいーあい】
Diversity(多様性)、Equity(公平性)、Inclusion(包括性)の頭文字を取った言葉。一人ひとりが持つ多様な個性を生かして価値創出につなげる考え方で、企業や組織でも推進する動きが広がっています。EがEquality(平等)でなくEquity(公平性)であることが“どんな人も状況に応じてサポートされる”という意味合いをより強めています
5.宇宙飛行士 野口聡一さんに聞く。2024年の今、宇宙ってどうなってますか?
2009年に米ヒューストンのNASAで行われた宇宙飛行士 野口聡一さんとの対談をきっかけに宇宙が好きになった大江麻理子さん。それから15年。久しぶりの対談は、宇宙のことだけでなく生き方にも話がおよび充実の内容に!
“この5年くらいで市場価値が急激に高まり宇宙が面白い時代に入ってきています” 野口さん
“宇宙を活用したビジネスが今後さらに伸びると期待されているんですね” 大江さん
宇宙飛行士の経験を実社会に生かすためにダボス会議にも参加
大江 最近、ご活躍の場がかなり多岐にわたっていらっしゃいますね。
野口 宇宙飛行士の経験を社会にどう生かすかを考え、色々な場で仕事をしています。たとえば地球環境問題。自分が宇宙で見た地球の美しさを伝えることを通して、気候変動の課題に取り組んでいます。企業の方々と一緒に動く中で今年1月にダボス会議へ行ってきました。
大江 スイスのダボスで世界中の政治や経済におけるキーパーソンが一堂に会して話し合う会議ですよね。雰囲気はいかがでしたか?
野口 以前、世界中の首脳を宇宙に連れて行って国境のない地球を見せたら、いろんな問題が解決するのではと思っていたことがあるんです。それを地球上で実現しているのがダボス会議だと思いました。スイスの極寒の山の中で一週間、地球環境や国際経済の話をディスカッションするんですよ。
大江 具体的にどんな議題でしたか。
野口 まず、地政学的な問題。ウクライナ侵攻、イスラエルとパレスチナの問題で中東全体が不安定化していること、世界各地の様々な分断をどうするのか。今年は世界的に選挙が多い年なので、世の中がどうなっていくのか……など。僕は宇宙関係が専門なのもあってアメリカを注視することが多いのですが、アメリカの分断は深刻です。“もしもトランプが”を略して「もしトラ」なんて言われますが、今や「ほぼトラ」。でも国民の約半数が支持していない状況は変わりません。「本当に僕たちの住む世界ってこのまま分断していいの?」という声はすごく聞こえてきましたね。
大江 解決の難しい問題です……。
野口 あとはやはり気候変動について。問題の重要性は皆さん理解した上で、具体的にどう解決していくのか。先進国だけで解決できるものではないので、新興国に対する援助も必要になってきます。
大江 グローバルサウスと呼ばれる新興国に向けての支援として、何ができるのかというところですよね。
野口 そうですね。ただ、グローバルサウスと言っても決して一枚岩ではないんだなと。グローバルサウスの中でも温度差があるのを、僕も今回行ってみて改めて感じました。
大江 成長の中身も国によっての事情もまったく違いますものね。
ダボス会議のいちばん大きな話題はAIの進化。情報の真偽が判別困難に
野口 いちばん注目されていたのはAIの話題でした。ChatGPTをはじめ、一年前にはそれほど具体的でなかった生成AI、AI全体の進歩が、産業や政治経済も含めて非常に大きな影響を持つことが明らかになってきました。
大江 米オープンAI社のサム・アルトマン氏も登壇しましたよね。
野口 はい。会場の熱に時代の変化を感じました。AIの進化に関しては、文字を自在に扱うチャットから、今は静止画や動画にまで及んでいます。少し前の“AI美空ひばり”みたいな、見ていて少しロボットっぽいなと感じる時代から、スムーズに話すAIの時代に入っていくんだなと。そうなってきたときに、「何が本物で何が偽物か」が本当にわからなくなるなと思いました。
大江 そこなんですよね。
野口 現在においてもAIが生成する文章や画像は非常に精巧で、すでに判別が難しくなっていますよね。もちろん判別する方法もあるかと思いますが、今後はネット上やテレビで静止画や動画を見ていても、AIか人間かがわからなくなる時代が来ると思います。普通に人間と応対しているつもりが実はAIだった、というようなこともありえます。話す内容、声色、映像の一つひとつは技術的にかなり高いレベルに到達しているので、それが組み合わさったときの破壊力ってやっぱりすごいなあと。
大江 判別が難しい中でどうだまされずに生きていくか、とても難しいです。特に選挙イヤーの今年は、各地で問題が起きそうですよね。ダボス会議のテーマは、地政学、環境、AIあたりが中心だったわけですね。
この5年くらいで宇宙の市場価値が高まり宇宙ビジネスが活況に
野口 続いて、宇宙の話にまいりましょう。大江さんがNASAで訓練をしていた僕を訪ねてくださり、対談をしたのは今から15年ほど前でした。その後急激に市場価値が高まっているのが宇宙の世界です。特にこの5年くらいの間に状況が変わっていて、今回、私なりに整理して大江さんにレクチャーしたいと思います。
大江 それは大変ありがたいです!
