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子供を追い詰める“毒になる親”の愛『毒親<ドクチン>』【今祥枝の考える映画vol.25】

BAILA創刊以来、本誌で映画コラムを執筆している今祥枝(いま・さちえ)さん。ハリウッドの大作からミニシアター系まで、劇場公開・配信を問わず、“気づき”につながる作品を月1回ご紹介します。第25回は、韓国の気鋭の若手女性監督キム・スインによる衝撃作『毒親<ドクチン>』です。

映画毒親ドクチン 主人公ユリと母親へヨン、弟の写真

いつものように学校に娘ユリと幼い息子ミンジュンを車で送る母へヨン。一見すると理想的な母娘の関係に思えるが、ユリは母親が過度に自分に執着することに苦悩していた……。ヘヨン役は国民的人気番組『ストーリー・オブ・マーメイド』などのチャン・ソヒ。ユリ役は『ペーパー・ハウス・コリア: 統一通貨を奪え』で注目を集めたカン・アンナ。

自殺か他殺か。理想的な母娘に、何があったのか?

読者の皆さま、こんにちは。

最新のエンターテインメント作品をご紹介しつつ、そこから読み取れる女性に関する問題意識や社会問題に焦点を当て、ゆるりと語っていくこの連載。第25回は、無自覚に歪んだ愛を注ぐ母親と娘の関係を描いた韓国映画『毒親<ドクチン>』です。


映画は衝撃的なシーンから始まります。

美しい緑に囲まれた湖のほとりで、談笑する3人の男女。そこにいちごのケーキとコーヒーを買ってきた若い男性が戻ってきます。それぞれがケーキを食べ終わる頃、男性が「そろそろ始めようか」と言って全員に目配せをし、髪の長い若い女性は無表情で、急いで口の中いっぱいにケーキをほおばります。

場面が切り替わり、湖畔にはピクニックの痕跡だけで4人の姿はありません。そばに停めてあった白い車にカメラが外から近づくと、車中にはもだえ苦しむ男性と変わり果てた3人の男女の姿が──。


若い女性の名前はユリ(カン・アンナ)。優秀で優等生だった女子高生ユリは、その日の朝も、いつもと同じような笑顔で、学校まで送る母親ヘヨン(チャン・ソヒ)の車を後にします。しかし、彼女は高校には行かず、湖のそばの車中で遺体で発見されたのでした。自殺なのか、他殺なのか。ユリに一体、何があったのか? 

1992年生まれの韓国期待の若手監督キム・スインによる韓国映画『毒親<ドクチン>』は、ユリの交友関係や最近の行動を刑事たちが追う中で、死の真相に迫るミステリー。タイトルからも推察できるように、一見すると理想的に見えるユリと、誰よりもユリを愛する母親ヘヨンの関係性が本作の肝です。

映画毒親ドクチン ユリの担任教師ギボムの写真

ユリの担任教師で生徒から人気のあるギボム(ユン・ジュンウォン)に対し、ヘヨンは娘に連絡を取っていたことなどを理由に疑惑の目を向け、追い詰めていく。

「あなたのためだから」という言葉に隠された“毒”

映画毒親ドクチン 主人公ユリと同級生イェナの写真

ユリと仲が良かったという同級生でアイドル練習生イェナは、ユリの死について何か知っているようで……。ユリと同じように暗いものを心の奥深くに抱えているイェナを好演するのは、チェ・ソユン。

日本ではモンスターペアレントという言い方もありますが、おそらく世界のどの地域でも過干渉な親というものは存在するし、さまざまな問題があると思います。韓国も現在、子供への過剰な教育や躾(しつけ)を強いる親の存在が、大きな社会問題となっています。

子供にとって「毒になる親」というと、虐待や育児ネグレクト、モラハラなどが思い浮かびます。しかし、本作がフォーカスするのは傍目にはわからないし、本人にもその自覚がなく、娘もまた疑ったり否定したりすることに罪悪感を覚えるものの、明らかに歪んだ母親の愛情です。

こうした題材は、これまでにも多くの作品で描かれてきました。しかし、スイン監督が手がけたオリジナル脚本の巧みさ、ストーリーテリングとはっとするようなセリフの数々は、この問題にぐっと踏み込んだ鋭い視点と示唆に富んでおり秀逸です。

