BAILA創刊以来、本誌で映画コラムを執筆している今祥枝(いま・さちえ)さん。ハリウッドの大作からミニシアター系まで、劇場公開・配信を問わず、“気づき”につながる作品を月1回ご紹介します。第23回は、レナード・バーンスタインとその妻フェリシアの関係にフォーカスした映画『マエストロ:その音楽と愛と』です。
偉大な音楽家レナード・バーンスタインと、その妻フェリシアの複雑な関係
才能あふれる音楽家レナード・バーンスタインと、彼のことを誰よりも理解し、人生をともに歩むことを決意した妻フェリシア。監督・脚本・出演をつとめたブラッドリー・クーパー、妻役のキャリー・マリガンらは、アワードシーズンの最中、第81回ゴールデン・グローブ賞ほか多くの賞にノミネートされている。
読者の皆さま、こんにちは。
最新のエンターテインメント作品をご紹介しつつ、そこから読み取れる女性に関する問題意識や社会問題に焦点を当て、ゆるりと語っていくこの連載。第23回は、多くの有力な映画賞に名乗りをあげているNetflix映画『マエストロ:その音楽と愛と』です。
ユダヤ系アメリカ人の指揮者、作曲家でピアニストとしても知られるレナード・バーンスタイン。20世紀後半のクラシック音楽界をリードした偉大な音楽家ですが、一般的に身近なのは、作曲家として『ウエスト・サイド物語』(1957年初演)などのブロードウェイ・ミュージカルの楽曲でしょうか。
『マエストロ:その音楽と愛と』は、レニーの愛称で知られるバーンスタインと、チリ出身の俳優でピアニストのフェリシアとの出会いから、晩年までの夫婦の関係を軸にしたドラマです。あくまでも、妻や子どもたちから見たバーンスタイン像であることは留意する必要があります。
『アリー/スター誕生』に続き、ブラッドリー・クーパーが監督、共同脚本、主演をつとめた本作は、クーパー入魂の演技に、まず圧倒されます。エネルギッシュで、体を大きく動かしながら全身全霊で指揮するパフォーマンスや、常にハイテンションで愛情深く人好きのする、人生を謳歌する人物像には非凡さがある。同時に、家族にとってはよき父親であったこともよく伝わり魅力的です。
一方、実質的な主役と言えるのは、演技派俳優キャリー・マリガンが演じる妻フェリシアでしょう。自らも舞台やTVで活躍していた彼女は、バーンスタインのことを誰よりも理解し、愛し、信じてともに生きる決意をします。
3人の子どもに恵まれ、仲睦まじい夫婦としてマスコミに露出することも多かった二人。ですが、メディアによって美化されたイメージとは裏腹に、二人の間には数々の困難がありました。
バーンスタインほどの稀有な才能を持つ男性を夫に持つことに苦労があることは、想像に難くありません。より結婚生活を厄介なものにしたのは、バーンスタインが二重生活を送っていたことです。
愛情深く、知的で芯の通ったフェリシアの複雑な胸の内を、繊細な演技で伝えるキャリー・マリガン。『17歳の肖像』と『プロミシング・ヤング・ウーマン』でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた実績を持つ。本作で3度目の候補にして受賞となるか。
1976年にイーリー大聖堂でロンドン交響楽団を指揮したレナード・バーンスタイン。演じるクーパーは、6分間の楽曲の指揮の習得に6年をかけたという。完璧な役作りは出色の出来! ただし、役作りにおいてはユダヤ系アメリカ人を演じる非ユダヤ人として、特徴的な鼻を付け鼻で再現したことには批判もある。
自ら選んだ人生であっても、耐えがたい現実が訪れる瞬間はある
溌剌とした、明るくチャーミングな女性フェリシア。しかし、次第に笑顔は消え、憂鬱な表情になり、結婚生活を終わらせたいという思いが生じる。
バーンスタインは1940年代に世に出始めた当時から、同性愛者であることを周囲にはあまり隠しておらず、フェリシアも知っていました。しかし、長らく社会的にも差別や偏見はあり、とりわけクラシック音楽界の指揮者の同性愛はタブー扱いされており、メディアは美しい夫婦のイメージを伝え続けました。映画では世間でゴシップとして騒がれても、フェリシアは夫のキャリアを守るためでもあったのでしょう、みんなが望むような夫婦像を演じ、子どもたちには事実を知らせないようにしていたことが描かれています。
映画の冒頭、そんな二人の出会いのシーンから結婚生活の初期は、誰もがうらやむような愛情深い夫婦の姿が、主にモノクロームの美しい映像でつづられます。