野口 前回お話していた頃の宇宙に関する話題といえば……。
大江 2009年に野口さんが乗られたソユーズはロシアの宇宙船。
野口 そうです。有人宇宙船は一時期、世界でロシアが中心でした。宇宙市場規模に関する知識としては、その後の2017年の試算で、2040年の宇宙市場規模が1兆ドル(1ドル=140円換算で140兆円)ぐらいと予測していたんですね。その予測が今では倍くらいになっています。
大江 倍とは! 内訳が気になります。
野口 何が伸びると思われているかというと、ロケットや人工衛星よりも、二次的なインパクト、社会で宇宙を使ったビジネスが伸びると期待されています。たとえばインターネットが普及したときに、急にソーシャルメディアやEコマースといわれるものやサービスの取り引きがバッと伸びたじゃないですか。そういうことが宇宙がベースとなって一気に進むであろうという見通しです。今回のダボス会議で僕が参加した、第四次産業革命委員会でも取り上げていました。これまで人類の歩みの中で、イギリスで蒸気機関ができたのが第一次産業革命。次にアメリカで鉄が作られるようになり重工業が発展したのが第二次産業革命。半導体やロボットなど日本の高度成長を支えたのが第三次産業革命。そして第四次産業革命はそれに次ぐくらいのインパクトが起きて、それのひとつが宇宙ビジネスだということです。
大江 日本はどうなりそうですか?
野口 日本の宇宙産業はまだ市場としてはそれほど大きくなく、内閣府のデータによると現在の市場規模が1・2兆円ぐらいです。2030年代早期までの倍増が政府の目標で、伸びしろがあるとも言えますね。これから急激に変わっていくと思います。
大江 最近ではスペースワン社がロケットを打ち上げるなど日本の民間宇宙企業の動きも活発ですね。
野口 そうですね。ほかにもアイスペースやインターステラテクノロジズなど、日本をベースにする宇宙経済、民間の力も増えてきています。
“地球全体のSDGs、サステナブルな環境づくりを宇宙に対しても考えていくべき時代に” 野口さん
僕たちの頭の上では今、2000機を超える人工衛星が飛んでいる
野口 現在、アメリカの宇宙産業で圧倒的に強いのがスペースX社です。
大江 あのイーロン・マスク氏が率いる民間企業ですね。
野口 創業20年あまりですが今はもう完全にスペースXが宇宙産業界を席巻しています。世界の人工衛星などの打ち上げ数の推移を見てみると、2013年には年間約200だった打ち上げ数が、2022年には10倍の約2000に。そのうち約1600がスペースXの運用する衛星通信サービス、スターリンクの衛星です。
大江 圧倒的ですね。しかし、衛星の増え方が急ピッチすぎませんか。
野口 今回のダボス会議でも、それがひとつのテーマになっていました。
大江 年間打ち上げ数に上限を設けるなど、何か世界でルールをつくったほうがよいような気がしますが。
野口 はい。でも今それをルール化する国や機関がどこにもないんです。上げたもの勝ちなんですね。色々な会社の衛星同士がぶつかり始めたときに、誰が対応するのか。衛星が壊れるだけなら新品を上げればいいですが、宇宙飛行士が乗っている宇宙船とぶつかったときどうするのかという話は実は手つかずです。国連は国家と国家の間の調整を行うので会社間の問題には入りようがない。
大江 それだけ衛星が増えると、宇宙ごみの増え方も加速しそうですね。
野口 はい。地球全体のSDGs、サステナブルな環境づくりというのを宇宙に対しても考えていくべき時代に入っていると言えます。宇宙ごみの増加もそうですし、よく言われているのが光害です。人工の光によって生じる問題のことで、増加する人工衛星の光のために夜空が明るくなりすぎてしまう。星空の見え方が変わり、動植物などへの悪影響もあります。宇宙空間でも経済活動が行われているという意味では、都市化によるビルの明かりで星が見えなくなるのと同じことではあるんですが、その変化の具合が極端なんです。
通信衛星の軍事利用などにより宇宙を制する者が権力を持つ可能性も
大江 今、ウクライナではロシアとの戦闘が続いていますが、その中でスターリンクの通信衛星も重要な役割を果たしています。地政学にも影響を与えていますね。
野口 そこは大事なポイントですね。民間企業がインターネットが通じないところで通信できるようにと上げていたものが、軍事利用されている。
大江 そうなると、国と国の関係だけではなくて、スペースXやイーロン・マスク氏の意向次第で戦況も変わってしまうというか。随分大きな権力を、宇宙を制する者が握るのかもしれません。最近、人工衛星を打ち上げる国も増えていますね。
野口 そうですね。今、サウジアラビアやUAEも宇宙大国になりつつあります。宇宙の技術って思っているほど最先端ではない部分もあり、資金力とやる気と人材があればどこの国でも宇宙船を上げられるんです。
大江 有人宇宙飛行の起点となる国際宇宙ステーションの老朽化が進んでいます。運用は何年までですか?