ユリの自殺説を絶対に認めないヘヨンは、同級生のアイドルの練習生イェナ(チェ・ソユン)がユリをいじめていたこと、また担任教師ギボムが事件当日にユリを呼び出していたことなどを警察に強く訴えます。その剣幕たるやすさまじいのですが、それ自体は親の反応としては当然のことにも思えます。

しかし、ヘヨンの独善的で強硬な物言いや態度には威圧感という以上に、どこか尋常ではないものが感じられます。やがて、観客はヘヨンの日々の生活における娘に接する態度に、「母親である私が言うこと、やることは絶対に正しい。なぜならば、私はあなたを愛しているのだから」という圧に息苦しさを覚えるでしょう。

「愛を愛だと信じる傲慢さ」が意味するものとは

映画毒親ドクチン ユリが亡くなった後の母ヘヨンと息子の写真

ユリが亡くなった後、息子ミンジュンの食事の世話をやく母ヘヨン。突然、パニックを起こした息子の姿に衝撃を受ける。

そうした母親に対して、時には激しい苛立ちを見せながらも、ユリは最後にはぐっと自分の言葉を飲み込みます。私個人としては、昔から「親子だからと言って相性がいいとは限らない」と考えているので、合わない親とは早々に距離を置くべきだと思っています。

しかし、未成年である場合にはそれは物理的に難しいですよね。さらに言えば、ユリは苦痛を感じ、心をすり減らしながらも、自分のことを思ってくれている母親を愛しており、その愛を否定することができないのだと、さまざまなシーンから感じられるのです。ユリは優しく思いやりがあって、母親を傷つけたくなかったのかもしれません。その心中を思うだけでも、胸が苦しくなります。


映画の序盤で、象徴的なエピソードがあります。ユリが遺体で発見された日、ヘヨンはユリの夢を見ます。帰宅したユリに、ヘヨンは「おなかが空いたでしょう」と言って作ったばかりのサンマのチゲを出します。しかし、ユリは入ってくるなり鼻をつまみ、「またサンマ?」と顔をしかめます。

サンマは嫌いだと言うユリに、ヘヨンは「あなたのためを思って作ってるんだから。青魚にDHAがどんなに多く含まれているか知ってる?」と言うのでした。これはヘヨンの過干渉の一例として、体にいいからと言って子供の嫌いなものを無理に食べさせ続けていたのだなと、私はストレートに受け取りました。

しかし、このエピソードにはもっと深い意味があることが、後に明らかになります。それこそがユリを追い詰めたものであり、死の真相なのではないか。そんなふうに考えがいたると、悲しみは一層増すのでした。

もっとも、本作に登場する人々は、それぞれが「毒になる親」に苦しめられていることも描かれています。それはヘヨンの毒とはまた異なるパターンだったりもするのですが、イェナ、ギボム、そしてヘヨンも例外ではありません。

スイン監督は、本作について「未熟な人間を描こうと考えた」と語っています。そして、映画の外の世界の現実に存在するユリやイェナやギボムたちに、「毒親」という概念を伝えたかったとも。この概念を知っていれば、親の愛や承認を必死に求めてもがき、苦しみ、心がむしばまれていくことをどこかで食い止めることができる人もいるかもしれませんよね。

劇中、「良いものも過ぎると毒になる」というセリフがあります。愛が、時にとても厄介な問題を引き起こす原因になり得ることは、おそらく誰もが理屈では理解できると思います。しかし、その境界線はどこにあるのでしょうか? その意味で、私はある登場人物が放つ「愛を愛だと信じる傲慢さ」という言葉に、誰もが持ちうる加害性について考えずにはいられないのでした。

映画毒親ドクチン 父親と外食をする主人公ユリの写真

生前、今は離れて暮らす父親と食事をするユリの心中は……。監督のキム・スインは、日韓合作ホラー映画『オクス駅お化け』の脚色や『覗き屋』の脚本を担当した新鋭。満を持しての長編映画監督デビュー作で脚本も手がけた本作で、確かな手腕を発揮しており、今後の活躍に期待が募る。

『毒親<ドクチン>』4月6日(土)ポレポレ東中野ほかロードショー

監督・脚本:キム・スイン

出演:チャン・ソヒ、カン・アンナ、チェ・ソユン、ユン・ジュンウォン、オ・テギョンほか

配給:ミステリーピクチャーズ、シグロ

©2023, MYSTERY PICTURES, ALL RIGHTS RESERVED


『毒親<ドクチン>』の公式サイトはこちら

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