バーンスタインが作曲を手がけたミュージカル『オン・ザ・タウン』(後の映画版は『踊る大紐育』)のミュージカルシーンなど、音楽の素晴らしさと喜びにあふれた名場面の数々に心踊ります。音楽映画としての楽しみも十二分。
しかし、映像がカラーパートになるにつれて、女性の視点からすると自身もスポットライトを浴びていたフェリシアが、大舞台で指揮する夫を舞台袖でじっと見つめる姿に象徴されるように、スター街道を上り詰める夫の傍らで、どうしても「夫を見守る妻」の役割として陰に回っている感じに複雑な思いも。
加えて、バーンスタインは男性パートナーたちを家に連れてきては、フェリシアや子どもたちと一緒に過ごすようになります。また、フェリシアがいるのに男性パートナーの手を握ったりキスをしたりといった振る舞いも。
フェリシアは、結婚初期には「自分が犠牲を払っていると感じたら、私から去る」と、きっぱりと笑顔で言い切ります。彼女は自立した女性であり、これが自ら選んだ人生であること、そのことに責任を持つ覚悟があることがよくわかります。しかし、時たつにつれ、仕事も恋愛もわが道をゆく夫に対して、フェリシアの表情は曇り、明らかに疲弊していきます。
いくら覚悟はしていたと言っても、時がたつにつれ、現実を受け止めきれなくなる瞬間がやってくる。それは自然なことではないでしょうか。
パートナー同士が、互いに等分の愛情を注ぐことは不可能ではあるけれど……
バーンスタインが非常に愛情深く、よい父親であったことは事実であろう一方で、本作では言及されないがクラシック音楽界におけるパワハラなどの権力の濫用は、議論が続いている。昨年公開された、ケイト・ブランシェットがパワハラとセクハラで失脚する有名指揮者を演じた『TAR/ター』は、バーンスタインのような有名指揮者の女性版とする見方もある。
近年はLGBTQへの理解も深まりつつあり、誰もが自分の人生を生きたいように生きる権利を持つことへの認識も高まっています。どのようなセクシュアリティであっても、それは個人の自由であり、何人にもジャッジされるものではありません。
一方で、ヘテロセクシュアルであれ同性愛者、バイセクシュアルであれ、そのセクシュアリティというより、婚姻制度において複数の相手と同時につきあうことを好むとなると、また別の問題でしょう。もっとも、自身のキャリアを脅かす社会的な偏見や差別がなければ、バーンスタインはフェリシアと結婚しなかったのでしょうか。
いずれにせよ、映画のバーンスタインは、目の前にいる相手に100%の愛情を注ぐ気持ちに嘘はないように見えます。さらにそうした愛情を向ける相手を同時に複数持つ、あるいは次々と変えていくことができる。そんな人物と長年一緒にいたフェリシアが、「あなたは他人のエネルギーを奪う」と非難し、「疲弊しきった」と絶望することは何ら不思議なことではありませんよね。
一方、バーンスタインからすれば、「それが自分という人間なのだ」ということなのでしょう。フェリシアは最大の理解者でもありますが、バーンスタインの自分は特別な人間なのだという傲慢さと非情さはとても残酷に映ります。最初から嘘はついていないと言われれば、それはそうなのですが。
そもそも、婚姻関係がすなわち相手にとって、自分が「オンリーワン」になれるという保証でもなければ、人は誰かの愛情を独占できるものでもありません。もっと言えば、互いの愛情の強さ、度合いが完全に一致するということは現実問題として不可能に近いでしょう。だからといって、バーンスタインの行為、生き方はどうなのか。
もちろん、本作は二人の生き方をジャッジするものではありません。この夫婦の間にあった絆、愛が嘘偽りのないものであることは、映画を通して痛いほどよくわかります。しかし、フェリシアという一人の女性の人生を考えたとき、そこには他人にはわかりえない、壮絶な苦しみがあったことを思わずにはいられません。
一歩引いたスポットライトの外側から、フェリシアが夫を見守る描写が何度となく登場し印象に残る。音楽のほか、衣装やセット、映像の美しさも見どころだ。
Netflix映画『マエストロ: その音楽と愛と』12月20日(水)より独占配信
監督:ブラッドリー・クーパー
脚本:ブラッドリー・クーパー、ジョシュ・シンガー
出演:キャリー・マリガン、ブラッドリー・クーパー、マット・ボマー、マヤ・ホーク、サラ・シルヴァーマン、ジョシュ・ハミルトン、スコット・エリスほか