野口 今のところ2030年ですね。
大江 その後どうするかというところで、今民間企業がいっぱい手を挙げていますよね。
野口 僕も今、そういう企業のお手伝いをしてるんですけれど、宇宙ステーションは地球の周りを地球が見えるところで回っていることに意味があるので、施設の利用は今後も残ると思います。月面は月面で今別の動きがあるんですけれども。行き先の駅である宇宙ステーションを一生懸命作ろうとしている中で、行く手段である乗り物の開発も重要です。
宇宙にものを打ち上げる低コスト化においてもスペースX社が圧倒的!
野口 最後に、宇宙にものを打ち上げるときのコストの変化について紹介しましょう。1キロのものを宇宙に持っていくのに、ずっと約1万ドルかかると言われていたんですが、少しずつ下がってきて、今なんと200ドルくらいまで下がってきてるんです。それを実現したのもスペースX社です。しかもスペースXだけがズドーンとコストが下がっています。
大江 ケタ違いの価格破壊ですね。なぜそんなことができるのですか。
野口 再利用です。同じものを使うのがうまくいった例なんです。たとえば東京からニューヨークに行くのにジェット機に乗りますよね。ジェット機ってだいたい100億円なんですよ。もしも1回飛んで使い捨てにしてしまうと、100人乗っていくと仮定して、一人一シート1億円です。でも実際には燃料を詰め替えて帰ってきて、何百回何千回も使うから10万円くらい? 今はもう少し高いかもしれませんけれど、再利用することで価格を下げているんですね。宇宙に関しても同じようなことが言えるということです。2020年に僕たちが乗ったスペースXのファルコン9という宇宙船は圧倒的な低コストを実現したロケットです。今はさらに下がっています。まさにこの5年くらいで急激に宇宙が面白い時代に入ってきてるんです。
大江 ロケットのコスト競争力に差がついていることを改めて知ることができて大興奮です。ありがとうございます。大変勉強になりました!
“ロケットのコスト競争力に差がついていることを改めて知り、非常に興味深く大興奮です” 大江さん
大江さんから野口さんに「生き方」についての質問!
著書『どう生きるか つらかったときの話をしよう』で宇宙から帰還後の苦しかった経験を語られた野口さん。自分らしく生きるために必要なことを伺いました。
“一度立ち止まって、自分のやってきたこと、やりたいことを考えることが大事だと思います” 野口さん
“もっと生き方は自由でいいんだよと教えていただいた気がします” 大江さん
Q1 宇宙から帰還後、“燃え尽き症候群”のような状態を経験されたとのことですが、どのような日々でしたか?
野口 2009年の2回目のフライトの数年後からつらい時代に入りました。宇宙での大きなミッション達成という重責がとれたと同時に目標を見失い、何かやり残している気はするけれど何なのかわからない。一方で後輩たちがぐんぐん伸びてきて、自分の居場所がないように思ってしまう。それを認めたくない自分もいました。
大江 その当時野口さんとお話しする機会があり、「民間の宇宙船が完成したら最初に乗るのは自分だ」とすぐに次の目標を持っていらっしゃる感じがしましたから、聞いてびっくりしました。
野口 そう自分を言い聞かせつつも、なかなかそちらに進めない自分がいて。止まることもできず、煮え切らない、もやもやした時代がありました。
Q2 そんなとき、「自分らしく生きる」ために見つけた回復方法はなんだったのでしょうか?
