BAILA創刊以来、本誌で映画コラムを執筆している今祥枝(いま・さちえ)さん。ハリウッドの大作からミニシアター系まで、劇場公開・配信を問わず、“気づき”につながる作品を月1回ご紹介します。第31回は、ハリウッドの演技派キャストが三姉妹役で名演を披露する感動の人間ドラマ『喪う』です。
死期が近い父親を実家で看取るために、同居する次女レイチェル(右、ナターシャ・リオン)のもとに久々に集まってきた姉ケイティ(左、キャリー・クーン)と妹クリスティーナ(中央、エリザベス・オルセン)。どこかよそよそしく緊張した空気が漂う。
映画『喪う』
三者三様の人生を送る三姉妹が、死期の近い父親のために集まるが……
読者の皆さま、こんにちは。
最新のエンターテインメント作品を紹介しつつ、そこから読み取れる女性に関する問題意識や社会問題に焦点を当て、ゆるりと語っていくこの連載。第31回は、父親の病床に集まり、久々に顔を合わせた三姉妹の葛藤を描く会話劇『喪う(うしなう)』です。
30代、40代と年齢を重ねるにつれて、親しい人々の死と向き合う機会は必然的に増えていきます。悲しいことですが、このような深い喪失の体験は、誰もが避けては通れない道でしょう。
このテーマに正面から向き合った『喪う』(原題『His Three Daughters』)は、いつ死を迎えてもおかしくない父ヴィンセント(ジェイ・O・サンダース)のもとに、疎遠になっていた三姉妹が集まり、久々に顔を合わせるところから始まります。
ニューヨーク、マンハッタンにある瀟酒なアパートの寝室に横たわり、心電図モニターにつながれ、モルヒネの点滴を受けているヴィンセント。次女のレイチェル(ナターシャ・リオン)が実家であるこのアパートに住み続けて父親の面倒をみていました。そこへ、長女ケイティ(キャリー・クーン)と末っ子のクリスティーナ(エリザベス・オルセン)がやってきます。三者三様の生き方を送る彼女たちの間には、静かに張り詰めた緊張した空気が漂います。
近所のブルックリンに住む長女ケイティは、仕事をしながら子どもを育てており、きびきびとした態度と口調からは自身が有能であることへの自負も感じられます。一方、髪を赤く染めた次女レイチェルは独身でマリファナの常習者。どこかだらしなく怠け者のように見えます。そんなレイチェルに対して、最初からギスギスとした態度で臨むケイティ。そんな二人の間を取り持つようにバランスを取る三女クリスティーナは、愛する夫と娘とともに田舎に暮らす、穏やかな女性です。
意識不明でベッドに横たわる父親を前にして、気が張る3人。しかし、彼女たちの複雑な胸の内が明らかになるにつれ、姉妹の取り繕うような関係性は一瞬にして崩れ去るのでした。
お気楽に生きているようでいて繊細で思いやりのあるレイチェルを演じているのは、ハスキーボイスに独特の存在感が魅力的なナターシャ・リオン(兼製作総指揮)。映画や大ヒットドラマ『ロシアン・ドール:謎のタイムループ』や『ポーカー・フェイス』の主演だけでなく、プロデューサー、クリエイターとしても才能を発揮。
良き母親で穏やかな性格のクリスティーナ(左)を演じるのは、映画『アベンジャーズ』シリーズやドラマ『ワンダヴィジョン』『ラブ&デス』のエリザベス・オルセン。結婚もせずふらふらしているように見えるレイチェルへの当たりが厳しい、しっかり者のケイティ(右)役は、映画『ゴーストバスターズ』シリーズやドラマ『ギルデッド・エイジ -ニューヨーク黄金時代-』のキャリー・クーン。二人ともナターシャ・リオンとともに製作総指揮を務めている。
未婚で子どもがいないフリーターという生き方は、人生の敗者なのか?