野口 人生の棚卸しをすることです。バイラ世代でも、ひたすら走り続けている、という方が多いと思うんですが、一度立ち止まって自分がやってきたこと、これからやりたいことなどを考え直すことが大事だと思います。
大江 私、野口さんがJAXAを辞められるときの会見で、退職される理由をお伺いしたのですが、野口さんのお返事にジーンとしたんです。コロンビア号の事故で亡くなった仲間のことを考えていらしたという。そして、「生きているからこそできる新しい展開」をしたいと。
野口 そうですね。宇宙飛行士を続けた理由のひとつとして、あの事故が大きかった。帰還できなかった7名の飛行士のことを語り継ぐこと。そしてまだ余力があるうちに、一回リセットして人生の第二段エンジンの着火に移りたいと考えました。
大江 バイラ世代の方の中には、「自分のやりたいことがわからない」という悩みを寄せてくださる方もいます。野口さんはどう思われますか?
野口 「自分の得意なこと」を考えてみるのも意外といいと思います。得意なことはやっていても疲れを感じづらいので、サステナブルだともいえます。
大江 確かにそうですね。やはりまずは己を知るというのが大切なのですね。
Q3 野口さんが人生の棚卸しをしたときに見えてきたものは何でしたか?
野口 自分は思っているほど強くないんだなと。だからセルフケアが必要です。休むときには休む。
大江 セルフケアは本当に重要ですよね。私の場合、『WBS』のメインキャスターをしてきましたが、取材が好きなもので夜の生放送に加えて朝から取材や日帰り出張をすることが多かったのです。そうしたら6年たったくらいで体調がおかしくなってきて。
野口 頑張りすぎたんですね。
大江 好きで、やりがいがある仕事でも、サステナブルな働き方をしないと自分を痛めつけてしまうんですよね。その後、周りの人たちと相談しながら働き方を変えていき、今は体調もずいぶんよくなりました。勇気はいりますが、自分の弱さを開示することはほかの人のためにも必要なことですよね。
野口 僕がつらい気持ちを抱えていた10数年前よりも、弱さを見せられる時代に変わってきている部分もありますが、まだまだ社会には「頑張ることで伸びる」という考えも残っていますよね。特に自分に対してもそう考えがちで。期待にこたえようとすること自体は悪くはないけれど、それがストレスになってしまう場合もある。
大江 はい。もちろん適度な負荷が人を成長させるのですが、適度かどうかの見極めが必要ですよね。そこをコントロールするのが現代の上司の役割になるのかもしれません。
Q4 新しいステージへ進んでいく中で見えてきた、新たなやりたいことは?
野口 最近参加したダボス会議も含めて、今いろんな人や企業と一緒に仕事に取り組んでいて。自分の経験や知識、発言が、新しいシナジーというか、思いもよらなかったかたちで生かされることにとても興味があります。また、大学の仕事で関わる若い世代の発想力がすごく刺激的なので、大事にしたい仕事のひとつです。ただ、頑張りすぎないことも重要だと思っていますね。
大江 もうずっと頑張ってこられましたからね。今日家に帰ったら、私も自分の人生を棚卸ししてみます。今日は野口さんにもっと生き方は自由でいいんだよということを教えていただいた気がします! ありがとうございました。
宇宙飛行士
野口聡一
1996年宇宙飛行士に選抜。2005年、2009年、2020年と通算3回の宇宙飛行に成功し、世界で初めて「3種類の宇宙帰還を達成した宇宙飛行士」としてギネス記録に認定。2022年JAXAを退職。東京大学、日本大学の特任教授をつとめる。
大江麻理子
おおえ まりこ●テレビ東京報道局ニュースセンターキャスター。2001年入社。アナウンサーとして幅広い番組にて活躍後、’13年にニューヨーク支局に赴任。’14年春から『WBS(ワールドビジネスサテライト)』のメインキャスターを務める。
撮影/須藤敬一 ヘア&メイク/桑野泰成〈ilumi.ni〉(大江さん分)、鎌田亜利紗〈アートメイク・トキ〉(野口さん分) スタイリスト/森岡 弘(野口さん分) イラスト/松田奈津留(visiontrack) 取材・原文/佐久間知子 ※記事の内容は2024年2月の取材時点のものです。 ※BAILA2024年5月号掲載