仕事も家事もきっちりとこなして、デキる女性らしさ全開のケイティ。完璧な人生を送っているように振る舞っていたが、通話を聞いてしまったレイチェルはケイティが問題を抱えていることを知る。
自分たちもそれぞれの家庭を持つ中で、滅多に会う機会のなくなった、あるいは会ったことのない遠い親戚が集まる冠婚葬祭の席で面倒な体験をした、揉め事が起きたという話は、よく耳にしますし、私自身も経験があります。
三姉妹の場合、実はレイチェルだけが血のつながりがない姉妹であることが会話の中でわかります。ケイティのレイチェルに対する冷たい態度とは裏腹にケイティとクリスティーナとの距離の近さに、昔からレイチェルが浮いた存在であることが伝わります。
何よりもレイチェル自身がアウトサイダーであることを自覚し、遠慮がちに振る舞い、居心地の悪い思いをしていることがわかって複雑な思いも。父親と長年暮らし、ずっとそばに寄り添って生きてきたのはレイチェルなのですから。
このシチュエーションで繰り広げられる会話劇には、プロデューサーも務める実力派キャストのキャリー・クーン、ナターシャ・リオン、エリザベス・オルセンらの名演も相まって、誰もが思わず「わかる!」と膝を打ちたくなる瞬間が散りばめられています。
自分たちは家庭を持って独立したとはいえ、レイチェルにすべてを任せっきりだったのに、自分こそが一家の長であるといった態度のケイティ。しかし、携帯電話での通話の内容から、ケイティの人生も見かけほど完璧ではないようです。
クリスティーナも然り。彼女はマメに家族に電話を入れ、毎日のように娘の様子を聞き、毎回娘にありったけの愛の言葉を伝えます。しかし、あたたかく理想的な家庭を築き、主婦であり母親としての人生に満ち足りた様子の彼女も、人知れず深い苦悩を抱えています。
レイチェルには良き理解者であるボーイフレンドがいますが、コンプレックスがあることは間違いありません。しかし、姉と妹のことをやんわりと受け止めるレイチェルは、終始戸惑ったような、哀しいような、それでいてどこか達観しているようでもあります。その姿は繊細で傷つきやすく、3人の誰よりも孤独で、愛情や絆というものを切望しているようにも見えて、その愛情深さとやさしさに心を寄せずにはいられないのでした。
さて、ここまで読んで、この中の誰がいちばん幸せな人生を歩んでいると思うでしょうか? 未婚か既婚か、子どもの有無、仕事を持つか専業主婦か。あるいは、定職につかずに親に寄り添う生き方は、ケイティがレイチェルに対する言動にもにじむように、またはレイチェルがコンプレックスを抱いているように人生の敗者なのでしょうか?
ケイティとレイチェルの間に入って、仲を取り持とうとするクリスティーナ。愛する家族との生活に満ち足りている様子の彼女にもまた、人には言えない悩みが……。
大切な人を喪うことの痛みと向き合うことは、人生をよりよいものにしてくれるはず
血のつながりはなくとも、誰よりも父親との時間を大切にして過ごしてきたレイチェル。その胸の内には、さまざまな思いが去来する。
この映画は、ほぼ3人の姉妹の会話だけで進みます。おおむね父親の姿も、寝たきりになっている部屋のようすがちらりと映るだけ。父親の状態が時々刻々と終わりに向かっていく状況の説明がある中、姉妹たちのやりとりも核心に迫っていきます。
相手を傷つけることを言ってしまったり、反発したり、痛いところをつかれると自分を正当化しようとして声を荒らげてしまう。けれど、本音をぶつけ合うことは悪いことばかりではないのです。そんなふうに思える3人の会話の応酬は、人生の示唆に富んでおり、心の深いところに響くものばかり。
いつかは親を喪うことを想像するだけで、大抵の人はいてもたってもいられない気持ちになるでしょう。その瞬間を目前にして、気持ちが昂り、心をかき乱されながらも喪失と向き合うことで、3人は長年思っていたこと、本当の自分をさらけ出すことができたのではないでしょうか。
結局のところ人生は勝ち負けではないし、どれだけ豊かな人生を送っているか、幸せの価値は他人が決めることではない。そう気づかされる彼女たちの姿に、大切な人の喪失に向き合うことは、つらく悲しいだけでなく、人生をよりよいものにしてくれるのだと信じさせてくれる力が、この映画にはあります。そして、終盤の"ある演出"によって、大切な人を喪った経験のある人にとっては、とてつもなく救われた気持ちになるのではないでしょうか。
疎遠になっていた三姉妹が父親のために共有した時間には、何物にも代え難いものがあります。それこそが、世の中のほとんどの人と同じように完璧な父親ではなかったであろうヴィンセントが、子どもたちに最後に残してくれた贈り物のようにも思えて、いつまでも深い余韻が心に残ります。
三者三様の姉妹を等身大に演じるナターシャ・リオン、キャリー・クーン、エリザベス・オルセンの珠玉のアンサンブル演技は、ため息が出るほど素晴らしい。深まる秋に、じっくりと味わいたい人間ドラマの秀作だ。
映画『喪う』配信情報
『喪う』Netflixで独占配信中
監督・脚本・製作・編集:アザゼル・ジェイコブス
出演:ナターシャ・リオン、エリザベス・オルセン、キャリー・クーンほか